第17話 家令の素行
文字数 5,202文字
「・・・お紅茶、お嫌いでしたか・・・?」
心配そうに聞かれて
家令が茶を入れたぞともう驚きである。
家令というのは、自分で何もしないのだと思っていた。
宮廷の管理をし、暗躍し、戦争をし、神事を執り行い、外交、政治、建築から何からなんでもするが、およそ生活能力が著しく低いのには子供の頃から見ていて知っている。
小さな
それを見て、
もともと
それが、初めて茶などがうまいと感じた。
目の前のこの若い家令は、どんな魔法を使ったのか。それともよほど高い茶葉なのか。
「そんな。とんでもない。お城の厨房で見せて頂いたお茶なんて最高級のものですけど。これは、あの、二百グラムで八百円くらいです。あったから実家から持ってきたもので・・・」
「じゃ、どうして」
「温度と、時間ですかね」
困ったように微笑む。
それから、
驚くべきウブさで、こちらまで困惑する。
そもそも、確かに興味しかなかった。
家令等、どうせ素行が悪い。そもそもあの悪魔のような妹が仕込んだというでは無いか。
どんな手慣れた女だか、と。そう思って面白半分に召したのに。
あの堕天使のごとき様子はどこへやら、騒ぎの翌日遅くに、やっと現れた
「
なんでも出来るなんでも分かってるなんて思っていた自分が恥ずかしい。世界ってなんて広いの。私ったら生まれ変わらなきゃ、とでも言うような表情に、
「いや、こちらが悪かったのだしね・・・」
いや、あの皇妹が悪いのだ。
こんな娘に、何をどう教えて行ったのか。
「
「・・・勉強って、何するの」
それこそとんでもない話、と慌てた。
「あの、小学校五年生の為の保健体育っていう教科書毎日三回読みなさいって・・・。ご覧になったこと、ありますか・・・」
果たして何が正しいのか、もはや判断がつかないのだろう。
「私、家令になる為に小学校退学してまして。皆、あんなことちゃんと習ってたんですねえ・・・」
その言葉に
小学校中退とは呆れた。これは人権団体から文句が来るわけだ。
「・・・義務教育を中退なんてできるのかい?」
「教育を受ける権利と教育を受けさせる義務が満たされればいいということで、
あの女家令が教師、と翡翠は信じがたいものを感じた。
「およそ教員には向いていなそうだけど・・・。そんな
「
確かに。その二択では、と合点がいった。
人肉を喰らうダキニが、保育士など。鬼や怪獣の子でも育てる以外に需要がないだろう。
「なんだか、気の毒でならないんだけど・・・。何か困ったことがあるのなら言いなさい」
この度の一連の事柄に対して、自分でも意外な程良心の呵責を感じてならない。
「まあ、そんな。困り事なんていくらもありますけれど・・・」
兄弟子姉弟子の顔を思い浮かべたのだろうとわかり、目が合い、つい笑い合った。
「ではあの、姉弟子や兄弟子に聞くと、またきっと笑われるので・・・」
「あの、
可哀想なくらい困惑した表情のままで
何か高尚な
その分自由な時間が増える、と考えたからなだけだ。
父親の身分が劣る二番目の子の自分の身の振り方等、あの元女皇帝と
戦場に送り込む為に家令達でも医学部に進学するように決められた者も多い。
「あの、教科書に書いてあることって、本当なんですか・・・?」
姉弟子が持ってきた教科書の内容が信じられないのか、信じたくないのか。
「私が何も知らなかったばかりに、大変なご迷惑をおかけしました・・・」
母親に当たる琥珀帝の総家令だったあの女家令の恐ろしさはよく知っている。
大戦の折は戦場を共にし、さらに戦後処理に明け暮れた。
彼女達の信頼というか愛情は、全く
さらに今回も
今更、あの二人のやる事に驚きはしないが、よくもまあ
「ああ。いいよ。どうかもう、そんなに落ち込まないで。・・・昼間、三妃のところに行ったって」
通例通り、
三妃は、議会派が推した妃で、後宮に入って六年程。
「はい。
妃に近い年の者が多く控えていた。
三妃の宮に出入りする女官長以下五役の高位の女官と数人の年嵩の以外は、実際は官位がない特任女官の女達らしい。
実家からお連れになった特任女官の面々、と事前に
彼女が輿入れするに当たり彼女の実家から出された条件のひとつである。
驚いた事に、
「彼女は家令があまり好きではなくてね。困ったものだろうけれど、悪く思わないでやって」
通常それぞれの宮には家令が配属されるのだが、三妃は拒否して、ある日から特別勤務の女性職員が配属されたのだ。
とにかく、家令を身近に置きたくない一心というのが、そのいわゆるゴリ押の理由。
「・・・実際、
あの美貌の女家令は、子供の頃から女官と嫌味の応酬どころか、こてんぱんにやっつけては騒ぎを起こしてばかり。その度に、女官長や
母親である
昼間も三妃の女官に
「男家令が、一人二人、入れば違うとは思うのだけどね」
「でも、
本来の宮廷女官ならばそれほどの心配もない。
家令の何たるかを心得ているし、家令と結婚した女官や官吏、軍人も居なくはない。
特に女官もなかなかのもので、恋愛関係になった家令の方がやり込められる事も少なくなかった。宮廷、というのはそういう華やかな、いわゆる浮ついた場所でもあるが、
そういう点では、宮廷女官というのは非常に
しかし、私設女官となるとどうだろう、と
三妃付きの女官の振る舞いを見ても短時間ではあるが、よく教育された秘書とか世話係とか使用人という印象を受けた。
職員、スタッフとでも表現に値するような。
本来、女官とその宮の女主人である妃の関係というのはもう少し家庭的、家族的なものなのだ。
それがだらしないとか、プライバシーに欠ける、と思うかどうかは人ぞれぞれだろうが。
まあとにかく、三妃宮職員たる彼女達に、家令である自分達はどう見えているのだろう。
宮廷人にありがちな色恋沙汰をすんなり
例えばと問われて、孔雀は具体的にいくつか思い出話を披露したが、自分で嫌になって首を振った。
「・・・家令の素行不良等、お耳汚しでございました。・・・あの、でも、あの人たち、悪い人じゃないんですよ。どうぞお
こんなに笑ったのは久しぶりだった。
「夜はここにいてもいいよ」
「いえ、ご正室様にご挨拶に伺えるのは楽しみなんです」
しかし
「私達に家令の所作でありますとか、心得の手ほどきを教えてくださったのは青鷺お姉様ですから。青鷺お姉様がお仕えしていたご正室様にお目通り出来ますのは嬉しいです」
今夜は正室の元に訪問する事になっていた。
物腰の美しさや柔らかさ、教養の高さを若い頃から皇后に愛されたらしい。
家令達は所作をその姉弟子に叩き込まれていたが、結構な厳しさで、お上品に締め上げられ、
「
城での勤務は許されなかったが、式典への出席は許された。
二妃が後宮で死んだ事で
それを皇帝にねだったと言われたのは、だから本当だ。
「あの時はああする他無かったんだよ。元老院は、家令を全員裁判無しで投獄するつもりでいたからね」
「家令など、投獄されたら死刑ですからね。でも、この度の陛下の恩赦を面白くない方もいらしたと思います」
心残りは三人の家令を城に戻す事は出来なかった。当時、総家令代理だった
「
「あの時、
「家令の婚姻は人事です。何より、陛下の奥方様方を守れなかったのは確かに我々の落ち度です」
孔雀は
奥方様方、と言うからには、事の真相も知って居て、家令は本来どちらの命も身の安全も名誉も守らねばならなかったという意味だ。
こんななりでも、やはり家令なのだ、と翡翠は思った。
同じ事を
終身名誉職の典医でもある
「
そうだといい。本当に、そうだとどれほど救われるか。