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文字数 2,067文字

 朝香たちは横浜市の緑ヶ丘にある富川不動産を尋ねた。
「いらっしゃいませ」
 朝香たちが入店すると、満面の笑みを浮かべた中年男が立ち上がった。
「予約のお客様ですか?」
「いいえ」
 朝香たちは警察バッジを見せれば、男は頬を強張らせた。
富川清正(とみかわきよまさ)さんは?」
「……私、ですが。あの、うちの物件で何か?」
 徹が意地悪く言う。
「何か心当たりでも?」
「……いえ」
「二十年以上前にあった、あなたの元同級生の平山淳。彼のことです」
「あいつは……自殺じゃ」
「そう思われてきましたが、何者かに殴られて池に転落したという新証言が……」
「私はやってませんっ!」
 清正は悲鳴じみた声を上げた。
 朝香は様子を観察する。第一印象はかなり怪しい。
 奧から中年女性が姿を見せる。
「あなた。どうしたの。大きな声を出して……。お客様、何か?」
 清正は女性の前に出ると、
「何でも無い。お客様を内見につれていくから留守番を頼む」
「え、ええ……」
 清正は動揺の隠しきれない様子で、「さ、さあ」と朝香達を外へ促す。
 朝香たちは仕方なくその芝居に付き合う。店を出て、徒歩二分ほどの砂利の敷き詰められた駐車場へ向かう。
「妻は私の過去を知らないんです」
 徹が鼻で笑う。
「いじめの主犯のクソ野郎だってことか」
「そ、そんな言い方……」
「なら今からあんたが、何の罪もない同級生をイジメで退学に追い込んだクソ野郎だって教えてやっても良いんだぞ!」
「吉良さんっ!」
 徹は詰め寄ろうとするのを、朝香は慌てて止めた。
 身を庇おうとしたキョドキョドした清正は目を伏せ、消え入らんばかりの声で言う。
「確かに俺はクソ野郎だ……分かってます……。でも今は、もう違う。あの頃の俺じゃない……っ」
 朝香はやんわりとした口調で尋ねる。
「事件当夜は何を?」
「……確実ではないけれど、家の手伝いを。中退してから親戚の不動産屋でこき使われて、それでこっちに戻って来て、それからは真面目に……」
 徹は言う。
「お前が退学して間もなく平山淳の家の窓ガラスが割られたらしいが、心当たりは?」
「そ、そんなことする訳ないでしょ」
「本当か? 平山淳の家族が石を保管して、これから鑑識にかける予定だ。指紋が採れたら犯人が誰かはすぐに分かる」
 途端、清正は苦虫を噛み潰したような顔をする。
「あ、あの時はむしゃくしゃして……」
「嘘か。とんでもないな。一体どれだけ後、嘘があるんだろうな」
「か、改心したのは、その後だから……っ」
 徹は嫌味たっぷりに溜息をつくと、朝香に話を振る。
「だとよ。法条、どう思う?」
「富川さん――か」
 口を開きかけたその時、目の前が白くなる。眩映が始まるのだ――。

 目の前に、青いタイルが映っている。
(ここは……? トイレ……?)
 男子トイレだと気付いたその時、けたたましい足音が背後で聞こえた。
 ――よぉ! ガリ勉!
 声をあげたのは男子学生三人。清正の子ども時代など知らないのに、頬にニキビの目立つ今よりもずっとスリムな男が、彼の高校時代の姿なのだと瞬時に分かった。
 ――や、やめてぇっ……
 用を足している淳の腰を引き、そのまま尻もちをつかせる。そのせいで下半身がみるみる生暖かく濡れていく。
 ――うわぁ、きたねー! 良いか、調子にのんなよ! ガリ勉っ!
 足音が去って行く。
 淳はその場で声を押し殺し、嗚咽した。怒りや憎しみではなく、ただただ理不尽な真似をされることへの悲しみだけが胸を満たしていた。
 どうして自分が。どうして? もっと気の弱い奴はいるのにどうして。伝播した苦しみで、朝香の胸は潰れてしまいそうだった。

 そして朝香の意識は現在に戻り、清正から顔を背けた。
 一刻も早くこの男から離れたかった。
 清正は当然だが、全く意味が分からないようで、朝香の反応におどおどしていた。
「だ、大丈夫ですか?」
「すみません。今日はこの辺りで……。また連絡を差し上げます」
 徹は言うと、朝香を促してその場を後にした。

「――平気か?」
 そばに停めていた車に戻ると、徹がそばのコンビニで買ってきたミネラルウォーターを、渡してくれる。
「……ありがとうございます」
 朝香は手の中でペットボトルを、包み込んだ。
 すでに朝香が見た眩映の内容は徹に伝えていた。
 彼は、朝香が落ち着くのを運転席でじっと待ってくれている。
 朝香はぽつりと言う。
「……吉良さん、どうして……」
「どうして人は他者をいじめるのかとか哲学的な問答は勘弁な。理由なんてどうでも良い。いじめる奴はクソだって事実しかない」
「……ですね」
「あいつがやったと思うか?」
「それはまだ分かりません。――平山淳さんのせいで退学に追い込まれたから恨んでる、心を入れ替えたから恨んでない……現状ではどちらとも言えますから」
「そうだな。ひとまず平山淳の親友と会ってみよう。いけるか?」
「はいっ」
 朝香は頷いた。
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