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文字数 2,768文字

 朝香たちはその日、真紀の会社を訪問した。
 社長室で対面する真紀の顔は真剣そのものだ。
「……事件に進捗があったと聞きましたが」
 徹は頷く。
「そうです。どうやらお父様が、お母様を殺害したと思われます」
 真紀は怪訝な顔をする。
「思われる、ですか?」
「すでに容疑者が死亡しており、確かな証拠がない状況です。しかし状況から考えて、不審人物の情報もなく、お母様があの場にいることを知り得たのはお父様をおいて他にはいないかと」
「……そうですか」
「あまり驚かれませんね」
「あの父ですから。そうなんだな、と……。殺されたのが悔やまれますが……」
「ともかく、こちらで処理させて頂きます。後日、証拠品をお返しいたしますので」
 徹から事前に黙っていろ、と言われていた朝香は、我慢出来ず口を開く。
「――実はm以前見て頂いた8ミリを撮影された方が見つかりまして」
「どなただったんですか」
「美大とは関係のない大学生の方でした。お母様に一目惚れされて」
「……一目惚れ」
「そしてその方はお母様がお父様より暴力を受けたことを知って、避難するためのアパートを借りられたようなんです。真紀さんと美喜子さんが一緒に住むはずだった、と……。本当に何も聞いたことはありませんでしたか?」
 真紀の答えは一緒だった。
「いいえ。知りません」
 それでも朝香は粘った。
「よく思いだして下さい。お母様はあなたに何かを仰った筈なんです」
「残念ながら知りません」
 そう言った瞬間の真紀の目と合った時、朝香の脳裏を眩い光が塗り潰していく。

 光の中から輪郭が浮かび上がる。
 冬服のセーラー服姿の少女だった。ポニーテールの髪型ともあいまって活動的な印象を受ける。その顔はしかし、苦悶に歪んでいた。
 そしてその眼差しは今し方、朝香を射貫く眼差しと重なっていた。
 そこは恐らく辻家のアパート。
 ――お母さん。昨日、どこ行ってたの?
 ――どこって? 真紀。そんな怖い顔してどうしたの?
 真紀は制服の右袖を捲ってみせる。その白い腕には点々と幾つも黒焦げたような痕が。
 美喜子は目を瞠った。
 ――真紀!? 一体どうしたの!?
 ――昨日、お父さんが夕方酔って帰ってきて……。そうしたらお母さんがいなくてご飯が出来てないことに怒って……!
 ――ごめんなさい! き、昨日は……お友達と出かけてて。
 美喜子は、娘の腕に触れようとするが、真紀は腕を引っ込めた。
 ――どこに?
 ――真紀。あなたに聞いて欲しいことがあるの。
 ――あの男に酷いことをされてたのに! お母さんは、私を放っておいて、遊んでるなんてひどいよ!!
 ――違うの。真紀。は、話を……。
 ――もういいっ!
 踵を返した真紀は、部屋に閉じこもる。
 美喜子は扉を叩き、開けて欲しいと訴えた。
 ――真紀。お願い。あなたに言わなくちゃならない話が!
 しかし真紀が扉を開けることは遂に無かった。そして眩映が終わる。

 光が収束すれば、真紀や徹の視線を一心に集めていることに気付く。
「――す、すいません! お手洗いをお借りします……っ!」
 朝香は慌てて席を立った。

 真紀の元を辞去してビルを出るなり、徹に呼び止められる。
「法条。何を見たんだ」
「吉良さん……。さっきはすみませんでした」
 突然お手洗いに立った後は、徹がどうにか誤魔化してくれたのだ。
 徹は話を促す。
「問題はない。で?」
 朝香は眩映の内容を教える。
「やっぱりあのクソオヤジか……」
「美喜子さんは、真紀さんにアパートのことを教えようとしていました」
「でも教えられなかった。そしてクソオヤジに気付かれた……。辻秀康犯人説が補強されたわけだ」
「……確かに」
 表情を曇らせる朝香を和ませるように、徹は軽く肩を叩く。
「前の俺みたいになるな。こだわりと囚われるのとは大きく違う。それを教えてくれたのはお前だ。だろ?」
「……はい」
「お前の中の被害者もすぐに消える。これまでと同じように……。事件を持って来てくれた先輩に報告しに行けよ。課長には俺から言っておく」
「……分かりました」
 朝香は頭を下げ、踵を返した。

「……事件が解決しました」
 英吉の事務所に足を運んだ朝香は、簡単に首尾を報告する。
 車椅子を転がした英吉は苦笑した。
「俺の聞き間違いかね。未解決か?」
「ち、違います。解決です」
「だったらもっと笑顔で言え。顔色が悪すぎるだろ。事件が解決したのに、いじけてる奴がいるのかよ」
 朝香は自分の顔に触れる。
「そ、そうですか?」
「結果に納得がいってないみたいだな」
 朝香は小さく首を振る。
「……分からないんです」
 まだ自分の中に被害者がいる――とは言えないから、どうしても奥歯に物が挟まったような物言いになってしまう。
「んで、どうするんだ? 不本意な結果で納得か?」
「状況証拠はそう言ってますから。でも私の心はそれに、納得できないんです」
「納得出来ないが、行動する度胸もないのか。なら諦めろ」
「先輩。sんな言い方!」
 思わず咎めるような眼差しを向けてしまえば、英吉はニヤッと笑う。
「まだやる気があるじゃねえか」
 朝香ははっとして目を伏せる。
「ですが」
「おいおい。何を迷うことがあるんだ。俺がいないうちに随分と臆病になったもんだ」
「そ、そんなことは……」
「お前が捜査一課に来た時、みんな大歓迎だったか? お前が手柄を上げて手放しに喜ぶ連中ばっかりだったか?」
 暴力を振るわれたりはもちろんないが、女であることをネタにセクハラをされるのは日常茶飯事だった。嫉妬からくる嫌がらせもあった。
 英吉は言う。
「それでもお前は歯を食いしばって必死に男の大股に遅れず歩いてきた。正直、途中で音を上げて逃げ出すんじゃないかって思ったんだけどな。大したもんだ。あんだけのガッツがあるお前が、納得がいかない結果を前に諦められるのか?」
「先輩……」
「やれるだけのことを全部やれよ。で、後はスパッと忘れろ。それが事件に囚われない唯一の手段だ」
「先輩にもそういう経験が?」
「俺のことは良いんだよ。それより俺の言ってること、分かったのか?」
 朝香は力強く頷く。
「分かりました。やります!」
「だったら早く行け。こんなおっさんと(ダベ)ってる暇はないぞ」
 朝香は頬を緩めて「ですね」と歩き出せば、
「おいおい、そこはおじさんなんかじゃありません、まだまだ現役バリバリの素敵なお兄さんです、くらい言えよなーっ!」
「それでは失礼します。素敵なお兄さん」
 朝香は吹き出しつつ頭を下げて外に出ると、早速ケータイで連絡を入れる。
「真誉。調べて欲しいことが――」
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