第61話 片翼の猛禽
文字数 4,138文字
「大戦中に大鷲が、まだほんの子供だった弟妹を連れて疎開した先で、大鷲を捕らえて
黒曜帝の兄に当たる王族により、戦中と戦後の混乱期に大鷲の所在が分からなくなったのだ。
彼は
それを知った白鷹は激怒し、琥珀が真珠を差し向けた。
真珠によって救い出された大嘴は、衰弱してしばらくは社会生活が送れない程だったそうだ。
その後、白鷹が怒りに任せて
そもそも白鷹こそ
人肉を屠るダキニというあだ名が定着したのも頷ける所業だ。
社会的にも、命もまた救われた大鷲が、真珠を慕うのは当然だろう。
真珠や大鷲を知る世代の姉弟子や兄弟子がたまに真珠や大鷲の話題をする時に、本当に相思相愛だった、と自分たちの方が愛し気に言うのを聞いたものだ。
だからこそ、孔雀は彼の成れの果てを知るのが怖かった。
その大鷲が、妄執の果てにどんな変貌を遂げたかなど。
けれど、と孔雀は微笑んだ。
「・・・北の遺跡の石棺に、真珠様の
ああ、と合点がいったように翡翠が頷いた。
「真珠には、肩にね。翼の刺青があったんだよ。不思議なことに片翼でね」
「大鷲お兄様にも、片翼の彫り物があったそうです。まあ、では、両翼がやっと揃って飛んで行けたんでしょうね」
だからか、と孔雀は合点が行った。
「大鷲お兄様のお墓に真珠様の首を入れたら、大きい鳥が飛んでった」と梟に告げると現実主義の彼であるがなんとも言えない表情をしていた。白鷹にもきっとそれは伝えられて、あの姉弟子は人知れずわんわん泣いたに違いない。
あの二人は、大鷲をいつか弔う為にも自分を家令にしたのだから。
あの気難しい性格の破綻した姉弟子と兄弟子の気持ちが少し救われたのならと今はただ嬉しい。
木ノ葉梟にお土産と羽を一枚渡してその事を話すとそれは嬉しそうに笑っていた。
「羽根は、それから燕にも」
燕は小さな頃から趣味で標本ケースに様々な鳥の羽根を収集しているのだが、その風切羽がなぜ自分のところに来たのか薄々分かっているようだ。
「木ノ葉梟お姉様が体を張って守った形見ですからね」
燕が木ノ葉梟と大鷲の子供である事は白鷹も分かってはいるだろうし、他の兄弟子姉弟子も数人は知ってはいるのだろうが、誰も詮索はしなかった。
「どんどん似てくるもの」
翡翠は面白そうに言った。
後ろ姿など、たまに驚く。
翡翠でさえそうなのだ。大鷲を本当の兄のように慕った世代の家令達など、気づかないわけもない。
「・・・そうですか。日記でしか私は大鷲お兄様を知らないわけですが。それに、どっちもとっても焼き餅焼き」
孔雀は笑った。
大鷲本人はそんな素振りを全く見せなかったらしい。
けれど、日記には、真珠の正室がどうの、継室の話は何としても阻止しなくちゃ、新任の可愛らしい女官を真珠が気にしている等、孔雀はつい微笑ましくて笑ってしまうような事がちらほら書いてある。
燕が仏法僧にやたら噛み付くのも、その好青年ぶりが受けて女官や官吏に人気だからだ。仏法僧宛にプレゼントが届くと、燕は添えられた連絡先を軒並みシュレッダーにかけているらしい。
孔雀が、シュレッダーの受け箱が、きれいなリボンの切れ端だの、カードと思われる色鮮やかな紙でいっぱいなのを不思議に思って雉鳩に聞いたら、燕の仕業だと分かったわけだ。
「実行するあたりは、母親に似たんだろうね」
木ノ葉梟は、小粒ながら破壊力はすさまじいと、小型爆弾だの、空軍所属である事からコカトリスと呼ばれるだけはある気の荒さ。
加えて、戦後に育った世代特有の自由で大胆な性質。
困ったもんだと翡翠は苦笑した。
「あの世代が真珠や大鷲に抱く気持ちは特別なものだよ。大体一緒に宮廷で育ったしね、小さい時は宮廷の大人から
妖精と小鬼ではだいぶ違うようだが。
そんな暴れん坊の
まだ少年少女だった彼らが、大好きな兄弟子とその彼が慕う皇帝の側で育つ事が出来たというのは幸福な事だと思う。
大戦が終わって、嵐が吹き荒れる前のほんの短い間ではあったが、確かに彼らにとって穏やかに過ごした輝くような時代がこの城にはあったのだ。
孔雀は、自分は知る事のないその時代にそっと想いを馳せた。
ふと翡翠は不思議に思った。
「羽根は、三枚と言ったけど。木ノ葉梟と燕と?」
「鷂お姉様のところです」
ああ、と翡翠は頷いた。
あの女家令は、真珠帝の公式寵姫だった事がある。勿論政治の都合、人事ではあるが。彼女もまた生贄になったのだ。彼女は、真珠帝と大鷲を守る為にその立場を引き受けたが、結局、守ることはできなかったと、悔やんでいたから。
猛禽の風切羽を手渡した時、鷂はいつまでも大切そうに見つめていた。心許ない子供のような顔をして。そんな顔をする姉弟子を見るのは初めてで、不安にさせたかと少し後悔した程。
それで良かったのだと、翡翠は言った。
改めて翡翠に礼を言うと、それと、あの、と孔雀が恥ずかしそうに顔を上げた。
「・・・翡翠様、私、思わぬ長逗留の間に、二十歳になりました」
と、分厚い書類を取り出した。孔雀の処遇を巡って、翡翠がサインをした契約書だ。
孔雀の二十歳の誕生祝いという名目の、ただの宴会の最中、鷂に渡されたのだ。
「あんたが無事二十歳になって翡翠様が無茶な事言わないようなら、渡そうと思ってたの」
これで、翡翠が国際人権団体に訴えられる心配もない。
「あの、それと。千鳥お兄様が来てくれて、治療も済んだそうです」
綴られたカルテも差し出す。
もちろんこれは対翡翠に限るとの事で、乱倫に走ってはならない。その後のことは追々考えよう。と、家令にはならなかった彼は、真面目に生活指導までして帰った。
乱倫、だなんて、久しぶりに聞いたけど、アレ
翡翠もそうに違いないと思った。
あの茉莉は今でも消えた皇女を忘れる事はないのだ。彼が心や身を持ち崩す事がないのは、それが理由だろう。
翡翠は、ファイルと、治療経過のがカルテを眺めた。
確かに、家令達から自分への答えであり、心遣いであろう。
「・・・では、これを」
翡翠は孔雀の二十歳を祝おうとあれこれ用意していたのだ。
祝杯をと孔雀が生まれた年のワイン、宮城で保管している宝飾品と、孔雀が欲しがっていた御料牧場の計画書を並べた。
孔雀が目を丸くした。
宮廷所蔵の目録十一番の
雉鳩と金糸雀の書類作成署名がついている。
「来月の設宴にはこれをつけるといいよ。孔雀が死んだら次の総家令には雉鳩だ金糸雀だと噂していた者にはいい薬だよ」
翡翠の寵愛は変わらないと示すことになるからだろう。
「でも私が死んだら雉鳩お兄様、金糸雀お姉様。それは本当のことですよ」
「とんでもない話。何が何でも私が先に死ぬ」
翡翠の決意表明に、孔雀はそっちの方が困るのだけどと笑った。
それよりこれ、と資料を手渡される。
「御料牧場・・・。こんな立派な。よろしいんですか。宮城の東側に。・・・まあ、お狩場を半分も・・・」
お狩場と呼ばれる広大な森を半分程整備して牧場を作る計画書。
翡翠は好まないが、黒曜帝や真珠帝は狩りを好んだらしい。最近では藍晶が社交の場として利用していたが、以前、藍晶を慕うご婦人方の嫉妬に巻き込まれて、馬とそのご婦人達と孔雀が怪我をした事があり、それ以来立ち入り禁止になっていた。
孔雀が翡翠から貰った子羊や子山羊はすっかり大きくなってしまったし、大嘴が催事の大食い大会で譲られたプレミア牛等がいて、何とか世話をしていたのだが、翡翠がきちんと牧場を整備する予算を用意したらしい。
「厩舎も新しくしようね。そろそろ遠出もしてやらないと可哀想だから」
宮城が所有する馬達が何頭かいるのだ。
青写真を見せられて、孔雀は歓喜した。
元乗馬のオリンピック選手の翡翠の父の名前が監修として書いてあった。
「椿様がいらっしゃるんですか?」
彼は琥珀が離宮に移って以来、自分もほぼ実家に戻り、今では広大な土地で競走馬や競技馬を飼育している。
「うちの馬達は孔雀に甘やかされてるからね。
翡翠が笑った。椿の調教は厳しいのだ。
「楽しみです。私もきちんと乗馬習ったことがないから、教えて頂けたら・・・」
それにしては見事に乗りこなす。
「うちは、母と祖母がウェスタン乗りなんです。祖父と父がイングランド。私も母に連れ回されたので。小さい頃、たまに母とファーストフードのドライブスルーに馬で行くと。マイクが遠いから、私が棒に紐でくくられて、注文する係」
おかしな話に翡翠が吹き出した。
孔雀はあまりピンと来ていないようだが、彼女が戻って来た事がどれだけ嬉しいか。どう言えば、骨の髄まで女家令の孔雀に伝わるだろうか。
「皇帝は北極星。総家令は天の北極。なんとも大袈裟な話で自意識過剰な連中だと正直バカにしていたけれど」
孔雀は翡翠の話に頷きながら、少し悲しそうな顔をした。
そう自分達を納得させなければ生きて死んでいけなかった兄弟子や姉弟子達を思い出すのだろう。
「でも今は、そうありたいと思うし、そうあるように努力をしたいと思うよ、私の天の北極」
自分でも驚くほどそう断言して、翡翠は孔雀の手を取った。
孔雀はしばらく黙っていたが、そっと顔を上げた。
「翡翠様。私達家令は皇帝の備品と言われますけれど。お心を頂いてようやく人の身分を得る事が出来るようなもの。私、どれほど嬉しいか・・・」
報われる、と言うのはこれ程嬉しいのか。
きっと、白鷹も、大鷲もそうであったろう。
「例に出すには、ちょっと素行と縁起が悪いメンバーですけれど・・・・」
ひとしきり笑うと、二人はそっと抱き合った。