第33話 家令の生き死とは人事
文字数 5,199文字
梟が椅子に座って、ビールを片手に滔々と弟弟子に心得を聞かせていた。
川蝉に与えられた部屋は、自分が昔使っていたのと同じ角部屋だった。
内装はだいぶ違う。マグノリアの花と枝が美しく描かれた壁紙の洒落た部屋だ。
家令は城にそれぞれ居室を与えられるが、その中でも随分いい部屋だろう事は予想がつく。
じっとりと恨めしそうな視線に気づいた梟が二本目のビールを開けて、川蝉に手渡した。
川蝉はうまそうに飲み干すと、人心地ついたと呟いた。
「・・・まあ、話が長くなったが。お前も散々派手に遊びまわったようだし、そろそろもういいだろう」
「いや、まだまだあと二巡は・・・」
「もういいわ。お前とはマカオと、マリブで会ったじゃないか。十分だろう」
「私は特別休暇での行動ですが、梟兄上は平常勤務で遊んでいたわけですよね」
「・・・・あれは、機密任務だ」
苦しい言い訳をそのまま通し、梟はソファに座り直した。
「以前も言ったように、家令の最後は総家令が看取る事になっている。上の世代は戦時中に戦死した者が多く、その最後に総家令の同席は叶わなかったが。白鷹姉上は唐丸兄上をお看取りになっているが、私は無い」
「長たらしく、死ぬ心得を話しておきながら、自分は知らねえから分かんねえという事かよ」
ぼそっと言うと、梟が舌打ちした。
「家令の結婚も離婚も生き死にも人事だ。文句言うな」
半年程前。黄鶲が自分の体調が振るわない事を孔雀に報告した。
家令の情報は共有される物だからそれは当然だとしても、どうせ死ぬなら好き放題、酒池肉林の限りを尽くして死ぬのが家令の一般常識であるのに、あの妹弟子が川蝉お兄様に渡してと梟に持たせたのは、あちこちのホスピスの分厚いパンフレット。
色とりどりの付箋が七夕飾りのようにくっついてあり、《温暖な地域で海辺の近く眺望が最高》だの《マクロビオティックのお食事》とか《週に一度の文化活動あり》や《メディカルアロマテラピーと漢方治療が素晴らしい》等、いちいち記入してあった。
受け取った時にあまりに驚いて兄弟子を見ると、彼もまた理解しがたいという顔をしていた。
「勝手に生きて戦って遊んで死ぬのが家令だ。なんで孔雀がこう考えるに至ったのかはサッパリわからんが。ま、ギルド出で変わってるからだろう」
死ぬってのに、なんでこんな全寮制の矯正施設みたいなとこで苦労せにゃならんのだろう。と二人はパンフレットを嫌そうに眺めたものだ。
そんなやり取りが何度か続いて、川蝉は相変わらずお構いなしにあちこち遊びまわり、ついに孔雀が妥協したのだ。
そして一昨日。カンクンでリゾートを堪能していたところにまた梟が現れた。
「お前、いつ頃死ぬ予定だ?」
そのあからさまな兄弟子の言いように、さすがの川蝉も唖然としたが。
「翡翠様がな、孔雀がお前の死ぬところに駆けつける暇が無いんだから、だったらお前が孔雀の側で死ねとの事だ」
「はあ?」
梟にファイルを手渡された。
「陛下がお前を正式に招集する書類だ。七十二時間以内に登城しない場合、死ぬ前に殺されるならまだしも、このままだと城から一番近いホスピスに強制収監だ」
冗談じゃない、というわけで、今回十年以上ぶりに宮城に上がったわけだが。
平たく言うと、城で死ぬ許可を出したから城で死ね、という事だ。
川蝉は妙なことになったもんだとため息をついてビール瓶を垂直にして飲んだ。
「瑠璃鶲姉上がお亡くなりになった時は、孔雀が危篤の知らせを受けるたびにアカデミーまで何度も行ってたからなあ。・・・あれ不思議だな。コロっと死ぬやつはコロっと死ぬのに、危篤になるやつは何度もなる。お前、どっちだろうな?」
無神経の塊のような発言。
「・・・知りませんよ」
相変わらずと言おうか、いや、以前にも増してモラハラが酷い。
「・・・それで、陛下に置かれましては、ダラダラ死に損なってられたんじゃ孔雀の通常業務に支障が出る、と」
「そうそう。だって半年に一度の潔斎付きの神殿勤務もある上に、軍属もあるんだぞ。巫女総家令はこれだから。・・・それに、瑠璃鶲姉上が亡くなった時に、孔雀がだいぶ落ち込んだ上に寝込んだからな。翡翠様がそこを心配したわけだな」
腐っても家令。身も世も無くなる悲しみ方ではないが、あの妹弟子は瑠璃鶲が亡くなった時に、しばらく憔悴していた。それこそ翡翠が気に病むほどに。
本来、王族は家令含め廷臣の動向というか、生き死にもそれほど執着しない。
それが正しい王族のあり方だ。琥珀はまさにそうであったし、皇太子も近いものがあるが、彼としては孔雀に哀悼の意を伝えた。
翡翠は沈む孔雀をなんとか励まそうとあれこれ心を砕いていたのだ。
「・・・さっきも思ったけど。そんなタイプだったか?」
川蝉が首を傾げた。
「・・・おかしな事ばかりだ。あの偏食家がガツガツ刺身だのチーズだの桃だの食ってる。死にかけ家令に城で死ぬ許可まで出した」
川蝉は彼が十代の半ばから三十代に差し掛かるまで身近に側に仕えたが、あまり物事に執着しないというか興味もそれほど持たないタイプであった。無気力というよりは無頓着。
それもまた非常に複雑な立場と、特殊な人生を生きてきた経験のせいであろうかと納得していたのだが。
「十五の小娘をスケベ心で側に上げたと聞いた時は、ぶっ倒れるかと思ったわ」
しかもあの末妹の孔雀だ。宮廷育ちでもないギルド派に宮廷での総家令業など無理だろう。
「お前、死ぬ前に不敬罪で死罪になるぞ。まあ、女家令どもは、あいつ変態だったんか、世間一般なら逮捕だ、と言ってたわな」
そっちのがひどいだろ、なんて言い草だと川蝉は呆れ果てた。
「しかし。家令は十五で成人。変態相手だろうが一部の好事家相手だろうが、立派に仕事をしなければならない。最初はどうなる事とかと思ったけど、ちっくりちっくり距離を詰めて、今がある。ま、うまくいってよかったわな」
「皇帝と総家令は相思相愛だの、寵姫宰相だのの話は聞いていたよ。・・・でもありゃなんだ。まるで恋女房じゃないか」
ほお、と感心したように梟は弟弟子を眺めて「言い得て妙だな」と笑い出してしまう。
川蝉はまた面食らった。彼もまたこんな風に笑うタイプではなかった。
「梟兄上、笑い事じゃない。今はまだいいけど、何年かしてみろ。あれじゃ孔雀は生贄の子羊だろう。公式寵姫の役まで引き受けている」
皇帝の弾除けが総家令だけでは足らない時に重宝する公式寵姫。
王様が悪いのじゃない、あの悪い家令と、女に騙されてるのだ。という演出にもなる存在。
「それの何が悪い。安上がりで助かる、孔雀はコスパがいいと雉鳩は言ってるくらいだ」
「・・・・梟兄上・・・」
非難の目を向けられて、梟は肩をすくめた。
「今更どうする。俺はこれでいいと思ってる。あんな思いをするのはもうたくさんだ」
あんな思い、と言われて川蝉は押し黙った。
真珠帝と大鷲の事だ。
あの二人こそ相思相愛であった。
若き賢帝と呼ばれた皇帝と、優秀な総家令。
特に、川蝉の世代は子供の頃からあの二人が大好きであった。
引き裂こうとしたらどうなった、梟は呟いた。
「大鷲兄上の所在は・・・」
梟が首を振った。
「ずっと探してはいるんだがな。・・・さて」
沈鬱な声色に、この話題にした責任を感じた。
公式には病死とされている真珠帝の死の真相は、琥珀と白鷹の命令で、自分と翡翠が真珠帝を背信で討ったというものだ。
実際は真珠帝はこれまでと悟ったのか、責任を取ったのか、はたまた母王への抵抗か、自死していた。
その際に捕らえられていた大鷲が逃亡し、それ以来所在を全く掴めない。
「巫女愛紗姉上もずっとお気にされている。母親違いとは言え実弟だからな」
今は修道院長となった巫女愛紗は、家令の中でも最高齢だ。
彼女の義理母に当たる雷鳥という女家令が、後妻として嫁いだ先が状元と呼ばれる殿試で首席の官吏だった。
ところが、女家令の結婚がうまくいかないのは常か、数年後に離婚。
夫と先妻の娘である巫女愛紗と、自分と夫との子の大鷲を連れて宮廷に舞い戻り、その子は結局二人とも家令になってしまったのだ。
よくも夫たる官吏は納得したものだと思うが、当時の皇帝と総家令がもっと若い新しい嫁を提供して納得させたらしい。家令の進退どころか婚姻も離婚も生き死にも人事とは言ったものだ。
年の離れた弟である大鷲を巫女愛紗はとても可愛がったし、大戦中の困難な時期、大鷲は公式寵姫であり軍でも重責のあった姉をよく助けた。
大戦中まだ子供だった自分達世代の家令は、年嵩の大鷲に連れられて一時城を離れた事がある。
いわゆる疎開。上の世代の家令達が日々激化する大戦から下の世代を逃したのだ。家令の子は、雛鳥、鳳雛と呼ばれて、良からぬ輩に狙われやすい。
まだ自分達は物心ついて間も無くの頃。当時、もうすでに自分の親達はすでに戦死していた。
「家令が自分で身を隠したら、探し出すのは至難の技だよ。大鷲然り、真鶴然り」
真鶴。翠玉皇女。琥珀帝が離宮で産んだ、父親が公表されない皇女だ。
琥珀によく似た美しい姫。更には尋常ではない頭脳の持ち主。
真珠帝の政変の折に、煽りを食って正式に廃皇女にされ家令になったが。
なったらなったで、掛け値なしに素晴らしかった。
「・・・梟兄上。今だから言うけど、翠玉皇女は琥珀様に愛されたと言われていたけれど、あの方は本当にそうだったのか」
「・・・どうだろうな。琥珀様はまことに王族らしい方だったから。・・・真珠帝の政変があった折、皇女が障りになるのであれば廃して良いとも仰った」
川蝉はため息を飲み込んだ。
あの女皇帝なら、そう言うだろう。
廃してよい、というのは本来は、地位を剥奪するという意味だが、彼女の場合は、処分しろと言う事だ。しかし、白鷹が自分の裁量預かりという事で皇女を正式に家令にして守ったのだ。そもそも彼女の身の上のいずれ家令にという付随するものが、いつか廃されるかもしれないという事を見越しての白鷹の防衛線であったのかもしれないとも思う。
自らの皇子も皇女も、果たして真実愛していたのか怪しい彼女だ。
「白鷹姉上が、殺そうものなら真鶴に逆に私達が殺されてしまうと言って、琥珀様は笑っていたが・・・」
全く洒落にもならない。
そもそも王族、皇帝と言うのは大概が宮廷の備品たる家令の進退や命等あまり気にも留めないわけだから、笑い話にでもなるとしても。
だからこそ二妃の一件では、異例中の異例、特段のご配慮で自分達は処分を免れたのだ。
翡翠の二妃が亡くなった折も。それは早いうちから、隠そうともしない正室の所業である事は内々では知られていた。
当初は、宮城で妃を死なせた罪で、総家令代理であった川蝉、正室付きであった青鷺、二妃付きであった猩々朱鷺を、琥珀は処分せよ、つまり殺せと言ったのだ。
それともお前が裁判にでもするならそれでもいいけれど。お前弁護士なんだもの。妹たちと弟を弁護しておやり。と、梟に彼女は笑いながら言った。
家令が裁判にかけられて、どんな公正な審議が望めよう。
殺される相手が、他者の手か、もしくは家令の手かに変わるだけ。
白鷹は弟弟子と妹弟子の命を守るために、宮城から追放すると正式に通達した。
それは琥珀に逆らったわけであるけれど、それでもそれ以上の措置が無かったのは、女皇帝が白鷹の願いを聞き入れての事だろう。歪んでいるのだ、あの二人は。
「まあ。つまりだ。それが愛情ゆえと言うならば、我々はあの二人の愛憎に巻き込まれっぱなしだったということだ」
なんと迷惑な話だ。
「それに比べたら、まるで中学生のようなお付き合いの翡翠様と孔雀は、大助かりだ。今だに交換日記みたいのやってるしな」
冷蔵庫の前に、お互いのメモを貼り合っている。
川蝉としたら、総家令室に煮炊きの出来るキッチンがあるのが驚きだし、そもそも、総家令執務室と、皇帝執務室が繋がっているというのがどういうわけだと思ったもので。
「信じられるか。翡翠様は、孔雀と本当に今更恋愛してるんだぞ」
バカじゃないのかねえ、とそれこそ不敬な事を言い、梟はそれでも嬉しそうだった。
川蝉は面食らって黙った。
「嘘じゃない。本当だ。聞いてみな。・・・まるで素晴らしい何かに生まれ変わったような気分だと仰ってたよ。最近、何食ってもうまい。何見ても嬉しいってな。あの翡翠様が」
ついこの間までは、人生など早く終われ、早く終われと、そう思っていたのに。と。
「そう変えたのがあの末妹ならば。我々家令としたら名誉な事だ。王族を誑かし、血と争いを好むと言われる、この悪い鳥達がだよ」
梟は、自嘲でもなく卑下するのでもなく、そう思うのだ。
そう揶揄されるのは決して嘘ではないし、嫌いではないが。
「・・・ああ、だからさ。お前。あんまり頑張るなよ」
さっさと死ね、ということ。
更に質が悪いのは、この兄弟子はこの発言を気遣いや思いやりだと思っているのだ。
やはり身も蓋もないこの物言いに川蝉は両手を挙げた。
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