第94話 愛の呪い
文字数 5,116文字
自分の体のどこの筋肉や関節をどう動かして歩けば、どれだけ裾が美しく動いて見えるかよく分かっている。見せ場を作るのがとてもうまい女である。
軍人であり、ソシアルダンスの世界タイトルを持っているだけあるので、まっすぐ歩く。
孔雀は「
あの妹弟子の独特な感性で何言ってるのかはよくわからないが、とにかく自分が素晴らしいということだろう。
その証拠に、すれ違う女官や官吏達が会釈をしながら賞賛の視線を送って来る。
金糸雀は案外人気がある。男にも、女にも。
雉鳩や緋連雀と違って、取って食うような事はしないので、ちょっとした憧れの対象でもある。
象牙宮から戻って来た燕がげんなりした顔で総家令室に戻ってきて、あれは孔雀姉上じゃなきゃ無理だとぼやいていた。
あの弟弟子は皇太子の新しい恋人がそのまま継室に入るのではないかという妃殿下の心配をずっと聞いていたらしい。
金糸雀はそんなもんだろうと言ってやれ、と
だから正味十日で離婚なんだと、また過去の所業を蒸し返されたもので
まだ少年少女の頃、新郎新婦とお揃いの盛装をしたフラワーガールとリングボーイを務めた孔雀と燕は、喜んで参加したのに瞬く間に離婚されて子供心に傷ついたらしいのだ。
家令なんてそんなもんよ、あんた夢見がちねえ。と嗤い、燕がこのワニ女と言い返して、金糸雀がひっぱたいてやろうと手を挙げていた所に、翡翠が顔を出した。
彼はいつも孔雀を探しているのだ。
金糸雀と燕が礼をした。
「花石膏宮で婚活案内してます」
燕が言うのに、翡翠が苦笑した。
「なかなか手こずっているようだけど」
縁談が頓挫し、座礁し、空中分解し、今に至るようだ。
「天河様が、お年頃の姫君のように求める条件が高いし多いんです。孔雀姉上は土蔵の壁に結婚の申し込みをお願いしに行くしかありませんよ」
燕と翡翠は笑い出した。
孔雀が、二人にねずみの嫁入りの話を寝物語に聞かせていたからだ。
訳が分からず金糸雀は眉を寄せた。
「何のお話ですか」
「うん。ねずみの両親がね、自分の娘に世界一強いお婿さんを探してあちこちに聞きに行く話なんだよ。太陽とか、雲とか、風とかにね。風を遮る壁に行き当たって、娘をお嫁に貰ってくれませんかと聞くんだよ」
「ああ、なるほど。太陽を隠すのは雲、雲を吹き飛ばすのは風、風を遮るのは壁、と」
なるほどと金糸雀は笑った。
海外育ちの金糸雀には馴染みがない物語だし、そもそも幼児の頃から寄宿舎育ち。
それでなくともあの両親は寝物語や昔話など聞かせるタイプではない。
たまに聞くのは、姉弟子や兄弟子の血飛沫飛び散る武勇伝ばかりであった。
「まあ、では最終的にねずみは壁と結婚するんですか」
「いやいや。昔話というのはね。大体ちゃんとその世界で小さくまとまるようになっているんだよ。めでたしめでたしってね。壁に穴を開けるのはねずみだから、ねずみが一番強いんだよ、と壁に諭されるわけだね。それで親ねずみは、ちゃんとねずみのお婿さんを見つけるんだな。なかなか含蓄のある話だよね」
翡翠は感心したように言った。
「まあ。では私共の妹弟子は、まだまだ壁だの床だのに天河様のお見合い写真を持って行くかもしれません事ね」
「案外、近場で見つかると言う事かもしれません。孔雀姉上の苦労が実を結ぶといいけど、道は遠そうだな」
金糸雀と燕が笑った。
「では、私の孔雀を呼びに行ってくれるかな。一緒に夕食を食べる約束をしているからね」
月に一度の寵姫と過ごす日なので、翡翠は楽しみにしているのだ。
それで金糸雀は花石膏宮に出向いたわけだが。
遅くに皇帝の立場となった瑪瑙帝は後宮を持たなかった。離宮を好んで妻である皇后と暮らしていたので、当時から後宮には翡翠の
瑪瑙帝とその妻は金糸雀を可愛がってというか、家令同士の子であり幼い頃から海外の寄宿舎に預けられっ放しの金糸雀を心配して長期休暇の度に宮城や離宮に呼び寄せていたのだ。
両親たる梟も青鷺も、わざわざなんでだろうと本気で主夫妻の行動を不思議がっていたのだから家令というのは本当に育児の適性がないと思う。
母親である青鷺は翡翠の正室の芙蓉付きであったが、どうにも近付き難かった。
なんというか、美意識の高さと言えばそうだが、あの二人独特の完璧な世界観で造られた空間で自分は異分子であるような気がして。実際そうだったのだけれど。
そちらはもっぱら雉鳩が藍晶の遊び相手として出入りしていた。
雉鳩も王族の血を引いているし、確かに彼女たちの価値観には合致していたのだろう。
そしてこの花石膏宮は今は天河の持ち物であるが。その昔は、翡翠の継室である木蓮が女主人として暮らしていた。
金糸雀もまた彼女の学校ごっこに呼ばれてたまにこの宮を訪れていた。
実際本当に教員だった木蓮の授業は充実していたし、楽しかった。
翡翠が、本当に学校で使われている机や椅子や教材を取り寄せてくれて、案外本格的な授業だったのだ。
まだ十代だが、数ヶ国語を理解し難解な数式を解く自分に、勿体無いから家令なんかなるの辞めちゃえば、と言ったのも木蓮。
妃殿下様、家令にならないなら何したらいいですかと聞くと、彼女は大真面目に学校の先生よと言ったのだ。
それも良いかもねと翡翠が言ったのも覚えている。
良くないですと兄弟子も姉弟子も即答していたが。
女家令の子は家令。そう決まっているから。
まあ、何を言うのよ。子供が自分の好きな事をしたいと言うのならそれでいいじゃないの、と不思議そうに言った木蓮に、家令達はそういうわけには行かない。そもそも家令というのは職業ではない、これだからギルド出の継室はと苦笑した。
同じギルド出だからだろうか、孔雀はあの妃と言動がちょっと似ている。
何がダメなんだかわからないところがダメというか。
今考えても、翡翠と木蓮は愛し合っていたのだと思う。
まるで家令の我々のように。
自分の目から見ても姉弟のようだった。
木蓮が辛い亡くなり方をして、しばらくこの花石膏宮は無人になったのだ。
天河が海外の祖父母の元で士官学校に戻り、アカデミーに行くようになり、主が不在になったから。
人の出入りの消えた建物というのは、不思議なことに時間が止まったまま朽ちていく。
人の生活で受ける経年劣化よりも、人の暮らしの消えた方が荒廃していくのが、まだ若かった自分には何とも不気味に思った物だった。
それは、二妃が亡くなってから輿入れした三妃にもそう映ったようで。
彼女が自分が与えられて暮らしている宮を必要以上に華美に設えておくのはそういう事情もあるのではないかと孔雀が言った時、他の家令たちが何の事だ、そんなものだろう、妃が罪を犯して冷宮送りになるよりはマシじゃないかとその心情を理解出来なかったが、金糸雀は納得したのだ。
そして、孔雀が封印されていた宮に再び光をとでも言えば聞こえはいいが、物理的に屋根をとっぱらい壁をぶち抜いた。
天河様が好きにしていいって言うからと大改装を始めてしまった。
だって使ってないから、配管も傷んで、雨漏りもあちこちひどいし。大丈夫、柱残せばリフォームで行ける、増税されないからとかなんとか。
そして、だだっ広く三分の一をサンルームにしてしまうと、木蓮が育てていたオレンジの木を接ぎ木して増やし、たちまち木だらけにしてしまった。
久々に戻ってきた天河が、唖然として、まるでみかん山だなと言った。
「そうなんです。コンセプトは、みかん狩りができるおうち」
と自信満々で言った孔雀に天河は吹き出したのだ。
「どこに需要があるんだ」
「リフォームというものは、今あるよいものを活かす事が大事なのだとテレビでやってましたから。匠が仰っていました。世の中にみかん狩りをしたくない人なんているんですか?」とそれらしく言う。
孔雀にとって、花石膏宮のいいものは植木だけだったらしい。
それから、この建物自体も、関わる人々も、新しく時間が動き出したのだと思う。
かなり強引ではあったけれど。
金糸雀は天河の私室の美しい寄木細工のドアをノックした。
「失礼致します。家令の金糸雀が参りました」
と言うと、中から、孔雀の声がした。
「・・・金糸雀お姉様!」
珍しく切羽詰まった声に、金糸雀は異常を感じた。
金糸雀はドアを開けて中を伺った。
部屋が思ったより薄暗い。
いつもなら孔雀が、植木がたくさんあるから暗いし、暗いと光合成できなくなって、天河が酸欠になるかもしれないという極端な理由で早々と照明をつけているのに。
「何よ、明かりもつけないで」
カーテンすら閉めていない。
寝室の方から、自分を呼ぶ声が続いていた。
さすがにおかしい。
「嫌だわ、あの子、頭でも柵に挟まってるのかしら・・・」
異常な程の働きを見せたかと思えば、次の瞬間は側溝に落ちるとか、隙間に首でも嵌って抜けなくなって動けないなんて万に一つの事がありそうな妹弟子なのだ。
他に思いついた良くない予感に金糸雀は急いで全ての窓のカーテンを閉めて、リビングの照明はつけずに突っ切って寝室に向かった。
ほっとした様子の孔雀と、身動きをしない天河がベッドの上にいるようだ。
何があったのかなど、すぐわかった。
痺れを切らした天河の巻き込み事故だ。
金糸雀は寝室のドアを閉めて鍵をかけると、カーテンを閉めて、照明をひとつだけつけた。
薄明りに炙り出されて半裸の孔雀が泣きそうな顔で座っていた。
「黄鶲お姉様に連絡して・・・!」
金糸雀はベッドに横たわっている意識のない天河の首筋に触れた。
脈が弱い、体温が低い。
「・・・何時間?」
「大体三時間・・・。間に合わない、早く・・・」
何で自分で呼ばないのか、と金糸雀は不思議に思ったが、孔雀の右足首に紐が結んであった。
足首に血が滲んでいて、紐は端がベットの柱の足に結んであった。
天河がやったのだろう。
慌てて金糸雀がデスクからハサミを持って来て、手こずりながら紐を切った。
孔雀がベッドから飛び出そうとしたのを金糸雀が止めた。
「どうするの」
孔雀が、え、という顔で姉弟子を見た。
「黄鶲お姉様に来て貰って、天河様の検体からアカデミーの医局で緊急用の抗体薬を作って持ってきてもらう!」
「抗体薬の効果があるのは、接触から三時間以内なんでしょ。抗体作るのに一時間かかるって聞いたわ。アカデミーからヘリでも一時間よ。間に合わないわ。そのブロッカーも効くか効かないかなんてまだわからないらしいじゃない。ほっときな」
金糸雀が意識のない天河の頭を殴りつけた。
「自業自得よ。家令は要望があればいかようにもお仕えするけれど。こういうのはダメよ。・・・家令から王族を裁判には出せない。勝手に死ねばいい」
孔雀は絶望的な表情で姉弟子を見つめ返した。
その時、ドアをノックする音がした。
あ、あっちの鍵閉めるの忘れてた。と金糸雀がつぶやいた。
「失礼します。家令の雉鳩ですがー。天河様、そろそろ飯時だからって陛下が孔雀を呼んでまして。孔雀、いい加減にしろよ。どうせ、まとまんねぇんだから・・・」
雉鳩はかなりぞんざいな口調のまま返事も待たずに、ドアを開けて近づいて来た。
なんでこっち暗いんだよ、辛気臭えな。とか文句を言っている声がする。
孔雀がベッドから降りて、寝室の鍵を開けた。
「雉鳩お兄様、静かにして!」
「・・・何してんの・・・」
泣き出しそうな孔雀と、不機嫌そうな金糸雀、意識不明の天河がベッドに転がっているのに大体の事を察した雉鳩が、部屋に入るとドアの鍵を閉めた。
「裁判は無理だぞ」
「とにかく死なせるわけにはいきません」
「だから、ほっとけば?!」
金糸雀が怒鳴った。
「そうしたいのは山々だけどさ。仕方ない。どうする?」
「ブロッカーワクチンが間に合わないの・・・」
雉鳩が舌打ちした。
「ねちっこいな。三十分で切上げて、一時間で届けて一時間で検体培養して、一時間で届けりゃ間に合ったかもしれないのに」
呆れてため息をついた。
孔雀ははっとして顔を上げた。
「・・・セラム」
「
すでに孔雀の免疫がある翡翠の抗体を使えばいいのだ。
瑠璃鶲が残した対処療法の注釈にその様な事が書いてあったのだ。
「それなら城の医局のラボでやれるな。培養は三十分もあればいける」
「何て言うのよ?」
金糸雀が尋ねた。
その方法があるとして。
何と言って仮にも皇帝から血液を貰うのだ。
この有様を見せるのか。
それとも何かそれらしい事でも言うのか。
全く見当がつかないが。
孔雀は困ったように顔を覆ったが、覚悟を決めたように顔を上げた。