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文字数 3,183文字

 翌日、朝香たちは八王子署を訪ねた。
 事前に連絡は入れておいたので、発見された遺骨の検視結果はすぐ教えてもらえた。
 朝香は助手席で、パラパラと検視結果のコピーを綴じたファイルをめくる。
「……確かに遺体の損傷は後頭部だけ、ですね」
 朝香は呟くが、徹は興味なさげだ。
「どうせ、あの変態の仕業に決まってる。じゃなきゃ8歳の子どもがそんな廃屋に一人で行く訳ないだろう」
「遺体は当初、枯れ葉で隠されてたみたいですね」
「ほら、見ろ。あいつが隠したんだ。何が暗所恐怖症だっ」
「でも疑いがある以上は調べてみないと。遺体が見つかるまで事件は解決じゃなかったからこそ、資料がうちにあった訳ですし。これも巡り合わせですよ」
「お前は何とも思わないのか? 容疑者は変態野郎なんだぞ」
「それはもちろん分かってますし、気分も悪いです。でも一番危険なのは丁度良い人間に全ての責任を負わせ、本当に危険な人間が野放しになることだと思います」
 徹は不満そうに下唇を出したが、何も言わなかった。
(……虫の居所がかなり悪そう)
 と、目の前を走って遺体の発見現場まで先導してくれていた八王子署のパトカーが、路肩に停まる。
 ここは八王子市内の美山町。民家よりも緑の方が多い。
 署員が山の方へ続く道を指さして歩き出す。
「ここからは歩きです!」
 鳥の鳴き声がこだますのを聞きながら朝香は呟く。
「何だか、東京ってことを忘れちゃいそうですよね。八王子って」
 徹はぼやきつつ、署員に従う。
「全くだ。ったく、靴が汚れる」
 朝香は前を進む二人の署員に声をかける。
「すみません! これから行く廃屋っていうのはどういう建物なんですか?」
「別荘だったみたいです。持ち主が手放してから地元の不動産屋が購入したそうですが、そのまま放って置かれているそうです」
 もう一人の警官が頷く。
「持ち主は大変でしょうね。まさか遺体が……」
 徹が声を震わせる。
「――おい、子どもが亡くなってるんだぞ。口を慎め」
「す、すいません」
 警官たちは首を縮めて恐縮してしまう。
「ったく」
 徹はイライラして舌打ちをした。

 それから十分ほど歩けば、どんよりとした鈍色の空を背景に、黒々とした建物が姿を見せる。二階建ての洋館だったもの、だ。
 手入れをすればかなり素晴らしいものだろうが、現状窓ガラスは割れ放題で、壁には穴がいくつも空いて、ひどい有り様だ。
 そして敷地には『私有地につき立ち入りを禁じる (株)横尾不動産』という看板と共に柵が巡らされているものの、この程度ではすぐに乗り越えられてしまうだろう。
「こちらから中に入れます」
 朝香たちは懐中電灯をつける。まだ午後三時ほどだが、曇り空ということもあって中はとても薄暗い。
 署員が言う。
「床が腐ってるのでお気をつけを。鑑識作業の時にも係員が床を踏み抜いているので」
「うわぁ……不気味……」朝香が独りごちる。
 署員の一人が前を行く徹に聞こえないように朝香に、耳打ちする。
「実はここ、幽霊屋敷って噂があるんです」
「え。本当ですか」
「夏休みとか冬休みに大学生やら大人たちがここで騒ぐっていうんで、時々通報が入りまして……。何でも人魂を見たり、啜り泣く声を聞いたりするらしいです。ネットでも有名ですよ。ですから不法侵入が絶えなくって」
「……そうなんですか。あの不動産屋さんはいつから、この建物を持ってるんですか?」
「もう十年以上前ですね」
「立て替えとかはしないんですかね」
「それなんですよ。幽霊屋敷の信憑性を高めてるのが。――これまでこの屋敷を何度も取り壊そうとした。しかしそのたびに作業員が大けがを負ったり、請け負った会社の社長が首をくくるという怪奇現象が多発。まさに呪いの幽霊屋敷ってネットで散々な言われようで」
「……本当ですか?」
「まさか。不動産屋にも確認しましたが、そのような事実は一切なし。ここを購入したのは別荘を建てるつもりだったそうですが、景気が悪くなって手つかずになっているだけだそうです」
 署員は笑って言うが、幽霊というものと遭遇するようになり、朝香はそういうものの存在を冗談と思えなくなっていた。
 事故や首くくりはデマだとしても、人魂や啜り泣きは本当かも知れない……。
 朝香は足下に注意しながら、徹を追いかける。
 署員が言う。
「地下はその先みたいです」
「……階段がやばそうだな」
 徹は呟きながら階段を照らす。天板がところどころ抜けている。
 署員が別の場所を照らしてくれる。
「階段ではなく、そちらにある梯子を使って下さい」
 徹は朝香に、顎をしゃくる。
「よし。お前らは別の部署を見てくれ。地下は俺達で見るから」
「え? あ、はあ……」
 署員は不思議そうだったが、また怒られたくないと思ったのか、大人しく指示に従った。
「吉良さん、どうして」
「お前がおかしくなったら連中が騒ぐだろ。また病院に運ばれたいのか?」
「……そうですね」
 梯子を伝って下におりる。地下室はジメジメした空気が不快であること自体、特筆すべきことはない。
 徹が聞いてくる。
「叶子ちゃんの姿は見えるか?」
「いいえ」
「そうか……。お前のあれも多少は信じても良さそうだしな」
「眩映のことですか」
 徹は渋い顔をする。
「犬童流に言えば、な。……あの子が、あの変態野郎に襲われている場面を見てくれれば、あの子の無念を晴らしてやれる」
 床を照らすと、遺体発見現場であることを示す白く縁取られた人型が覗く。その人型の小ささに朝香の胸は鈍く痛んだ。
 朝香はその場で片膝を付いた。
(ここで叶子ちゃんが……)
 朝香は周囲を照らす。
「でもこれだけ暗いと、暗所恐怖症の向井に犯行は難しいんじゃないでしょうか」
「おい」
 懐中電灯を灯りをいきなり向けられ、朝香は思わず顔を庇う。
「き、吉良さん!? 眩しいです……っ!」
「あんな奴の言葉に惑わされるな。どうせ口から出任せに決まってる」
「でも精神鑑定の結果が……」
「馬鹿医者を信じるな」
 今回の徹は変だ。終始何かに苛立っているようだ。
 と、懐中電灯がどけられたその時、徹の背後に何かが動いたように見えた。
 懐中電灯で徹の背後、地下室の角部分をゆっくりと照らしていく。
 さっきは確かに何もなかったはずの場所だが、そこに揃えられた靴を履いた足があった。とても小さな子どもの足。
 ゆっくりと光を上にもっていけば、青いワンピース姿のおかっぱ頭の少女と目が合った。
 朝香は息を呑んだ。
 少女は懐中電灯の明かりを顔に向けられているにもかかわらず、一切眩しそうな反応は見せない。
 青白い顔に血の気はなく、眼差しは虚ろ。
 朝香は両膝立ちになり、目線を合わせた。
「叶子ちゃん……?」
 瞬間、叶子がすぐ目の前に現れる。その息遣いさえ感じられるような距離に肉迫されると同時に、目の前が白い光に塗り潰される――。

 光に縁取られ浮かび上がった世界にあるのは暗がり。この地下室だ。
 そこには誰もいない。
 感じるのは痛みと苦しみ、そして心細さ。

 やがて光は収束して我に返ると、徹に肩を支えられていた。
「見えたんだな。何が見えた? あの男の顔は!?
「……何も見えませんでした」
「でも今の反応は……」
「確かに見ました。でも叶子ちゃんは何も見ていませんでした。叶子ちゃんはここにいたようですが……」
「クソッ」
「ご遺族に話を聞きましょう。そうすれば、何か……」
「両親は事件に関係ないだろ。虐待の兆候もなかったわけだし」
「それでも眩映を見るヒントは掴めるかも知れません」
「……分かった」
 徹は不満そうな顔つきのまま、梯子を上がっていった。
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