第90話 軍神寵姫
文字数 5,179文字
「家令には、戦争の栄光の歴史が少ないからです。だから白鷹お姉様は琥珀様に許可を頂いて、いいところばかりクローズアップした戦史を残したけれど。・・・でもやはり、私共に取ったら、白鷹お姉様と梟お兄様の上の世代の家令は
何かになろうと思った時、希望とか、そういうものが必要でしょう、と孔雀が言った。
「それと。結構、巫女愛紗お姉様の事が書いてあるじゃないですか。私共は軍に入ったら兄弟子姉弟子の下につきますから、まあ流れとして直属の上の世代の考え方を仕込まれるわけですけど。巫女愛紗お姉様は公式寵姫に入ってしまったので下の世代は誰もちゃんとは習っていないので。当時の兵法と言いますか状況が詳しく書いてあるのでとっても参考になるんですよね」
「・・・そうでしたか。確かに巫女愛紗殿は当時のなんというか、畏れというよりは憧れの対象でしたからね。軍神寵姫と呼ばれていた。私もあのように強くて美しい方がいるのかと感動致しまして覚えております。黒曜様の宮廷を早くお退きになりましたが、惜しい方を亡くしたものです」
戦争終結の見通しが経った頃、戦場で受けた傷を抱えて公式寵姫を辞して城を去ったのだ。
艶色家だった黒曜帝が飽きて追い出したのだろうと言われている。
「え?生きてますよね?西の修道院長ですもの」
「は?」
「結構ピンピンしてますよ。戦争と出産一回以外特に何もしてないから、あとは私消耗してないからって自分で言ってましたもの。巫女愛紗お姉様、本当に何もしないんですよ。修道院長なのにいいのかなあって思うくらい」
五百旗頭は身を乗り出した。
「・・・ご存命なんですか・・・?」
「あら。ご存知なかったですか。まあ、引退家令の動向なんか知りませんよねえ」
「・・・出産、という事は・・・」
女家令の子は家令。それくらいは知っている。
「黒曜様のご寵子という事ですか・・・。では、巫女愛紗殿は王夫人ではありませんか。そのような女性を修道院にお払いになったのですか・・・。黒曜様も酷な事をなさったものだ。なんと、なんとお気の毒な・・・」
ぶるぶると震えだし、今にも泣き出しそうだ。
ちょっとした寸劇でも始まってしまいそうなのに、翡翠が違う、と首を振った。
「相手は女家令だよ。そんなわけないから心配しないで。じいさんの子じゃないし。三下半をつきつけられたのはじいさんで。ま、誰の子かはわかんないんだけどね。女家令だから不問」
孔雀が笑っていた。
「そうなんです」
「・・・では、誰が、その子に当たるんです?」
「猩々朱鷺お姉様ですよ」
ええ?と五百旗頭は驚いた。
確かに、あの女家令もえらい美貌だが。
「待って、待ってください。となると、緋連雀は・・・」
「巫女愛紗お姉様の孫ということになりますね」
へああ、と不思議な声を出して、五百旗頭は一度立ち上がり、また座った。
怒ってる時は冷たい飲み物がいいらしい、落ち込んでる時は温かい飲み物で、さて、びっくりしている時はなんだろうなどと翡翠と孔雀が話している。
「・・・・やっぱり、あれかな」と、翡翠が言ったのに、「まあ、翡翠様、まだお昼間・・・もう夕方ですね。・・・まあいっか」と、孔雀が差し出しのは、シャンパングラスだった。
翡翠はうまそうに飲んでいた。
五百旗頭も、戸惑う手で押しいただき、一気に飲み干した。
「・・・私も宮廷が長いですが、知らぬことが多いのに驚きました・・・」
「ご存知なくて当たり前ですよ、こんなこと」
「いえ。我々禁軍は、宮廷の外廷も内廷もお守りする為におります。知らぬ、ああそうですか、というわけにはまいりません。これは私の落ち度でございます。全くもって面目無い」
わあ、鸚鵡お兄様みたい、と孔雀が呟いた。
融通が利かないというか、真面目と言うか、一途というか。
孔雀はふと思い当たった。鸚鵡のその正しい情熱を一気に向けられた真鶴は、きっと戸惑って、持て余してしまったのだ。
けれど、正しい事をしているはずの兄弟子に、同じ気持ちで姉弟子がきちんと向き合った事はなかったろう。そもそも真鶴はものの善悪の判断が自分本意なので、他人の正しいに自分が合わせる事もしない。
かくて、未だに鸚鵡は、北の地で報われない愛を継続中なのだ。
しかし、そろそろ役に立って貰わなければならないし、ならばいつか真鶴の前に引き立てて、改めて兄弟子の存在を確認させたい。
これは孔雀の個人的な希望だが、真鶴だって責任を取るべきだ。
巨大な惑星のようにそこらじゅうの隕石も何もかも引き寄せて。相手が粉々になっても、知らぬというのは酷すぎる。
五百旗頭は、深くため息をついた。
「私共が、愚かにも陛下に背信奉ったあの時。息子可愛さの親心も勿論ありました。欲をかいたのも本当です。・・・長く、禁軍から正室も継室も出ていない。ご次代も藍晶様と決定しているのだから、我々にその機会はないという焦りもありました」
五百旗頭家からは、女官長を二人も出しているが、禁軍とは本来、もっと王に近いものなのだ。
それを遠ざけたのは、家令でもある。
白鷹と梟は忘れまい。泥沼が進む大戦で、余力のあるのは禁軍だけであったが、最後まで、黒曜は前線に禁軍を出さなかったのだ。
そもそも先帝と前総家令との間の子であり、そのおかげで他の太子や皇女を押しのけて皇帝の地位につけたのだ。家令達は自分達に近しい存在の黒曜をひたすらに守ったが、果たして彼はどうだ。
五百旗頭は、ため息をついた。
家令というのは、一騎当千。それだけ、金も時間もかけられて育つ。誰もがそれに相応しい優秀な人材だ。当時戦死した家令達を幾人も覚えている。
今、宮廷で、または外部団体で活躍する家令達の親、または祖父母に当たる世代の者達。
宮廷に関わる人間の子供は、幼い頃から宮廷に出入りするからよく覚えている。
基本的に宮廷を管理するのが仕事の家令だ。
官吏や女官や禁軍、貴族の幼い子供達を可愛がった者も多い。
前皇帝と家令の子であったという女家令がいて、よく厨房でこしらえた菓子を振舞ってくれた。同じ家令の子という立場もあり、黒曜からも信頼されていたが、彼女もまた、一番戦況が悪化していた時期に前線で戦死したのだと聞いた。
見捨てたのだ。我々は。
彼等はどれほど無念であったことか。
孔雀が首を振った。
「いいえ。家令というのはそういうものです。誰一人として、戦場で死ぬのを恨みに思う者はおりません。当時は一部の軍人の他は主に徴兵制でしたし。徴兵された者は民間人です。とすれば、最初に死ぬのは家令で当然。私共は、戦争で一番最初に死ぬのは家令であるとそう言い含められて育ちますから。・・・ただ。遺された者の気持ちは」
遺された白鷹も梟も、恨みつらみでいっぱい。
でも、遺した方は彼らに対する愛情でいっぱいだった。
それは、亡くなった瑠璃鶲が孔雀に教えた事だったけれど。
もう、悲しい思いや辛い思いをしすぎて、可哀想に白鷹も梟にも届かないから、響かないから、と彼女は、下の世代に伝えることにしたのだ。
それが呪いを解く方法だもの。と。
猩々朱鷺に、黄鶲に、川蝉に、鷂に、木ノ葉梟に。戦場で親を亡くした家令の子供達に。
それが生きて、彼らの世代は、すっかり自由に身軽に育ったわけだけれども。
五百旗頭は改めて目の前の孔雀を見た。
この女家令は軍では緋連雀と
孔雀が苦笑した。
「・・・緋連雀お姉様はイケイケドンドンですからねえ。まあいいんですけど。でもほら、戦争って、全員が戦争で死ぬわけじゃないじゃないですか」
五百旗頭は頷いた。
戦闘そのものより、食料不足、怪我や病死、はたまた不慮の事故、腹ただしいが内部での傷害事件というのも多い。
「・・・緋連雀お姉様からは、お前は帰る事ばっか考えて。そんな軍人まともに働けないんだよって、いつも怒鳴りつけられるんですけど」
もうその勢いったらすごいんですから、と思い出して、孔雀は翡翠と笑った。
「・・・でも私の目標は。行ってきますと出ていったのとなるだけ同じまま、無傷なまま、できたらちょっと太らせて。奥様とか旦那様とか、恋人の元にお返しする事なんです。ね、翡翠様」
おかしな目標だが、二人で決めたらしい。
「前は考えもしなかったけどね。仕方なく
無関心であった事をあっさりと認めるのにも呆れたが、それ以上に、変わった、という事。
変えたのは、確かに、この総家令なのだろう。
寵姫宰相と揶揄されるが、宰相寵姫と呼ばれないのは、確かに意味があるのだろう。
「目標が低いと怒られるかもしれませんけれど。私、五百旗頭様のお父様のご著書拝見しまして。どうやって勝ったかより、どうしたら負けなかったかばかり気になってしまって・・・」
兵法の歴史書としてはなかなかの出来よ、あのじいさん王立図書館から貴重な蔵書出せって言って資料にしたんだから。機密資料もあるからコピー取るなよって言ったのに写真200枚ぐらい撮りやがって!同じだわ!と木ノ葉梟が怒りながらも太鼓判を押したのも頷ける内容だった。
内外の戦史も詳しくまとめてあったのだ。歴史を分かつ決戦の数々のその軍や戦争の栄光ばかりを見てそれを糧に邁進してきた緋連雀に対して、多分、彼女は、戦争の凄惨さや暗部ばかり覗き込んできたのだろう。
五百旗頭は少し息を吐いた。
この女は近隣国から何と呼ばれているか。
ルシファー、悪魔の王だ。
最近では政治的報復で戦艦を二つ撃沈させた。
だが、確かに、一つは報復で粉砕した。緋連雀が。
しかしもう一艘は、沈めたは沈めたが、乗員はほとんど死んでいないのだ。
ギルドの商船を総動員して、ほぼ全員を救出したのだ。
何をどうしたのか、長く鎖国状態のQ国にも内密に援助を依頼していたという話だ。
彼女は、救ったのだ。
緋連雀は、何をしようが恐れられ同時に賞賛もされる。
しかし、総家令は、いつまでも、殺戮を命じた悪魔だ。
「・・・・何というか、あなたは、気の毒な事ですな」
「それこそチャンネルやタイプというやつでしょう。私にはどうもピンと来なかっただけ。緋連雀お姉様はアンテナが立っていて向いていたタイプ。・・・それに、励ましてくださる方がおりましたから」
孔雀が嬉しそうに翡翠を見た。
幸せそうに翡翠はその笑顔を受けた。
五百旗頭は、ふう、とまた息を吐くと、腹を決めた。
「なるほど、愚息ならば、軍中央から前線に長年軍医として出向していたという経歴が都合がいいのでありますな」
「はい。黄鶲お姉様と一緒に、軍医として難民キャンプでも長く勤めておりましたので、前線の諸事情に詳しいですし。・・・それもまた、とってもぴったりでしょう」
「・・・なるほど。難民キャンプの軍医で人命救助をしていた、と」
「はい。鸚鵡お兄様と黄鶲お姉様が関わっている医療救助団体のNPO法人があるのですけど、そちらを翡翠様が叙勲という形で表彰するおつもりなんです」
駄目押しでアピールしたいのか。なかなか腹黒い。
「あれですか。イメージ戦略というものですか」
「いいえ、ただ、正しいものを正しい位置に。星がそうあるように、という事です」
その物言いに五百旗頭は思い出した。
この総家令は巫女家令、神殿の神官でもあるのだ。
古来から、神官は、天を仰ぎ、星宿を読み、未来を予言すると言われていた。
そういうものか、と五百旗頭は頷いた。
「では、それが正しいと天は示しているという事ですか」
孔雀は首を振った。
「あらまあ、いいえ。いわゆる統計学はございますけど。まあ、それに従う必要はないわけですよ。私達は人間であって、人の都合と意思というものがあります。今思う、最良をするだけです」
五百旗頭は首をかしげた。
「・・・人は天の意思に従ってて生きるのではないのですか」
驚いたように孔雀は目をぱちくりさせた。
「・・・えっ」
「は、我々、そう習いましたが・・・」
大変、と孔雀は隣の皇帝を見上げた。
「まあ、翡翠様、そうなんですか」
「さあ、戦時中はそうなんじゃないの。でも無理なんじゃない。だって種別が違うから」
「そうですよねえ・・・」
と二人は頷きあっている。
戸惑うばかりの五百旗頭は宇宙人でも見るようにしていた。
翡翠はだってねえ、と身を乗り出した。
「考えてみなさい。猛獣の法律や文化に、鳥類が従えるわけないじゃないか。やる気がないとか以前に、無理なんだよ」
天の意思、神を、猛獣と表現する皇帝に、まことにその通り、ご慧眼と頷く巫女家令。
頭がおかしくなりそうだ。
五百旗頭はここまで、と礼をして立ち上がった。
孔雀もまた優雅な女家令の礼を返した。