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文字数 4,525文字

「かんぱーい!」
 居酒屋で三つのビールジョッキが、軽快な音を立ててぶつかる。
 席にいるのは朝香とその隣の真誉、向かいに徹。
 今日は朝香の歓迎会を兼ねた親睦会である。
 真誉は言う。
「残念ながら課長は家庭サービスに励むそう……で・す・が! 軍資金の提供がありましたので、みなさん、楽しくやりましょう!」
「課長、太っ腹ぁっ!」
 朝香が声を上げる。
 徹も子どものようにはしゃぐ。
「マジかよ! こりゃ酒が進むぜ!」
「先輩。もー! それ、いつもと変わらないじゃないですかぁ!」
 笑いが弾けた。
「朝香先輩もじゃんじゃん頼んで下さいね」
「ありがと。それじゃこのポークソテーとだし巻き玉子、オムそば、焼きおにぎり五つ」
 徹は唖然とする。
「お前、それ全部食うつもりか?」
「まさか。みんなで分けるんです。もちろん残ったら私が食べますけど。あ、焼きおにぎりは全部私のですからっ」
 朝香が言えば、真誉もびっくりする。
「先輩の胃袋、異次元にでも繋がってるんですか?」
「でも真誉だって高校時代、運動してたから食べる方じゃなかった?」
「食べましたけど、今はもう運動なんてしてませんし」
「そう? 私は今も変わらず」
「ほぇ……」
 真誉が間の抜けた声を漏らし、徹が苦笑する。
「その栄養が全部背に行ってて良かったな。今もまだ成長期か?」
「身長の成長は中学三年で止まりました」
「それはそれで凄いな」
「吉良さんだって食べるんじゃないですか?」
「まあな」
「高校時代に何かやってました?」
「何も。帰宅部」
「へぇ。イメージ通りと言えばイメージ通りですね」
 朝香が言うと、徹が訝しげな顔をする。
「何だそりゃ」
「情熱的で基本怠惰ですかね?」
「お前なぁ」
 真誉も便乗する。
「その通りですよね。先輩後輩とか屁でもないって思って無さそー」
「まあ。先輩後輩関係を押しつける奴には徹底的に逆らってたけどさ。でも今は公務員でちゃんとやってんだろ?」
 朝香と真誉は顔を見合わせてニヤつき、声を合わせる。
「ノーコメント」
「ったく。こんな楽しい席だってのに女同士結託するなよ。課長が来たがらない訳だぜっ」
 真誉は微笑む。
「課長って格好良いですよねぇ。ダンディズムっていうか……私、ああいういぶし銀の刑事さんって警察の世界には溢れ返ってるって思ったんですけど、全然なんですもん。ただのオヤジばーっかで」
 徹が苦笑する。
「おいおい。突然のオヤジフェチを告白するなよ」
「違いますってば。課長は、同じカイシャの人間として尊敬できるってことです」
「とはいえ、安置所の課長だけどな」
 朝香は櫛のつくねを頬張る。
「でも刑事課の尻ぬぐいを私たちがしてるんですからもっと自信を持って良いと思うんです。天下の捜一ですよ?」
 真誉はニコニコする。
「ですよねー、朝香先輩。過去の人たちがキッチリした仕事をしてくれれば、私たちは暇で良いのにぃ!」
 徹はぼやく。
「ま、うちは他の部署に比べりゃ良いよな。なんたって締め切りがないんだから」
 真誉も大きく頷く。
「その上! 朝香先輩が来てから格段に解決率も上がりましたし!」
「ふふ。真誉。そんなに褒めても何も出ないわよ? ――私が来る前は真誉も吉良さんと一緒に現場には行ってたの?」
 徹がよくぞ聞いてくれたと言わんばかりにニヤつく。
「あーそれなー」
 一方の真誉はといえば。
「あああああ! 朝香先輩! 明太子卵焼きとかもおいしそうですよ!? キノコたっぷり雑炊もありますっ!!
 真誉がいきなり挙動不審になる。
「こいつ、遺族と話してて被害者の思い出話になった途端、遺族よりも号泣するんだよ。車に戻っても泣き止まないから俺が気を遣う羽目になって……。俺はこいつのベビーシッターかよって何度思ったことか」
「だ、だって、泣けてくるんですもぉん……。朝香先輩はそういうことありません、よね?」
 朝香は苦笑する。
「そうね。でも泣かなくなることが良いことじゃないわ。被害者遺族に共感できるって、とっても素敵なことだと思うわ」
「ですよね!?
「もちろん聞き込み以外の時、だけどね」
「……ですよねぇ!」
 真誉はがっくりうな垂れた。
 その時、徹のケータイが鳴った。
 徹は画面を見ると、席を立った。
「彼女かな?」
 朝香が何気なく言うと、真誉が「ないない」と大袈裟な手振りで、否定する。
「そうかな。でも吉良さん、格好良いと思うけど」
 真誉がショックを受けたかのような表情になる。
「え。朝香先輩って……」
「違う違う。客観的に見てって話」
 真誉は少し安堵したみたいに頬を緩める。
「まあでも、あの性格じゃ長続きしませんよ。何か彼氏彼女の頃から亭主関白っぽいですし、ただでさえ刑事ってなかなか予定の組めない職種で、女性からは敬遠されてるのにぃ」
「――誰の何が長続きしないって」
 徹が戻ってくると、「あはははは! 何の話でした?」と真誉は誤魔化す。
 真誉は尋ねる。
「それで何の用でしたか?」
「――法条、犬童。事件だ。新宿署へ行くぞ」
「もぉー! こういう所だけがこのカイシャ、本当にいやぁぁぁ!」
 真誉の嘆きは、居酒屋の賑やさの中に埋もれた。

「――彼ですか?」
 朝香が聞けば、新宿署の生活安全課の刑事の尾之上(おのうえ)警部補は頷く。
 朝香と徹は、警視庁の取調室のマジックミラーごしに取調室の男を見る。
 氏名は三宮和忠(さんのみやかずただ)。年齢は五十三。広域暴力団の三次団体、寅屋(とらや)組の組員である。
 趣味の悪い太めの金のネックレスをつけ、髪を切れと言いたくなるくらいもっさりした髪型の男が、マジックミラーごしにこちらへ手を振っている。
 和忠は昨夜未明に売春斡旋で逮捕された。彼は新宿区内のガールズバーを経営しているが、それがいわゆる客と店員である女性の自由意思という建前の下、売春をさせていた。しかし新宿署の生安課が内定を進め、摘発された訳だが。
 尾之上は溜息混じりに言う。
「尋問している間に、不思議なことを言い出してな」
 過去の事件の重要な証拠があるとほのめかし、取引を申し出てきたのだ。
 2002年に起きた杉並区の公園で起こった事件らしい。
 尾之上は書類に目を通す。
「確かに三宮の言う通り、2002年の六月に杉並区内の公園の池で当時、十七才の少年の遺体が上がっているんだが、自殺として処理された。だがあいつは公園内で口論する二人の人間を目撃したと言ってるんだ。一方が一方を殴りとばし、一方が池に落ちたらしい。……正直、眉唾とは思ったが、一応連絡しておこうと思って」
 朝香は素早くスマフォで事件の概要を記載して、大森庁舎の方へ一足早く向かってくれている真誉へ送る。すぐに『了解です』と返事が来た。
 朝香は頭を下げる。
「ご連絡ありがとうございます」
 徹が言う。
「とにかく男の話を聞こう。そうすれば、ハッタリかどうかが分かる」
 徹を先頭に取調室に入るや、朝香の姿に和忠は口笛を吹いた。
「うぉ! お姉さん、マブいねえ! お姉さんくらいすらっとしたモデルの子、うちの店なら人気間違いナシだよっ!」
 朝香はうんざりする。
 和忠は年齢の割に、重みというものが一切ない。演じているのか、それとも素なのか。
「あれー? お姉さん、ほっぺ赤いねえ。もしかして飲んでた? 何飲んでたの? カクテル?いや……日本酒かなっ!?
 朝香が無言で部屋を出ようとすると、男は「待って待って! ごめんなさい!」と声を上げた。
 徹が尖った声をぶつけた。
「おい。自分が置かれている状況が分かっていないようだけどな、俺たちがお前を信じなきゃ取引は意味がないんだ。軽口も大概にしとけ。俺たちはいつだって席を立てるんだ」
 徹が凄むと、「こ、怖いなぁ。やめて下さいよぉ、刑事さぁん」と薄気味の悪い猫撫で声で媚びる。
 徹は獲物に食らいつくサメよろしく、和忠の周りを威圧的に歩く。
「いつ頃、お前はその公園に?」
「まあ、午後十時くらいかなぁ。酔いを覚ましてたんだよ」
「十時? まだ宵の口じゃないか」
「前の日の夕方から、ずーっと飲んでたんだよ」
「二十年以上前の話なのに随分と記憶力が良いんだな」
「そりゃそうだろ。目の前で子どもが殴り殺されたんだぜ? あんな衝撃的な事件はないって……」
 徹は鼻で笑う。
「随分、品行方正なヤクザなんだな」
「……俺は色事専門。正直、武闘派ヤクザなんて俺だってこえぇんだよ。舐められない為にそりゃ恫喝はするけどね? だからって人なんて殺したことねえもん」
「どうして通報しなかった」
「正気か? 俺が今、人が殺されてるのを見た!なんて言って、あんたら信じるか? 俺が殺したって思うに決まってるでしょ?」
「それはどうかな。そこがお前が全うな道に戻れるかどうかの、分水嶺だったんじゃないか?」
「……意地悪はやめて下さいよぉ。ね?」
 そこへ朝香のケータイに真誉からメールが入る。
『確かに自殺で処理。遺体には後頭部に殴られた後あり。しかし当時は池に飛びこんだ拍子に池の底に後頭部をぶつけたと判断。その影響で失神し、また池の中の水草に身体が引っかかり、溺死したと思われる。遺書はないが、遺体現場に折れたクラリネットが傍にあり。被害者は前の学校を退学しており、その悩みの果てに自殺したと思われていたようです』
 朝香はケータイを徹に見せつつ、和忠のどんよりと濁った目を見る。
「で、被害者はどんな風にして池に落ちたの?」
「頭を殴られたんだよ。死んだ子がもう一人に無防備に背中を見せていた所を殴られて、落ちた」
 これは想像でも言える。朝香は罠を仕掛ける。
「遺書が発見されたそうだけど……」
「遺書?」
「それが決め手になって自殺と判断されたの」
「おいおい。それじゃあ、計画殺人だってことかよ! うぉ! マジすげえ……って申し訳ない。いや、ミステリーみたいだなって思って。俺は遺書なんて見なかった。まあ、暗かったから見逃したのかもしれないけど……」
「殴ったもう一方は? あなたを見て逃げた?」
「いや。ありゃ衝動的な殺人って奴だよ。ミステリー的に言うと。言い争って殴って殺しちまった……ってね? 殴った後は一目散さ」
「口論の内容は?」
「さぁ? 揉めてることくらいしか分からなかったけど」
「被害者はどんな服を?」
「学生服だったかなー。こんなことを言うのはお恥ずかしい限りなんだけどぉ、ビビっちゃって……もう足がガクブルでぇ。良く覚えてないんだよ」
 良い加減、男の若者を気取るようなしゃべり方にうんざりしながらも朝香は聞く。
「何で殴ったかは分かる? その辺の石やレンガか……」
「リコーダーだ。折れたリコーダー! 間違いないっ!」
「……リコーダー」
 朝香は徹を見る。
 楽器のことは公にはなっていない。
 和忠は不安そうな面持ちで朝香たちを見つめる。
 徹は苦い顔でマジックミラーに向かって頷いた。
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