第116話 隕石硝子の間《テクタイトホール》の求愛劇
文字数 5,208文字
部屋のあちこちにある大きなガラスの花瓶に満開のヒヤシンスが六百株程生けられていた。
ヒヤシンスは、冬の厳しさを知り初めて咲く花。
半年に一度行われる、謁見儀典という名の儀式が、今では半分は宮廷に関わる人間達、その家族の交流会になっていた。
花見にも早いこの時は、季節の花も果物も少ない事を残念がり、総家令が就任間もない頃から水耕栽培を始めて、今では恒例だ。
最初の頃はヒヤシンスの水耕栽培など、子供の実験だろう、と宮廷では笑われたが、予想に反して気品のある花の様子と香り高さに、かなり好意的に受け入られている。
今年は今までなかった、熱帯の花と思われる鮮やかな花も生けられていた。
もとは城の外の人間が、宮城の人間に会うための応接室や、簡易的な会議室が8室設置されていたのだが、孔雀が全ての部屋の壁を抜き、天井に天窓をつけて、更に庭に直接出れるような設えにした。
普段はいくつものベンチが日差しの中に置かれて、社交場にもなっている。
王族、元老院、議員、ギルド会員、そしてその家族が招待されていた。
大きな円環のテーブルを中心に皇帝が座していた。
その横に、総家令が立ち、家令達から資料を受け取っては何か言い、それを皇帝に伝え、皇帝が何事か返す。微笑み合い、たまに小さく笑う様子がなんとも仲睦まじい様子で、と嫌味を言う者や、苦笑する様子も恒例。
この儀礼的な行事の方の出席率がよい理由は、いわゆるシナリオのある報告会が行われた後、その後に食事会があるからだ。
継室、女官、官吏、軍人、そしてその家族が集まる内輪の会でもあり、設宴では食事には手をつけない皇帝が、この時ばかりはくだけた様子であれこれ口にするのも理由。
円環を囲むように序列に従い、二重三重になって準正装した人々が見守る中で質疑が続けられていた。
北の前線がほぼ消滅し、各々の領地の先に共同統括地の都市が作られているという事。
当初、危険を伴う北総督府の首長に第二太子を送り込んだという事で総家令は大分叩かれたものだが、状況が大分落ち着き、三国の間で表面上はとても穏便に開発が進んでいる事でその声もほぼ聞かれなくなった。
円環卓にはつかない軍服の式典服姿の近衛兵である禁軍の面々や、元老院、議員、ギルド会員達、美しい誂えの女官達、華美に成りすぎないほどに堅苦しくないほどに華やかに着飾った招待客の女性達があれこれ小声で話をする声もさざ波のように聞こえる。
議題が全て修了し、皇帝のサインと、総家令の押印の証明、と雉鳩が宣言し書類を全員に見せた時、皇太子が発言を求めて立ち上がった。
孔雀が、あら、と優雅な女家令の礼をした。
この場で何らかの質問や、いわゆる廷臣に褒賞の提案もよくある事。
雉鳩は仏法僧に速記を続けるように指示した。
全て公式に残さねばならないからだ。
翡翠は頷き、発言を許可した。
「総家令に一つ提案がある」
「皇太子殿下。承ります」
前回は確か、この場に居合わせた女性全員に、ちょっとした装飾品の贈り物の話だった。
王子様からの思わぬプレゼントに女性達が大喜びだったのは言うまでもない。
同時に、元老院の議席の入れ替えという話もあり、何人かが入れ替わって来春にはちょっとした席替えとなる予定だ。
今日は、進まぬ継室の件か。
雉鳩は、面倒くせぇな、と心の中で呟きながらも艶然と微笑んだ。
さっさとお開きにして宴会にするつもりだったのに。
孔雀が兄弟子の様子を察して、少しくらい待ってよ、と口の動きだけで返した。
孔雀は改めて、皇太子に向き直って礼をした。
その様子を舞台でも見るかのように人々が見入っていた。
この皇太子は、これでなかなか社会派な提案もする場合もあり、更にマメなので、女性からの求心力もある。
金糸雀に言わせると、マスコミでも受けのいい三妃と共に宮廷の素晴らしい広告塔らしい。
ちょっと引く天河様やアンタのような身の上より、ああいう影のないものを大衆は求めてるのよ。
思う存分アピールに使わせて頂く、というのが姉弟子の意向。
昔、翡翠の即位式典の時に
しかし、
その後、白鷹がまさに鬼のように激怒していたのは言うまでもないが。
昔の事を楽し気に思い出しながら、孔雀は藍晶を促した。
「記録は取っているか」
「はい。確かに公式文書用に書き留めております」
仏法僧が立ち上がり礼をした。
ならいい、と藍晶は言った。
「陛下」
孔雀ではなく、今度は父王に向き直った。
「先程、総家令への提案と申し上げましたのは、私の継室入宮の件です」
翡翠が頷いた。
「それは総家令が決める事だ」
翡翠に直談判ということは、御法度のマスコミ、宗教、金融関係からアプローチだろうか、と孔雀はちょっと不安になった。
元老院も議会もギルドも反対するだろう。しかし、皇太子がどうしてもとなれば、孔雀としては彼の意思を押し通すつもりでいた。
思った通り、元老院、議会、ギルドの代表、また見物している官吏や女官からもため息や反感、好奇のざわめきが聞こえた。
プレイボーイで名を馳せるプリンスが継室を自ら選んだというのか、と誰もが興味津々。
さて、皇太子が念を押して公式記録に残させるこの状況で、総家令は何と答えるか。
いつもは、エレガントだが、厳しい表情で周囲に目と気を配っている女官長も眉を寄せて成り行きを見守っていた。
総家令は皇太子と対時すると、礼をした。
「・・・長い間、お待たせして申し訳なく思っております。私共家令の力不足でございますことをまずはお詫び申し上げます。正直を申し上げまして、私は藍晶様がお望みになります方、望んでくださる方がよろしいと存じます」
総家令が折れたのか、とまたざわめきが起きた。
「例えば、前例にない場合でも」
「どのようなお立場の方はわかりかねますけれど、もし、そうとなれば出来うる限りのご準備をさせて頂きます」
確約を取った藍晶は、満足気に皇帝に向き直った。
「だそうです」
翡翠は表情を変えずに頷いた。
周囲が息を飲んだ。
わざわざ皇太子が宣言して約定を取り付けるからには、禁忌とされている身分の者を迎え入れるつもりだろう。
この皇太子は、元老院のそれもとびっきり高位の正室を母親に持ってはいるが、そもそもリベラル派なのだ。
それによってまた宮廷の勢力図がどう変わるか、と人々は興味でいっぱいだ。
次の皇帝は藍晶ともう決まっているのだ。
否応無く宮廷内のパワーバランスは変化するだろう。
雉鳩は、やれやれまた一悶着ありそうだ。どこのどんな女を連れてくる気なのやら、と仏法僧を振り返った。まあ、どっちにしろあの妹弟子に面倒事は押し付ければいいわけだけれど。
速記帳を覗き込むと、真面目な弟弟子は、きっちりと書き記していた。
「それでは、早い方がいいな」
そう言うと、藍晶は総家令の前に進むと、おもむろに膝を折った。
悲鳴に近いざわめきというよりどよめきが、があちこちから漏れた。
「孔雀。どうか、私の総家令に。それが無理なら継室に」
もともと気の多いタイプだが、この皇太子が膝を折った事など誰も見た事がない。
孔雀は驚いて藍晶の手を取った。
「まあ、なんてこと。藍晶様、いけません。太子様がそのような」
お立ちになって、身分というものがございます。と孔雀は
不機嫌なのは翡翠で、不愉快だと書いとけ、と仏法僧に小さく呟いた。
困惑した孔雀が、一旦書くのやめて頂戴、と言ったが、雉鳩が面白いからいいから書けと指示した。
仏法僧は三方からの指示に躊躇ったが、雉鳩に、周りからは見えぬように脛を蹴りつけられて、またペンを走らせた。
「総家令は二代に渡って皇帝に仕えることはない」
翡翠が短くそう告げた。
「確か、二人の皇帝に仕えた総家令がいると記憶しています」
孔雀が頷いた。
「はい。
それに、二百年は前の話だ。
この王室では、双子が玉座につく場合は共同統治となり子供が産まれた場合はどちらもが母親、あるいは父親という立場であるという決まりがあるのだ。
この女皇帝達は、唯一正室も継室も持たなかった王として記録に残っている。
しかし、
翡翠は、へえ、そうなの、と孔雀を見た。
孔雀は小声で翡翠に囁いた。
「・・・・はい。実際は。いつも同じ物を欲しがるお二人が要求した双子の正室も継室も花鶏お兄様が用意できなかった為の措置だったそうです」
簡素な程質素でシンプルな彼の日記からは、苦渋の決断感が溢れ出ていた。
花鶏総家令による日記には、正室も継室も拒否する女皇帝二人に「私達が二人いるのに、お前が二人いないからいけないのよ」と今日も陛下方に言われた、と言うような一文が残っていた。
結局は双子女王に我儘にも愛された結果なのだろうが。
「・・・藍晶様。私は翡翠様の総家令です。私の北極星は翡翠様おひとりです。どうぞ総家令のご拝命の名誉は私の兄弟姉妹に頂ければ嬉しく思います」
私のお星様は貴方だけ、と言われて翡翠は上機嫌。大事な所だからちゃんと書いときなさい、と翡翠から仏法僧にまた指示が飛んだ。
孔雀本人は当然のように言ってのけるが、なんと熱烈な告白なのだろうと周囲は驚くばかりだ。
「では継室は。総家令はもとは継室候補群の出。無理のある話ではないはず」
そうだ、そう言えばこの総家令は、継室候補群の家の娘だった。宮廷への貢献度はかなり低いけれど。
孔雀は困ったようにため息をついた。
「まあ、それこそ無理というものです。私には相応しくありませんものね」
それは、恐れ多い事でございます、というよりも。
だって私、貴方のこと愛してないもの、という表情。
広間に、この皇太子がフラれたという衝撃が走った。
袈裟斬りに振られた皇太子本人が一番ショックだったのは言うまでもないが。
「それに、藍晶様、あのう・・・理由がございまして・・・」
と総家令が恥ずかしそうに頬を染めて、多少もじもじしながらも口を開いた。
「私事ではございますけれど、私、天河様と、あの、いわゆるその、お付き合いを・・・」
きゃ、言っちゃった!と孔雀は赤くなって口元を押さえた。
しんと会場が一瞬静まり返った。
書かなくていい、と翡翠が言ったが、仏法僧は涙をのんで書き記した所で。
今までにないほどのどよめきが広間に満ちた。
あのとばっちりで前線送りになった不遇の二番目か?!
皇帝と総家令に厭われて不毛地帯に封じられたはずではないか。
皇帝も公認なのか、と、もはや周囲を憚らないどでかい声で人々は言い合った。
家令達は腹を抱えて大笑いし、皇帝は更に不機嫌。
懸念の皇太子は、驚きの表情で総家令を見上げた。
「藍晶様。そういうわけです。ねえ、びっくりしましたねえ。・・・・あら」
軽やかなハープの音楽が流れた。
「お昼ですね。まあ、遅くなってしまったわ。皆さんお腹おすきでしょう。では今日はここまででよろしい?今日はお天気がいいので、お庭でいかがですか」
孔雀がそう言うと、燕が広い庭園に続く扉を開け放った。
いつになく気温が上がり、風も軽やかだ。
皇帝が立ち上がり、孔雀がまた優雅に礼をし、まだまだ熱気と困惑冷めやらぬ人々もそれぞれの礼を返した。