第71話 邪恋の果実
文字数 4,652文字
自分の母親がそうであったように。
外国人の父親を持ち、国外でほとんど育った母に宮廷の生活は馴染まなかったと思う。
それなのになぜ、継室の話が持ち上がったかと言えば、母の母が当時ギルド長であったから。
つまり政治的な思惑でしかない。
翡翠が十七歳、木連と呼ばれた母が二十五歳。
その半年前に、正室である芙蓉が十六歳で入宮していた。
離宮に移って尚、皇位を弟の瑪瑙帝に譲って尚、強権を振るっていた琥珀の前に否やもないだろうが、二十半ばの女と十七の少年の結婚とは、酷というか普通に考えて非常識な仕打ちではないかと思う。
しかし、母という人はそう不満も言わず、もともと教師だった事もあり、宮廷の子供達を集めて学校の様なことしていたり、彼女なりに居場所を作っていたのだ。
当時の花石膏宮には猩々朱鷺が仕えていた。
金糸雀や緋連雀や大嘴も天河と机を並べたのだ。
突然に母が急逝したのは、天河が士官学校に入った歳。
梟から知らせが入り、宮城に戻った時には、母の葬儀も終わり、家令達も城から放逐処分されて、下の世代の緋連雀や雉鳩達が城に仕えていた。
まだ子供だった自分でもわかる事は、いかなる事情であれ継室を守れなかった総家令代理の川蝉や、二妃付きの猩々朱鷺だけではなく、皇后の侍従であった青鷺も処分されたという事から、発端が皇后の意図であった事とすぐに分かった。更には梟からこれ以上の詮索を許されなかった事が確信へと変わるのだけれども。
その後、特例として母方の祖父母と共に海外で生活をしていた。
呼び戻されたのは、大叔父に当たる瑪瑙帝が崩御し、翡翠が即位する事になったからであり、それまでは、梟から様子を見てこいと含ませられた幼馴染の大嘴が訪れて長期滞在する事はあったが、正式には宮廷からも、父である翡翠からも何の便りもなかったのだ。
総家令が誰になるのか特段興味も無かったが、川蝉が居ないのならば、おそらく宮廷から追い出された家令の誰かが呼び戻されるのだろうと思っていた。
なぜか直前に禁軍出の鸚鵡までも僻地に飛ばされてしまったと聞いた。
宮廷に関わる大多数の人間がそう思っていたように、総家令は金糸雀か雉鳩だろうと見当をつけていた。
戴冠式の後の祭礼で歌舞を務めていた家令のうちの見覚えのある顔に、正直、やはりと思った。
幼い頃に白鷹に打たれて泣いていたのが嘘のように優雅に謳い、舞い、天女のようだと評判になった。
しかし、儀典で梟に促され、新任の総家令であると翡翠の前に進み出たのは、その孔雀であったのだ。
以前、「殿下、園遊会に来たあのチビ助ですが。殿下の花より、陛下の鳥がいいそうです。だからあのチビ助は家令になりました」そう梟に言われて、とても、とてもショックだった。
昔、一度、猩々朱鷺に言って、ガーデンに足を運んだ事すらあった。
本当にあのチビが家令になんぞなったのか疑わしかったから。
女官ならまだわかる。継室候補群の家からも、女官や王族の乳母は出るのだ。
しかしよりにもよって家令だ。宮廷を取り仕切り、政治に口を出し暗躍し、戦争をする、宮廷でも特異な存在。
例えばあの白鷹、例えば梟。悪魔に近い連中だ。
二階から見ていると、神楽服を着せられた孔雀が、目元を紅く化粧をされて、池のほとりでめそめそ泣いていた。
「白鷹お姉様に絞られたかしら。あの様子だと二、三十発お尻でも棒でひっぱたかれたわね」と猩々朱鷺がつぶやいたのに、天河はなんて可哀想な事をするんだと思ったが、同時に、自分がそっちを選んだんだ、当然の報いだ、とも反感を覚えた。
泣きやまないのに見かねた姉弟子が来て何か言い聞かせ、飴玉でも口に突っ込むと、孔雀は聞き分けたのか頷いた。
金糸雀は孔雀の重い衣装を手早く脱がせて丸裸にしてしまって、布袋のようなワンピースを頭から被せて、髪の毛も結髪からお下げに編み直すと、手をつないでどこかに行ってしまった。
「継室候補群の家の子を家令にするなんて、白鷹お姉様も梟お兄様も容赦ないんだから。あの家じゃあ断れないもんねえ。・・・まあでも天河様、継室はもう無理でしょうけれど。家令になったら、いずれお城に上がる事になりますから。・・・天河様のお心得次第でしょう。家令は宮廷の備品であり実用品。お好きなさいませ」
そう言われて、ちょっと期待していたのだ。
可愛がろうか、いじめてやろうか。
しかし、思惑はまたしても大外れしたわけだ。
今度は、皇帝の鳥どころか皇帝の半身である事を望んだのかと、失望と怒りを感じた。
戴冠式の数日後に現れ「総家令を賜りました孔雀と申します。第二太子殿下にご挨拶申し上げます」と可愛らしくも優雅にきっちりと女家令の礼をして、あの
「殿下。ご心配には及びません。しばらくは私が引き続き実務を担います。それにまだ少々若くはありますが、家令の成人を過ぎております。一昨日の晩も、とりたてて、ええ、とりたてまして、何の問題も無く、陛下の求めに応じて勤めを、無事、ええ、無事に、果たせましたので」
やたらそこを強調された。
あの変態、と父親を罵り、それ以上に、こんなしらっこい
孔雀がちょっと困ったように恥ずかしそうに頬を染めたあの瞬間、確かに自分は少年時代と決別したのだ。
天河の戸惑いもそっちのけで、孔雀は木連が植えていたオレンジの木に実がなっているのを珍しそうに眺めていた。
「おみかん・・・」と感嘆して小さく呟いたのに、兄弟子が、じっとしてろ黙ってろ、みかんなんか後で箱で買ってきてやるから余計な事すんな、と言い放った。
孔雀は、悲しそうにちょっと俯いた。それも悪くはないが、この木になっている実がすごいのだ、と言いたいのだ。
しかし、この家令のオヤジに、そんな子供の繊細な気持ち等わかるわけもないだろうと天河は見兼ねて、あげるよ、と言って取って与えると、孔雀は嬉しそうに受け取り、金糸雀お姉様に家令服のお腹の真ん中にポケットをつけて貰ったと言って、服の腹にオレンジを大切そうにしまった。
何入ってるんだと聞くと、飴や焼き菓子や文房具、まだあったのかと感心する十徳ナイフを続々出して来た。梟はそれを見て大笑い。
「継室なら銀の服で宝石を賜るが、お前はみかんか、子猿」
そうした原因はお前だろうが、と、さすがに梟を刺したくなった。
母亡き後、産まれる前から翡翠の次の皇帝は藍晶とすると琥珀帝の決定を賜った元老院派貴族の母を持つ第一太子である藍晶と、瑪瑙帝の勧めで入宮した三妃の間に皇女が産まれた宮廷に、天河の居場所など無かった。そもそもいい思い出の無い城からは足がますます遠のいたのだが、同じギルド系という事もあろうが、孔雀が第二太子である自分の待遇をだいぶ改善させた。
元ギルド長である祖母の思惑もあったらしい。
まずは侍従に幼馴染でもある大嘴を正式につけた。大嘴は、聖堂の司祭長の甥に当たる。貴族でこそないが、特権階級の一族だ。元老院派はすべからく聖堂に近しい、正しくは元老院派すら聖堂には傅かねばならない。もし万が一があり得る家令という存在が司祭長に近い人間だという事実は、後ろ盾が弱い天河に取って充分なくらいの手助けなのだ。
それが孔雀の判断だとして、やはり家令なのだと言わざるを得ない。
もし、万が一。天河様が皇帝になりましたら、聖堂派の大嘴が総家令、かもしれませんね。という孔雀と、ひいては翡翠の表明でもある。それはただの予防線だとしても、牽制にはなるのだ。
アカデミーでの研究を存分に出来るように、花石膏宮付きとして二妃に仕え、天河の教育係でもあった猩々朱鷺をアカデミー長にした。アカデミー長になるには、アカデミー委員全員の認可が必要である。それをどう取り付けたのか未だに謎ではあるが。
孔雀は翡翠との親子の溝がどうたらとやたら心配するが以前など溝どころか距離しか無かった。
まるで新婚夫婦のように、カタログを眺めながらお互いの執務室や離宮の改装の準備を進める翡翠と孔雀が憎らしくて仕方なかった頃もあった。
何事にも特に興味の無い、感動が薄いタイプの父親が、こんなに何かに情熱を傾けるのも知らなかった。そもそも後宮にもそれほど寄り付か無かったのだ。
それが、見る見る更生し始めたわけだ。
今では、自分であちこちに足を運び、国民にも親しむ皇帝として、稀有なほど支持されている。
あれほどリベラルと称えられた瑪瑙帝ですら、国民からの実際の支持率と言えば高くは無かったと思う。王族、貴族、皇帝等、既得権益を貪る遠い存在でしか無かったのだから。
総家令である孔雀は、若いというより子供に近いからフットワークが軽い。兄弟子や姉弟子が常に城にも軍にもおり、盤石なせいもあるので、孔雀が実際にあちこちに視察と言う名の用足しに行くのにそれほど障りがない。それに翡翠がくっついて行っている結果でしか無いと天河は知っている。
その上、現在、翡翠には愛妻家でマイホームパパのイメージすら定着しているのだ。
三妃とその間の紅水晶と出かけた先の写真や映像がよく報道されている。
あのズボラで薄情な男のどこにそんな甲斐性があるのだろうと信じがたいが、それもまた孔雀の采配の結果なのだと思うと「孔雀ってトリッキーだけど方々勘違いさせてある意味アゲマンよねえ」と猩々朱鷺が不遜にも言うのにも渋々ながら頷けるのだ。
だから今回の四妃の輿入れに関しても、孔雀は、政治だ嫉妬だ以前に、真剣なのだ。
カーテンがどうの、壁紙がどうの、家具はどうしよう、食器はああで、でもお姫様が使うにはこのフォークは重いとか、そんなところまで気を回す。
継室を出す一丸家から、準備はそちらに任せると言われたものだから、失礼があってはならない、お気に召して頂けるように。
そもそも改装や模様替えが好きなタイプなのはわかっているが、政治がもはや二の次に何とも楽しそうなのだ。
小さな孔雀風と皇太子が名付けた趣味の良さは宮廷でも知られているから、そこに問題はないだろうが。
あの白鷹は琥珀を愛しいあまりに継室を廃妃にして、公式寵姫を追い出したのは未だ語り草だ。
天河の祖父であり、翡翠の父である椿は廃される事は無かったが、結局は体良く実家に返された。未だに悪魔のような女だと言っている。
しかし、その琥珀だって嫉妬してあてつけからの行動だったらしい。
皇帝と総家令が特定の感情を伴う関係である事は別に必要ではない。瑪瑙や梟がそうだったように。彼らは確かに皇帝と臣下であり、旧友であったが、そこを越える事は無かった。
しかし、琥珀と白鷹は間違いなく、ほぼ内縁関係のようなもの。
そうなると、愛憎任せにどこまでもこじれるいい例だ。
天河は、ここに疑問というか、風穴を見つけたのだ。
「天河様。壁紙のお色。お若い方って、このサーモンピンクとライラック、どっちがいいでしょうか」なんて、自分よりも年上の継室だろうに、お若い方、と呼ぶのもおかしかったが。
その様子に、違和感を感じたのも事実。
「ああもう、白鷹お姉様ったら、継室が来るなんて言うと毎回狂ったように嫉妬して、おかしいやら、とばっちりだわで・・・」
孔雀達よりも上の世代の家令達がよくそう話していたではないか。
なのに、この寵姫宰相は嫉妬なんかしてないじゃないか。
さて、この胸に実り今や熟さんとする果実は甘いか苦いか。
天河は、いつかその果実を味わう事にした。