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文字数 3,786文字

 学校を後にした朝香たちは、杉並区にある平山家が運営する内科医院へ向かう。
 様子を窺い、患者が切れた所で病院に入る。
 受付にいた看護師が「申し訳ありません。受付相手を、過ぎてしまったんですが……」と言ってくるも、警察バッジで口を噤んだ。
「平山ご夫妻はいらっしゃいますか」
 徹の声に、奧から女医が姿を見せた。
 腰まである長い髪の女性で、薄めのメイクでも十二分に綺麗な人だ。
「何か?」
「奥様ですか?」
「え、ええ……。平山秀美(ひらやまひでみ)と申します」
「息子さんの件で参りました。お話、よろしいですか?」
「――淳の?」
 さらに奧から禿頭(はげあたま)の医者が現れた。黒々として太い眉が印象的な強面で、白衣を着ていなければ、筋者だと間違えてしまいそうになるような迫力の持ち主。
 徹は窺うように尋ねる。
平山陽一(ひらやまよういち)さんですか?」
「そうですが」
「息子さんの件が事件である可能性が浮上いたしまして、現在再捜査を行っております。どうか、ご協力を」
 陽一は怪訝な表情に萎える。
「あいつは自殺の筈です」
「あなたは息子さんが自殺であった方が良いと?」
「何だとっ」
 妻の秀美が割って入る。
「ひとまず奧へ」
 
 診察室の奥は、従業員用の休憩室になっているようだ。卓を囲んで改めて向き合う。
 朝香は平山夫妻に告げる。
「息子さんが何者かに殴られ、その衝撃で池に転落したという証言が上がりまして」
「どうして自殺ではないと? 根拠は?」
「目撃情報もそうなのですが、息子さんは三日後に、演奏会を控えていたという話があったんです」
 陽一が訝しそうな顔をする。
「演奏会?」
 朝香は秀美を見る。彼女の顔色は変わらない。
「奥様はご存じだったんですね、演奏会のことを」
「そ、それは」
 妻の反応に、「本当か?」と陽一が聞く。
 秀美は頷く。
「……ええ。一週間くらい前に淳から聞いていました。あなたと一緒に来て欲しいと」
「あいつが、あの下らん音楽ごっこを続けていたとどうして言わなかったっ」
「あなたがそうやって怒るから、なかなか切り出せなかったんじゃない」
 徹は陽一を見る。
「あなたは、息子さんが音楽活動をすることに反対だったんですか?」
「当然でしょう。ただでさえ中退というハンデを負ってるのに……。遊んでる場合ではないでしょう。親として当然のことをしたまでです」
 その瞬間、朝香の頭が熱を帯びる。
 淳が眩映を見せようとしてるのだと意識した途端、目の前が光に塗り潰された。

 光の粒子の中、朧気に浮かび上がったのは部屋の映像だ。本棚が幾つかあって、小説や参考書がギッシリ詰まっている。
 それを見つめる淳の心は暗澹としている。
 淳はパソコンと向き合い、ヘッドフォンをし、曲を聴いていた。
 軽やかなジャズの音色に耳を澄ませれば、たちまち自分だけの世界に没頭できる。それはピアノ曲だ。
 宙空に両手を差し出し、架空の鍵盤を叩く。
 しかし次の瞬間、大きく身体を揺さぶられ、ハッとして目を開けた。
 目の前には顔を真っ赤にし、眦を決した陽一の顔。父親にヘッドフォンをもぎ取られてしまう。ジャックから抜け、部屋中にジャズピアノの演奏が響く。
 ――勉強もせず、何をやってるっ!
 ――べ、勉強もやってるよ。今は休憩中で……
 淳は萎縮しながらも懸命に答える。
 ――休憩だと!? お前みたいな落ちこぼれに休む時間なんてないんだ!
 陽一は机の上にあったCDを次々と回収していく。
 ――や、やめて! それは先生から借りた……
 ――先生? そいつの悪影響か! お前は、音楽にうつつを抜かしてる場合じゃないんだ。人よりもずっと遅れて、人生を踏み外そうとしているのがまだ分からないのかっ! そもそもいじめられる奴は性根が腐ってる。それを見透かされるから、いじめられ、それに反撃出来ないんだっ!
 ――そ、そんな言い方……。
 淳の心は絶望に塗り潰されてしまう。
 ――黙れっ!
 平手が飛び、淳は椅子から転げ落ちた。キーンと耳鳴りがし、恐怖で身体が震え、心が萎縮する。
 ――男が泣くな! とにかくお前は医学部に入るだけを考えていれば良いんだ!
 CDを抱えた陽一は部屋を出て行った。
 淳は惨憺たる気持ちで見送る他なかった。

 朝香が我に返れば、心配するように秀美が顔を覗き込んでいた。
「あなた、大丈夫? 今、目の焦点が合っていなかったけど……」
「いえ、平気です……」
 目に光をあてられ、脈を診られた。
 秀美は、心配そうな表情で言う。
「今はもうなんともないようだけど、健康診断をした方が良いかもしれないわ。若い子はダイエットのやり過ぎて必要な栄養が足りてない場合があるから」
「……ありがとうございます」
「若いからって油断してはダメよ」
 朝香は、徹に眩映の内容を耳打ちする。
 妙に芝居がかった咳払いをした徹は、さもそういう証言があったと言わんばかりに手帳を開きながら言う。
「実は、お父様と淳さんとの間の口論についての証言がありまして」
 陽一は眉根を寄せる。
「口論?」
「落ちこぼれ……とはずいぶんな物言いですよね。いじめられる奴は性根が腐ってる、だからそれを見透かされ、いじめに反撃出来ないって……」
 秀美が目を瞠った。
「あなた、そんなことを言ったのっ!?
 徹は追い打ちをかける。
「息子さんはあなたにとって落ちこぼれ、落第の証明。いなくなって欲しい存在……だったんじゃありませんか」
 陽一は目を剥いた。
「何を言ってるんだ……」
「自白するのなら今のうちだと思いますが」
「息子を殺す訳ないじゃないか!」
「ですが、あなたは息子さんに失望していたでしょう。学校を退学し、エリートコースから外れた息子さんを」
 陽一は目を反らす。
「……確かにイジメで退学になった息子を弱いとなじったことはありました……。でも殺す訳がない。私は淳を愛してたっ。親が子を殺すはずがないだろっ!」
「事件当夜は何を?」
「医者仲間と飲んでいた。証明できる」
「では、他に容疑者の心当たりは?」
「息子をいじめてた富川清正というガキだ。あのガキはあの件で退学処分になってる。息子を逆恨みしててもおかしくないっ」
 陽一は憤然と吐き捨てた。
 朝香は秀美を見る。
「奥様に心当たりは?」
 秀美は少し考えてから言う。
「……確かに、その子が退学して間もなく、うちの窓ガラスが意思で割られるという事があって……」
「それをやったのが富川だったんですか?」
「いえ。深夜のことだったので、犯人は分からずじまいですが……そうなんじゃないかと夫と話した覚えがありました」
「その石は?」
「すぐに捨ててしまいましたから」
「……そうですか。ありがとうございました」
 朝香たちは病院を辞去した。

 課に戻った朝香は、音楽配信サイトで淳が演奏しようとしていたIF I WERE A BELLを携帯音楽プレーヤーに落とす。
 恥ずかしながら、ジャズはサックスが出て来るもんじゃない程度の知識しか、持ち合わせていない朝香からしたら、ピアノが主旋律を奏でるこの曲はとても新鮮だった。
 続いて、Don't be that Way。
 ずっとこのメロディを聞いていたい気持ちになり、うっとりした。
 と、真誉がやってくる。
「そんなにジャズって良いんですか? 私、普段はアイドルの曲しか聞かないんですけど」
「アイドルの曲?」
「ほら、十代の女の子達が歌って踊って……ウキウキしません?」
「若い……!」
「そうですか? 先輩は聞いたりしないんですか」
「私はああいうキャピキャピした曲を聞いてると、あぁ……私と縁遠い世界でだって思っちゃうのよねえ。私にはそんな元気にはしゃぐ気力はないよ……って感じで」
 真誉があからさまに反応に困って苦笑する。
「……そ、そうでしたか」
 朝香はこれ以上真誉に気を遣わせない為に話を変えた。
「真誉。それでいじめの加害者の富川清正についてだけど」
「あ、はい。調べました。どうやら富川は横浜から当時の高校に通っていたようです。実家の住所がこちらで、その住所をネットで調べましたら富川不動産という場所がヒットしました。その経営者が……富川清正」
「ありがとう」
 そこに徹が顔を出す。
「今ならあっという間に情報が回るだろうけど、昔はそうはいかず、加害者は退学だけで、野放しか。人一人の人生をめちゃくちゃにしておいて良い身分だよな、全く」
「そうですね」
 朝香は相槌を打つ。
 真誉が言う。
「朝香先輩が見た眩映を考えると、父親も怪しくないですか?」
「確かに……。あの性格がすぐにどうにかなるとは思えないものね。あの親ならカッとなって衝動的にって線はありそう」
「……そうですか」
 真誉は自分で提案しておきながら、どこか落ち込んだ気配だ。
「真誉? 大丈夫?」
「あ、はい、平気です。引き続き関係者周りを調べてみますね」
「ええ……。お願い」
 真誉は足早に自分のデスクに戻る。
 徹が眉を顰めた。
「何だ、あいつ?」
「……どうしたんでしょうね」
 朝香と徹は顔を見合わせた。
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