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文字数 2,098文字

 それから数日間、めぼしい手がかりもなく、完全に手詰まりな状況が続いた。
 そんな折りついに真誉のアップした動画に、撮影者を知っていると言うメールが届いた。すぐに会う算段を付け、メールの送り主に大森まで来て貰うこととなった。
 やって来たのは、薄い髪をオールバックにした男性、橋本健一郎。四十八歳。
 朝香と真誉が両脇を支えるように寄り添うと、健一郎は笑う。
 朝香は健一郎をパーテーションで区切られた場所に案内する。
 真誉が言う。
「橋本さん。お飲み物は何にしますか。コーヒー、お茶、紅茶と揃ってますけど」
「それじゃあコーヒーをもらおうかな」
「はいっ」
 しばらくコーヒーを飲み、落ち着いてきたところで朝香は話を切り出す。
「それで、あの8ミリカメラで撮影されていた女性についてですが」
「そうだった。それが本題だったな。ありゃ今でも思うが、美人だった。名前は辻美喜子さんと言ったかな」
 朝香の隣に座っていた徹が、驚く。
「よく覚えておいでですね」
「何せ俺がスカウトしたからな」
「橋本さんは、東都美大の出身なんですか?」
「そう。あそこの映画研究会に入ってて。まあ研究会なんて名前だけ聞けば仰々しいが、単純に映画についてあーだこーだ言ってるだけだけど」
「スカウトされたというのは……?」
「うん。僕が荒川の友人を訪ねた時に見かけて。けど私が撮影したいというより、連れが、一目惚れしたみたいで。お節介を焼いたんだ」
「連れの方というのは、同じサークルの、ですか?」
「いや。あれは高校が同じで、別の大学だったんだ」
「連れの方は、何と仰るんですか?」
「有野修司だ。……で、彼女は元気?」
「いえ」
 健一郎は残念そうに顔を顰めた。
「まあ仕方ないか。もうあれから一体何十年経ったか。彼女は確か三十才くらいだったし、そういうことも……」
「いえ。1986年の1月に亡くなっているんです。何者かに襲われて……」
 橋本は驚きに目を瞠る。
「そんな……」
「ご存じなかったんですね」
「撮影に付き合った後は、特に交流もなかったから……」
「それで事件にあの8ミリの映像が何か関係がないかと思ったんですが」
「修司が? あいつが、殺すなんてありえない。あいつは、彼女に本当にホレていたんだし」
「辻美喜子さんは既婚者でしたが……」
「それも知ってたよ。相談されたことがあったよ。どうしようかって」
「どう答えられたんですか」
「どうもこうも諦めろとは一応言ったけどね。だって人妻なんだし」
「修司さんは?」
「頷きながらも諦めきれないって顔をしてたなぁ。まああれだけの美人だからしょうがないけど」
「有野さんはご存命でしょうか。もし可能ならお話しをお聞きしたいんですが」
 健一郎は顔を曇らせる。
 最悪の事態を考えたが、
「生きてるよ。病院で治療中。いつ頃退院できるかは分からないけどね」
「そんなに思わしくないんですか」
「精神的なもんだからな。元々精神が強い訳じゃなかったんだが、美喜子さんと別れたらしくしばらくして引きこもりになって。で、つい数年前に鬱病煩って自殺未遂を起こしてね。それで入院中……」
「お二人は付き合われていたんですか」
「付き合ってたのかどうかは分からないけど、少なくとも何ヶ月かかは、付き合いが悪かったことは確かだね。でも気付いたら一人でいる所をよく見るようになって、結局大学も中退しちまってさ」
「今は話も出来ない状況ですか?」
「話は出来るけど、自殺未遂の影響なのか、精神的なもんなのか分からないけど記憶がとんじまったらしくてね。僕のことも分からないみたいだったよ。興味あるのは映画くらいで……」
 健一郎は切なそうに微笑んだ。

 健一郎が帰った後、朝香と徹は倉庫にいた。
 徹は腕を組んだ。
「――んで、どうするよ。本当に会うのか?」
「眩映もありますから」
 徹は小さく頷く。
「お前がそこまで言うんだったら会うだけ会ってみるか。犯人の可能性があるしな」
「……そうですね」
「人妻との叶わぬ恋だ。どんな奴だって豹変しかねない。想いをぶつけて拒否されて、勢い余って……。で、その罪悪感で精神を病んだ。、ま、仮に犯人だとしても、起訴は出来ないけどな……」
「美喜子さんの亡くなる直後の謝罪の言葉を、吉良さんはどう考えますか?」
「意味があると思うのか?」
「被害者の最期の言葉ですから」
 徹は、少し考えるように宙空を見た。
「死に瀕した時の言葉だからと言って、本人の意識がまともだったかは分からないだろ。それに囚われ過ぎると真実を見誤るぞ。お前ならではの忠告だけどな」
「……かもしれませんけど」
 頷きこそしたが、それでもやはり胸の内に芽生えた罪悪感は、確かに美喜子が感じたものだ。
 ごめんね――彼女の言葉は決して譫言とは思えない、心からの切なる言葉を呟いた。
 しかしそれも徹の言う通り、あの場面を見た朝香がそう思いたいと錯覚したものかもしれない。それを否定する術がない。
(……有野修司さんをフった、その罪悪感?)
 考えても答えは出ない。
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