第112話 雪の灯台
文字数 4,620文字
孔雀はこれは大変と言いながら、
「今年は寒さが早くて厳しいそうですよ。軍も冬支度を早くしておいて良かった」
宮城含め、他の離宮でも暖炉は今や珍しい。
「やっぱり直火やガスストーブって暖かいですよね。火が勿体無いから、ついでに豚汁でも煮ようかしら。天河様、まずはお餅でも焼いてみます?」
冬支度と冬の生活にわくわくしているようだ。
対照的に恨めしそうに天河が孔雀を見た。
「・・・不意打ちで申し訳ありませんでした」
孔雀はまずは、と謝った。
「まるで騙し討ちもいいところだ。なんだありゃ。踊らせやがって。何が、新しい希望の星だ。・・・どんな顔してアカデミーに戻りゃいいんだよ」
「普通にお戻りください。・・・でも猩々朱鷺お姉様には怒られるかも・・・」
アカデミーに似た、しかし性質の違うものを作るという事になった。
しかも、天河が主導という名目で。
「そりゃそうだ。蕎麦屋で修行してる身分でお前んとこのやり方気に入らねえから暖簾分けさせろなんて言ってるようなもんだ」
「まあ、天河様、なるほど・・・」
孔雀が感心して天河を見上げた。
ああもう、と天河はソファに身を沈めた。
新しく買い揃えた調度類の中でも、天河はこのベージュと黒と茶色の牛柄のソファが気に入っている。
孔雀がぴったりだと思ってとよなべして作ったホロホロ
未だあちこち改装中だが、まずはエントランスと、天河の私室はリフォーム済みだ。
孔雀が遠慮がちにカップを持ってきた。
「天河様、あの、気分が沈んだ時にはココアというお薬がいいですよ」
「誰のせいで沈んでいるんだよ」
天河は言いながらもカップを受け取った。
ご機嫌取りのつもりなのか、溶けたマシュマロで牛の立体を作ってある。
無駄に小器用だ。
「・・・正直、こうなった以上、私としては天河様をアカデミーに戻したくないんです」
「なんでだよ」
自分もココアを飲みながら、ひっきりなしにおにぎり程あるマシュマロを食べている。
彼女の場合、ストレス食いだろう。
「真鶴お姉様の事があります。・・・真鶴お姉様は、アカデミー特別委員の一人で、更に言えば、プロメテウスの一員。多分」
世界に数人しかいないと言われている、"人類の英知"だ。
ヘルメスが魔法や幻のようにひとに思想的な影響力を与える存在なら、プロメテウスはもっと能動的に世界に作用する存在だ。
政治や経済に深く強く動作を与える存在。
そして彼等の"不可侵"とされる。
絶対に彼等を拘束したり、その身を損なう事は出来ないらしい。
総家令たる自分にも、まるで掴めないのだ。
おそらく、アカデミーが関わっているのだろうと代々の総家令が当たりをつけてきた。
だからこそ、アカデミー長にはなるだけ家令の身内を投入してきた。
だが、神の火を盗み、人類に神の英知をもたらしたプロメテウスという古代の神を冠している彼等をアカデミー長でも個人の特定は出来なかった。
ヘルメス狩りをした琥珀帝や白鷹すら手が届かなかった存在。
天河は、へえ、という顔をしてココアを一気飲みした。
ヘメルスやらプロメテウスやら。
世界は自称神様がいっぱいのようだ。
アカデミーに所属する一員として、その存在を知らないわけではない。
だが、特に意識したこともない。
実害もないし実得もないからだ。
天河がアカデミーで何からもある程度の距離を持って過ごしてこれたのは猩々朱鷺が守って来たから。
その母である継室を守れなかった女家令が、城を放逐されてまで、守ろうとしたのは彼。
孔雀の懸念はもう一つ。
天河は龍現。そして、あの真鶴も。
同時期に天眼が現れることは稀にある。
孔雀と大嘴と、仏法僧がそうであるように。
だが、古来、単数でなく複数となると、龍現は殺し合いしかねないのだ。
今時、馬鹿じゃないのそんな迷信と天河は取り合わないが、彼らの一番周囲にいる、家令はどうだ。
迷信だろうが何だろうが、その事実があるだけで充分。
家令というのは、争いと血を好む。何がきっかけになって各々、王族を担ぎ出しかねない。
藍晶という皇太子が厳然と存在し、彼が後継であると正式に決定している事実があろうと。
自分もそこに身を置いているわけだが、家令一人一人を思う時、背信とか策謀とか、そんなこと絶対にしないとは言えない。家令とはそういうもの。
翡翠に誠実である事を約束して自分は仕えているしその兄弟子姉弟子もその
「相手は真鶴お姉様です・・・。我々家令の誰もが真鶴お姉様の飛び抜けた才能と魅力とお人柄に惹かれております・・・」
孔雀は一度言葉を切った。
「異常と申し上げても良いくらいです。特に家令にはたまらなく魅力的であり、宮廷の皆様、王族の皆様には脅威でもあります」
大袈裟に聞こえるだろうが、それは事実だ。
翡翠の藍晶の、そして天河の、それに連なる人々にとって彼女の存在やその行動というのはどれだけ影響力があるか。それも全て、悪い方に。
「天河様、真鶴お姉様は
孔雀はそう褒めちぎった。
淡雪が昔、金糸雀や雉鳩は絵画のように美しいし、緋連雀は彫刻のように美しい、孔雀は天女のようだと言った。そして、真鶴の事は神話に出てくる女神だと言ったのだ。
「ご存知ですか、首から生首いっぱい下げて刃物持って旦那さん踏んづけてる女神様。子供が象の頭してるんです」
「それのどこが神様なんだよ。妖怪か鬼婆だろうが」
孔雀の話というのは非常に理解できない。
「だから。そのくらいすごい方が龍現というオプションがあって、元皇女で、家令のスキルがあって、司祭長で神官長、海軍中将、更にアカデミー特別委員で、プロメテウス・・・ああ・・・!」
そしてあの美貌。
「完璧」
孔雀はうっとりとため息をついた。
「真鶴お姉様、バレエもダンスもとっても上手で、お作りになるお料理もすっごいおいしいんです。その上、長距離射撃のあの腕前。あの距離から心臓ほんのちょっとずらして殺さない腕前・・・惚れ惚れしちゃう・・・あ、失礼しました・・・」
孔雀が失言でございましたとちょっと頭を下げた。
天河は冷遇慣れしているものだから、頷いたくらいで流した。
姉弟子の脅威を説明するつもりが、素晴らしさばかり全面に出してしまった孔雀は申し訳なさそうに頭を下げた。
まあ、それだけの知性と体力ともに優れた人物というわけだ。
孔雀が言う自分に関する天眼というのはもうどうでもいい。魔法が使えるわけでもない、何の役にも立っていない。
「プロメテウスねえ。・・・ほんとにいたのかよ。まあ、聞いたことはあるけど。その幽霊部員みたいのが何だっての」
「幽霊部員って。天河様・・・」
この人、状況わかってないのね、という気の毒そうな顔をされた。
「真鶴お姉様を支援してたのは、つまりはアカデミーということですよ?それと、ヘルメス」
最近知ったその奇妙な思想団体とも言えない組織。
つらつらと説明した孔雀を、逆に不審に思った。
この総家令の事だ、知られていない話などいくつもお持ちだ。
「お前がその、ヘメルスの手先だってのは」
「・・・・それは、私からお話することはできません」
「もったいぶって。翡翠は知ってるんだろ」
「いいえ」
孔雀がはあ、とため息をついた。空になったマシュマロの袋を悲しげに星の形に折った。
「・・・マシュマロっておいしいのに、どうして一袋食べると気持ち悪くなるの・・・。みんな大丈夫なのかしら・・・」
「そんなハムスターくらいあるマシュマロ一袋なんか食うやついないからじゃないか・・・。それより、翡翠が知らないっていうのは、なんで」
皇帝とべったりの、この総家令が。
「私にだって。事情があるんです。これ以上は申し上げられません」
珍しくぴしりとそう言ったきり、孔雀はテーブルに地図を広げた。
「ああ、そうですか」
天河はココアを飲み干した。
近い内、この空白地帯の測量が始まる。
しばらくすると孔雀がいろいろな色のペンを出してきて何か描き込み始めた。
森の絵や、この総督府の絵を描き始めた。
いたずら書きを始めたらしい。
「あ、天河様。おひとつ提案が。測量して、それぞれで国境線を決めるとき、直線直角真四角みたいな分割の仕方はしないでください。いかにも切り取られたみたいな。昔からあるように、ちゃんと自然物に沿って分割してください。空白地と言えど文化というものがあるのです」
ふうん、と天河が頷いた。
それが、つまりどういう意味を持っていたのか天河が知るのは、数年後。
そんな事より、天河には気になる事がある。
「孔雀。あの、首がどうかという話」
孔雀は、はいと言って振り返った。
「あれは事実?」
「はい。・・本当です」
言いながら、孔雀はふと思い出して届いたばかりの新しいカーテンを広げた。
天河が選んだ、柔らかなペールオレンジに、プラム色のタッセル。
寒さの厳しい北の地だからこそ、元離宮と言っても外気を防ぐために窓は小さかったが、孔雀は暗い、息苦しいと言って窓を大きくし、増やした。
寒さ厳しい荒凉たる雪の大地で、この館は今や、温かな焚き火のように、希望の灯台のように見えるのだ。
天河は寒さを心配したが、驚くほど暖かい。
全室三重サッシで床暖房のコルク敷き、しかも天河の部屋の壁は琥珀貼りだ。
恐ろし気な女帝を思い出して琥珀という名前は天河にとったらなんとなく薄気味悪いが、孔雀が言うには体にいいらしい。
確かに、暖房を切っても妙に部屋が暖かいのだ。つまり天然樹脂だからだろう。
天河の傷を心配した孔雀が、どうしてもと言って引かなかった。
全室床暖房の琥珀張りの部屋など、とんでもなく金がかかるだろう、と言ったが、孔雀はちょっと笑ってそうでもないと言ったのだ。また何か企んでいたな、と思ったが、あえて聞かなかった。
「明日にでも、燕とカーテン替えますね」
「いいよ。今やっちゃおう」
在りし日は華やかだったのだろうが、今ではくすんでしまった黴臭い
なんだかいろいろあったなあ、と孔雀はしばらくぼんやりとした。
「天河様。私のことは嘘ばかりですと言えればいいけれど、本当ばかりです。やっぱり、私を知る程に嫌になると思いますよ。でも、この極北で天河様がひとつの希望の
天河は黙っていた。
いい事より、困難や、悪意を浴びる事がはるかに多いことをよく分かっている。
「了承してない。納得出来ない」
「いえ、ジタバタしてもダメですよ。だって、貴方は私にその配役を回されてしまったのだもの。どうぞあなたの星を丸ごと引き受けて」
孔雀はそう言うと、暖炉に火の様子を見に近づいた。
朝まで、いえ、この厳しい冬が終わり、春を迎えるまで、この火は絶やさないで置かなくては。
それは我々、家令にお任せくださいまし。
そのような事を天河に言い、孔雀は天河に寄り添った。