第113話 首を持つサロメ
文字数 7,086文字
白鴎が夕食、孔雀が朝食と分担し、孔雀は夜勤後朝食を用意して一時間程前に寝たと金糸雀が言った。
別に宮城にいるわけじゃないんだから、普通に寝ればいいのにと言うのだが、ここは離宮ではないのでと孔雀は言って、あいわらず宮城にいる時のように仮眠を繰り返す生活。
部屋に入って、金糸雀が顔を輝かせた。
「カーテンが違うと随分印象が違いますね。よろしいですこと」
部屋が暖かみのある明るいものになった。
いいだろう、と天河も上機嫌だ。
燕はテーブルに皿を並べた。
朝から、助六寿司やら、茶碗蒸し、冬だというのに桜餅まである。
天河が好きなメニューばかり姉弟子が作っていたのだ。
こっちまで甘やかされ始めた、と燕は苦笑した。
「金糸雀、先日、孔雀が言ってた・・・」
金糸雀が聞かれるだとろうと予想していたもので、頷いた。
「首が、という件ですね。・・・正式に文書が残っている訳ではもちろんありません」
金糸雀が微笑んだ。
確かに、金糸雀や雉鳩は絵画的な美しさだ。
二人とも、画面映えがする。だからこそ報道官としての職務もこなす。
更に彼女は宮廷の中も外も心得たものなので後宮でも金糸雀が勤務につく際は人気だ。
「孔雀が総家令になりまして間もなく程の事です。私の部隊が前線で二手に分かれて活動をしていたのですけれど。副官の部隊が捕まりましてね。援護に回った私共まで・・・。全て私の未熟ゆえの失態でございます」
陸軍の金糸雀の率いる部隊は十二羽の
戦場の切り込み隊長と呼ばれる海兵隊も真っ青の、陸軍の精鋭の突撃部隊。
「それで、私共の救出活動に集められたのが、当時一番近くで演習していた海軍。その時、調度鷂お姉様と孔雀が軍役についていましてね。まあ、軍は縦社会ですから、部隊を指揮したのは
妥当な人事だが、天河はちょっと、と手で制した。
「・・・孔雀は、十八まで前線にも実戦にも出てはならぬと皇帝命令がでなかったか」
間違いない。あの過保護な翡翠が決めたはずだ。
「ですから、蜜教なわけです。実戦にも前線にも出ない総家令なんかいるかと梟お兄様が言いましてね。だったら孔雀という名称を名簿にあげなきゃいい、というわけです」
天河があまりなことにため息をついた。
孔雀が蜜教という名前で軍役についていたという記録文書は目を通したが、どのような勤務内容だったのかは知らない。
「孔雀は真鶴お姉様について十二から軍に入っています。あの子は、一通りなんでもこなしますし、ステルス乗りです。飛ぶものは得意ですよ。どちらかと言ったらコントロールの方が得意ですけれど。機器がなくとも、ジェット機だって降ろす程」
冗談だろうと天河は金糸雀を見つめた。
「ほら、天河様。以前ご帰国の際、ハイジャックされたでしょう。あの時、私と大嘴がご一緒させて頂きましたが」
確かに、母が死に、宮廷を一時出て大嘴と海外の祖父母の元で数年を過ごした。
時期が来て、また宮廷に戻るという時に、当然のようにお迎えにあがりましたと現れたのはこの美しい女家令だった。
宮廷の専用機をとの梟の申し出を祖母が退け、ギルドで所有している飛行機を使ったのだが。
スタッフに、テロリストとされる人物が紛れ込んでいたわけだ。
しかし家令が二人も乗っていたのが彼らにとって運の尽きだった。
怪我をしたパイロットは運転できず、金糸雀が着陸の操縦桿を握ったわけだ。
こうなっては騒ぎになると踏んだ梟が、国内の一番近くの空港に着陸させる事にしたのだが、不運というのは重なるもので、当時、超大型台風の来襲真っ最中で近隣空港が停電した。
戻るほどの燃料もなかった。復旧作業に猩々朱鷺が電線持って空港を走り回っていたが、時間がないと判断し、この状態で飛んでるものを降ろせるのは真鶴と孔雀だけだと金糸雀が梟に伝えたのだ。
「あの時、梟お兄様がガーデンから孔雀を連れ出して来たんですよ、ドーナツ一箱で。あの子ったら急げと急かされて、おさげとワンピースとつっかけサンダルのまま」
思い出して金糸雀は楽し気に笑った。
機長、副機長共にハイジャック犯に暴行されて、代わりに操縦桿をに握り、機体を地上に降ろしたのは金糸雀だった。
インカムの向こうで、風速や方向の情報が流れ、次々と孔雀の指示でいくつもの機体が交差し、降ろされ、飛び上がってく様子は、想像だけでも興奮した。
地方都市の小さな空港のレストランのベランダでおさげ姿でぴょんぴょん跳ねながら手を振っていた姿を思い出すと未だにおかしい。
孔雀は、自分のいるベランダと操縦席とをぴったり並ぶように着陸させたのだ。
ベランダに売店で買ってきたらしいレジャーシートを敷き、その上に直接油性ペンとダーマトグラフで、びっしりと航空図と計算式を書いていた。足元にドーナツの箱とジュースが置いてあった。
その場に陣取り、姉弟子を迎えるために待っていたのだ。
「あの時、国の半分の制空権が、一時的にですが、全て孔雀に委ねられたわけです。梟お兄様が小狡い手をあれこれあちこちに使って、殿下の搭乗されている機体を軌道に乗せて着陸させるまでに許されたのは十八分。その間に同時に他の軍用機と民間機、ドクターヘリも含めて、百十一機。全て、あの子がそれぞれの空港や病院に降ろしたんですよ」
燕は改めて驚いた。
そういえば、そんなことがあった。
突然梟がヘリでやって来て、ドーナツを孔雀に手渡して、ガーデンから連れ出したのだ。
燕、これで私達一年間は梅干しに困らないわね、と嬉しそうな姉弟子と、天日に干す梅干しの土用干しを手伝っていた時だ。
その翌日遅くに、ついでに実家に寄ってきたと言って山のような菓子を抱えて帰ってきたのだ。
何してきたのかと聞くと、梟お兄様にドーナツ買って貰って、金糸雀お姉様を空港に迎えに行ってレストランで海鮮丼食べてきて、一緒に実家に寄った、と答えたから、てっきりそうなんだとばかり思っていた。
天河が、ちょっと青ざめながらそれはわかった、言った。
「・・・それで」
「ああ、話が脱線しました。失礼しました。・・・それで。その時、私、捕まりましてね。まあ、戦場で。しかも前線。女が、しかも女家令が捕まりましたらどうなるかなんて」
まるで他人事のようにそう言うが、思い当たって燕は息を飲んだ。
「国際条例があるだろう」
「弁護士資格のある私が言うのは問題があると存じますが、それは天河様・・・」
バカじゃないの、という顔をされて天河はさらに不安になった。
「救出は早かったのでね。回復も早かったんですよ。ただ孔雀が泣いてどうしようもなくて」
それはそうだろう。大事な姉弟子が凄惨な目にあったとしたら。
真鶴お姉様がいたらこんなことにはならなかった、と孔雀は言ったが。
きっと、真鶴は救出になど来たかどうか。
彼女は常に自分を基準に物事を考える。自分中心、自己中心というと何とも人間的なコミュニケーションスキルに問題があると思われるが、そうではない。
自分と、自分以外、というくくりなのだ。
そこに、例えば、孔雀や淡雪がぽっかりと存在していることが驚きなのだ。
不思議なことに家令という立場を彼女は割と気に入っていた。だが、やはり、彼女は王族に他ならないと思う。
だって、多分、彼女なら、家令が何やってんだよ。後は得意なんだから裁判にでも引きずり出してやんなさいとでも言っただろう。
孔雀は、わんわん泣いた後、すぐにA国と政治取引を始めたのだ。
前線は一旦退く。その代わり、金糸雀を捕えた部隊の長を出せ、と言った。
勿論、いつものように優雅ではあったが。
裁判かと渋る大統領に、彼女は、いいえ、この件に関しては一切の裁判も交渉も今後拒否致しますと言った。
「どんな政治的交渉があったかなんて、これは孔雀と翡翠様しかご存じないけれど。悪名高きチーム蜜教と言ったところでしょう。とっ捕まえてきたわけです。体が回復しましてから、孔雀に連れられて行った場所に、あの男がおりましたよ」
自分の手を取って、お姉様来てと孔雀はまるで楽しみな買い物や食事にでも誘うようににこやかに言った。
宮城のかつて牢であった地下室の一室に、家令達が何人か居て、鷂が金糸雀にまるで三日月のような形の刀を投げてよこした。
「昔の刀だってさ。孔雀が見つけてきた。凶器だよ、こんなの」
と言う彼女も、妹弟子を辱められて怒っていた。
しかし、それ以上に孔雀は怒っていたのだ。
「先週、貴方は戦死なさいまして。英雄として手厚く葬られたそうです。良かったですこと。国からご家族に褒賞が与えられたそうです。もう心配ありませんね」
孔雀はそう身動きのできない男に優しく語りかけた。
金糸雀は一瞬体をこわばらせた。
自らも、そして部下にも自分を与えた男だ。
意識はあるが体が動かせないようだった。おそらく筋弛緩剤が、絶妙に配合されているのだろう。
「黄鶲お姉様に検査して貰ったから、大丈夫よ」
「何が・・・?」
と訝しがる金糸雀に、孔雀がちょっと頬を膨らませた。
「肝炎とか。感染症よ。不運なご病気ならお気の毒だけど、そうではなくて、このおじさん、素行がよろしくないの。何かうつったら大変じゃない」
孔雀がそう言ったのに、さすがの鷂も肩をすくめた。
「固いとこは私がやってやるよ」
頚骨の事だ。
いくらなんでも頭がおかしいだろう、と思ったが。
金糸雀はまるで別の人格が湧き上がるような憤怒の感覚に揺さぶられて、その刃を、男の頚に当てて力一杯押した。
昔のもので装飾の宝石や象嵌が欠けてしまっていたり刃が錆びていたりしていたがとても頑張って修復したんだから、と言う様な事を説明する。
姉弟子にこの為に使わせようと用意したのだ。
ほらいい、似合う、とってもすてき、と新しく誂えたブローチでも出来上がったかの様に金糸雀に微笑む。
「ユディトみたい?」
「そうね」
西洋画を好む鷂と孔雀がそう囁きあっていたのを聞きながら、金糸雀は何度も肉に刃をめり込ませた。
敵の将軍を誘惑して寝込みを襲って殺した寡婦の名前だ。
思ったほど血が流れないのはきっと、黄鶲が血が凝固する薬を入れたからだ。
しかし、やはり、一番固い首の骨を断つ事は出来なかった。
金糸雀は、執拗に何度も刃を立てた。
見兼ねた姉弟子が、金糸雀の手を刀の鞘と反り返った先に這わせた。
「女ひとりの力じゃ難しいよ。ちゃんと持ってな」
そういうと、一番反り返った刃の真ん中めがけて、どんと体重をかけて足を下ろして踏みつけた。
男の頚は胴体を離れて、床に転がった。
孔雀は、その頭を拾い上げて艶のあるメッシュ素材の布に包んだ。
手術で使う、ポリマー入りの血を吸う新素材なのだと言った。
血液濃度が高く血が止まりやすいとは言え、やはり赤い血液がみるみる染みていった。
「鷂お姉様、ビニール袋と、そこの氷入ってるスチロール箱とって」
「・・・サロメがビニール袋と発泡スチロールじゃ様になんないよ。マグロのカマ買ってきたんじゃないんだよ」
鷂が文句をたれた。
サロメと言われて孔雀が、こんなひと嫌いよ、と言った。
愛しい男が自分のものにならないのを恨んで、王にいっそ首をとねだった若き王女の名前。
よく絵画の題材になる。
せめて後できれいなお盆にでも載せるわ。と孔雀は笑った。
ドアを開けると、梟と千鳥が立っていた。
孔雀が抱えているものを蝙蝠と言われる立場の千鳥が一瞥する。
「・・・女家令というのは恐ろしいな」
姉妹の報復にここまでするのか。
「あら、千鳥お兄様が同じ事されても、私こうしますよ。・・・梟お兄様行きましょう」
梟は頷くと、千鳥は来るなと言った。
「茉莉は関わるべきではない。お前の半分の血にまだ救いの余地があるから。・・・孔雀、落っことすなよ。今更落っこったって文句も言わないだろうけどもな」
「じゃあ梟お兄様が持ってください」
「嫌だよ。汚れる。俺は服は常にこざっぱりしてるのが好きだ」
「そんなの誰だってそうよ」
二人はまるで買い物帰りのようにそう言って廊下を進んでいったのだ。
半分自失していた金糸雀を鷂が抱きしめた。
「あとは孔雀の出番よ。・・・じゃあ、ヴァカンスにでも行くといいわ。お前への労いとして翡翠様がボーナスと休暇をくださった」
姉弟子にそう言われてはっとした。
「本当に翡翠様はご存知なの・・・」
こんな、残酷でどうしようもない兇行を許したのか。
「孔雀のおねだりよ」
あのサロメ、と鷂が歌うように言った。
「・・・あの首、どうするの、あの子」
鷂は首のない胴体を足で蹴り上げた。
「こいつの上司が上で緋連雀に接待されてベロベロよ。そのテーブルに持っていくって」
鷂はとんでもない娘だわとけたけたと笑う。
自分もまたおかしくて仕方なかった。
昔語りをするように金糸雀が天河に顛末を話した。
「普段なら無愛想ににこりとも笑わない緋連雀が、大統領副官の横で、孔雀が首を持ってくるのを今か今かと
戦場になど出ないシビリアンの出世街道をひた走ってきた彼は、人の屍体などまともに見たことがないのだ。
しかも、こんな状態の。
しかし、家令は、戦場で凄惨なものは見て来た。
特に孔雀は、幼い頃から。
「どうぞ、こちら
そう言って。
「・・・・例えば何十年かして、英雄のお墓からなぜか処刑された頚だけが出てくるのは不思議でございましょうね」
そう笑った孔雀や緋連雀は、まさに悪魔のように見えただろう。
悪魔はあっちよ、私がしたのは悪魔退治よ。と孔雀は後々まで言うが。
話してしまうと、燕は青ざめていたが、天河は驚くほど静かだった。
「・・・・天河様。いかに殿下が孔雀を好ましく思ってくださっても。我々含めてあの子は家令。殿下のお気に染まぬことも多いでしょう」
天河が眉を寄せた。
お気に染まぬ、だと。
「それは、俺の問題か」
お前らの問題じゃないのか。
金糸雀は表情を変えず頷いた。
「現に翡翠様は、孔雀を頑張ったねと褒めて下さって。ご褒美にと、ご存知でしょうか、あの見事な宮廷所蔵のNo.9のブラックオパールを下さいました」
あまり家令服を脱ぐ事のない孔雀が、ここ一番という時の盛装で身につけるものだ。
天河も見た事がある。
まあ、あれは9番よ、陛下が総家令にご下賜したのね、と女官達が驚いていたのを覚えている。
今であっても、皇帝からあまり個人的なものを欲しがらず、改装工事ばかりしたがり、設宴で使用する皿や茶碗ばかり欲しがる総家令の数少ない宝物の一つであるとは宮廷の誰もが知っている事実だ。
天河が押し黙って、もういい出て行け、と短く言った。
慇懃な程丁寧に金糸雀は礼をすると、部屋を出て行った。
天河の私室を退出し、廊下に出てしまうと、燕は何とも地に足のつかないような気分だった。
孔雀が選んだ不思議なモザイク柄のランプが廊下を温かく照らしていた。
金糸雀が、たまらなく腹が減ったから孔雀が用意した間食用の食事を食べてしまおうと言ったのに答えずにいると、金糸雀は燕の鼻をぎゅっと摘んだ。
燕は驚いて姉弟子を見た。
「意地ばかり悪くて根性のない貴族や王族はまだしも、家令があんな話で青くなるんじゃないよ。覚えときなさい」
「・・・すみません・・・」
戦場でも軍事法廷でも議会でもマスコミの前でも、怖いものなしの姉弟子に、そんな辛苦の過去がある等、知らなかった。
上の世代の自称、
「でも、金糸雀姉上・・・天河様に孔雀姉上の事、あんな風に申し上げなくても良かったんじゃないですか・・・」
あれでは天河が気の毒だ。
王族にしては珍しく、いわゆる感性が一般的に近い彼にとって、孔雀のあの話はショックを超えて事件だろう。
「いいんだよ。・・・孔雀が言ったんだから。天河様から自分の事に係る正式な文書請求が出たら全部出せ、何か聞かれたら全て答えろってね」
「だからって。別に全て知る必要はないでしょう。翡翠様だって知らない事は、あるはずだ」
は、と金糸雀が嗤った。
「いいんだよ。あの方は、孔雀が何だろうがいいんだから。今の今まで、翡翠様から、孔雀が何したかなんて文書請求された事、一回もないよ」
愛が深いから、なんてあの男は自分で臆面もなく言うが。
「孔雀は翡翠様の為に今は生きてるけど。チビのうちから家令やってこれたのは、真鶴お姉様の為。私らの芯はやっぱり真鶴お姉様だもの。・・・でも孔雀のそれがさて今はさにあらずと判明した現在、翡翠様はまだしも天河様じゃ真鶴お姉様の代わりにはなれない。だとしたら、居ない方がいい、というのが、白鷹お姉様と梟お兄様の見解」
なんと、不敬な。
燕はさすがに面食らった。
「そういうわけだから。・・・孔雀は、今度はそっちとも戦わなきゃなんないわけ」
金糸雀がああもう、とため息をついた。
「あのババアとオッサンはまあ置いといて・・・。真鶴お姉様だよ、問題は。完全に天河様、敵だと認識されたよねえ」
あの二番目、どうせならあの時死んでたら問題が減ったんだよねえ、二回も命拾いしちゃってさあ。と、とんでもない事を言いながら、金糸雀はまた弟弟子の鼻を指で弾いた。