第19話 初めて共有したのは罪
文字数 4,491文字
翌日から孔雀はまたベッドに逆戻り。
螺鈿宮を出て、来た道の水晶回廊《すいしょうかいろう)まで戻った時、「ちゃんとつっ返したのかい。それともひっかけてやったの」と問い詰めた緋連雀を見上げて、孔雀は「ごめん、飲んじゃった」と呟いたのだ。
「なんか、やっぱり気持ち悪くなってきた」と青い顔で言われて慌てた緋連雀は大急ぎで孔雀の私室の浴室に妹弟子を引っ張り込むと、口に手を突っ込んで吐かせて水を飲ませた。
「このバカ!」と孔雀を怒鳴り、驚いて様子を見に来た燕に向かって黄鶲を呼んでこいと更に怒鳴りつけた。
燕《つばめ)に話を聞いて顔面蒼白で現れた黄鶲はぐったりしている孔雀とヒステリックに叫んでいる緋連雀に一瞬身が竦んだが、すぐに浴室に飛び込んで処置をした。
一体全体何の毒物だったのかわからないままだが黄鶲の処置が早かった。
毒物が触れた舌と口内、喉、食道と胃は火傷したかのように爛れていたが、緋連雀が吐かせたおかげでそれ以上は到達しなかったらしい。
高熱が出て、リンパが腫れた。
きっかり三日意識が無く寝込んだが、今はだいぶ良い。
そんな事実があった事は当然宮廷では知らされない。
総家令は体調不良でまた寝込んでいると伝わり、今度の総家令はなんと虚弱だ、まだ子供だから知恵熱ではないのかと噂された。
実際、よく熱を出すので、それは否定出来ないのだが。
今朝も緋連雀が朝一番に現れて、孔雀の口に缶詰の桃を突っ込んで、バカ!と怒鳴って部屋を出て行ってしまった。
厨房を預かる白鴎に言われて、毎日孔雀に缶詰の桃を運んで食べさせに来るのだが、まだ怒っているのだ。
「・・・緋連雀お姉様、まだ喋ってくれないの」
孔雀はまだ掠れた声で呟き、しゅんとしながら痛む喉で桃を飲み込んだ。
採血をしていた黄鶲がため息をついた。
「仕方ないわよ。・・・桃、食べちゃいな」
孔雀はなんとも悲しい気持ちで泣けてきた。
意地悪なところのある緋連雀ではあるが、話してくれないなんて初めてだ。
「お前も悪いよ。どうして飲んだの。形だけのものでいいって梟お兄様が言っていたんでしょう」
「・・・芙蓉様の気が済むならそれでいいかもしれないと思ったの・・・」
孔雀はそう呟いた。
「・・・甘いほうがいいでしょうってとても甘くしてくださって・・・。芙蓉様からしたら、そんなのどうでもいいはずよね」
口当たりをよくして飲ませやすく、とかそういう類のものではない。
もし、孔雀が毒を飲むのなら、最後に口にするものは少しでも甘いほうがいいだろうという優しい気持ちがあったのだろうと思うのだ。歪んでいるけれど。
でもそんな事を行ったら緋連雀はきっともっと怒る。
「・・・孔雀、あのね。二妃様・・・木蓮様がお倒れになった時、そばにいたのは緋連雀なの」
孔雀は驚いて姉弟子を見上げた。
「だからね、緋連雀は怒ってるんじゃないのよ。悲しいの。・・・後でちゃんと話して仲直りしなさい」
黄鶲はそう言うと、孔雀の頬をつねった。
美貌の宮廷育ちは、ぶすくれていてもきれいだった。
孔雀がごめんなさい、とカステラが二切れ乗った兎の形の皿を差し出して謝ると、緋連雀は釈然としないまでもカステラを掴んでぺろりと食べてしまうと頷いた。
「・・・何で飲んだのよ」
螺鈿宮で何か出されても、飲むな、食うな、つっ返せ、出来るならひっくり返してやれ。
血の気が多い彼女は孔雀にそう言い含めていたのだ。
なのに、と、妹弟子のバカさ加減というより、裏切られた気持ちと、昔を思い出して辛かった。
「・・・・木蓮様ってさ。変わった女だったのよ。そもそもギルド筋の妃なんて数合わせだけどさ。海外育ちの元小学校の先生だもの。後宮からしたら異例で異色で異常よ。でも結構お構いなしな感じで、宮廷にいる子ども集めてよく学校ごっこしてたの。書き取りに暗唱。サボると黒板を叩くの。えらいスパルタだった。・・・学校ごっこが終わると、おやつを頂くの。子供達がいつでも食べれるようにって、ボンボン入れにお菓子がいつも入ってた。あの時、私が食べたのは、赤いチョコレートボンボン。木蓮様が食べたのは、緑色のチョコレートボンボンだったの」
その後、木蓮はなんだか気分が悪いと言って、疲れたのかそれとも熱中症かしら、なんて言っているうちに、意識を失ったのだ。
緋連雀は驚いて、母である猩々朱鷺と典医である黄鶲を呼んだ。
猩々朱鷺と、黄鶲、女官長が駆けつけた時にはすでに木蓮の鼓動は止まっていたのだと思う。
夥しい出血の血だまりの真ん中に木蓮と緋連雀は座り込んでいた。
「・・・何をどうやっても、血が止まらなかったのよ。・・・・あの時、二妃様はご懐妊されていたんだと思う」
「・・・黄鶲お姉様が言ったの?」
二妃が第二子を妊娠していたという公式文書は作られていなかったはすだ。
「・・・誰もそうは言わないけど・・・。あの時、私が触ったのは間違いなく胎児よ」
血の海で、血よりも赤く、青くて白いあの塊は、人間の胎児だ。
ああ、と孔雀は頷いた。
公式文書にそのどちらも記載して居なかったのは、きっと白鷹と梟の裁量だ。
「・・・当時はまだ、懐妊してその子を無事産めなかったら妃は処罰される決まりがあったからじゃない?生死は問わないで送検されるもの」
ギルド出身の妃である木蓮の立場はそれほど盤石なものではない。
彼女の実家からしたら娘を亡くし、更に処罰されたとあってはあまりにも酷といものだろう。
白鷹と梟は、木蓮とその実家、ひいてはギルドの立場を守ったことになる。
そんな話はどうでもいい緋連雀は舌打ちした。
「・・・皇后がやったのよ・・・」
それは、当時を知る家令の間では共有された秘密であった。
でも、そこまでする理由が孔雀には見当たらないのだ。
そもそも圧倒的優位の立場の芙蓉正室が、それこそ数合わせの妃にそれほど興味感心を向ける必要もないのだから。
「・・・・皇后様に太子殿下がお生まれになった時、琥珀様が翡翠様の次の皇帝は皇太子とするとお決めになったんでしょう。瑪瑙様も了承されたって」
望まれた太子、恵まれた太子。幸福の太子。
王位を簒奪するような事実も多かったこの王朝において、これ程待ち望まれた王子は未だ嘗ていない。
公式文書に残っている以上、皇太子のその地位は揺らがない。
すでに二妃には長子もいたが、琥珀が彼の将来の即位を認めなった以上、今更、その子が王座に付くなど考えづらい。
「・・・二妃様を許せなかったんでしょうよ・・・。今度はあんただんて冗談じゃない・・・」
だから、許せないのはなぜだとは聞けず、孔雀は姉弟子を抱きしめた。
「・・・泣かないで、緋連雀お姉様・・・」
「・・・泣いてないわよ、あんたでしょ。泣いてばっかいるの」
孔雀が笑った。
「・・・お姉様は怒ってばかりいる」
緋連雀も白鷹もそうなのは、泣けないからだ。
「笑わないでよ。今回はもう本当に怒ってんのよ、私。・・・翡翠様もよ」
孔雀は、はっとした。
「・・・だって。翡翠様はご存知ないでしょ」
家令のうちで起こった事は家令の内で済ませる。
家令の事は家令が始末をつける。それが鉄則だ。
翡翠には黄鶲が「孔雀はまた熱を出しました」とだけ言ってくれたはずなのだ。
だからこそ、翡翠からだという見舞いの品がテーブルにあったのではないか。
「・・・私がぶちまけたから知ってる。あんな腰抜け、そもそも嫌い」
孔雀は飛び起きてベッドから降りた。
立てずにそのまま腰から床に尻餅をついた。
「・・・ちょっと!?」
緋連雀が驚いて声を上げた。
孔雀は緋連雀の腕を引っ張った。
「お姉様、服着るの手伝って・・・!」
漆黒の家令服を指差した。
たった数日で体力と筋肉が落ちて力の入らない腰を、普段は苦しいから嫌だと盛装と軍装備以外には絶対に使わない硬いコルセットできつく締めて孔雀は緋連雀と螺鈿宮に向かった。
出会う女官達の視線がどうも非難めいている。
今夜は翡翠が皇后を訪れているのだ。
寵を得たとは言え、家令が何をしに来た、というところだろう。
もともと、女官と家令は相容れない。
さらに総家令が寵愛されたとあっては仕える主とは敵対する事になる。
ずっとそうやってきたのだ。
総家令が嫉妬して邪魔しに来たのだろうね、今度の総家令はなんと不敬、と女官達は囁き合った。
勿論、緋連雀が一睨みすれば、そっと目は伏せるが。
皇后の部屋の前で老女官が出迎えた。
彼女もまた孔雀の姿を見て非難の視線を寄越したが、戸惑いの色もまた含んでいた。
雉鳩はどうしたのだろうと兄弟子の姿を探して、孔雀は不思議に思った。
職務を放棄するような兄弟子ではない。
家令に指示できるのは総家令と、皇帝だけだ。
となれば、当然、翡翠が下がらせたのだろう。
孔雀は小さく息を吐いた。
「・・・総家令が参りました。どうぞ皇后様にお取り次ぎをお願い申し上げます」
孔雀がそう言うと、彼女は首を振った。
「今宵は皇帝陛下のお訪いでございます。ご命令でありましても、どうぞお引取りを」
緋連雀が睨みつけた。
「退きなさい。押し入るわよ」
緋連雀は軍人家令だ。腕っ節も血の気の多さも知られている。
しかし、老女官はひるむ様子もない。
孔雀は頭を下げた。
「・・・ならば、どうか翡翠様にお取りなしくださいまし。命令などではありません。押し行ったりもしません。どうか、これはお願いですので・・・」
老女官は困惑したように目を僅かに震わせた。
この総家令が毒杯を飲んだおかげで、孫娘は救われた。
だが、と老女官の葛藤が見て取れた。
中から、翡翠の声がした。
「入りなさい、総家令」
孔雀は老女官と姉弟子に礼をしてから、するりと体を扉の隙間に滑り込ませた。
再び閉じられた扉の前で、老女官と女家令が押し黙ったまま対峙していた。
部屋に入ると、孔雀は息を飲んだ。
空気の質が違う。
間に合わなかった・・・。
皇后の私室の奥のベッドの天蓋の向こうに、確かに気配がする。
そして、奇妙な音。まるで壊れた木管の楽器を無理やり吹いているような音。
それが彼女の呼吸なのだとわかると、孔雀はその前に泰然と座っていた翡翠を見た。
目が合うと孔雀はそっと翡翠の手を取った。
翡翠は孔雀を横に座らせた。
それから、二人は一時間近くそうしていた。
初めて共有したのは、愛でもなく喜びでもなく希望でもなく、罪。
夜明けに皇后崩御の知らせが宮廷にもたらされた。
それより二時間程前。
「陛下。この度は総家令の挨拶を受けました。おめでとうございます」
芙蓉がそう言って翡翠を出迎えた。
「あんなに可愛い総家令が来るのなら、私ももっと自重すればよかったかしら」
「何を飲ませた」
芙蓉は答えず笑った。
「貴方がここに来たということは、持ち直したんでしょ」
「三日昏倒して今朝目を覚ましたそうだ。黄鶲が成分検査すると言っていたけれど、確かな治療法は見つからないかもしれない」
「あら、そうなの。・・・ねえ、翡翠。あの子は貴方にとって、何」
「福音」
ふうん、と芙蓉は頷いた。
「私、もう待ちくたびれたわ」
自分の左手の青い宝石のついた指輪を眺めているばかりで、翡翠の質問に答える気はないらしい。
そうか、と翡翠は立ち上がった。
「ならば、自分で死ね」
そう言うと、彼は寝室に促した。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)