第85話 神の花嫁
文字数 5,757文字
特に、ファーストレディとして、妃の小百合は国際的にも大きく取り上げられた。
小柄ではあるが、写真映えがして、皇帝の横で笑顔で手を振る様子は、継室の出ながらさすが議会というリベラルな出身の女性である、と書かれていた。
Q国から用意された城の離れの賓館の一室で、孔雀は毎日ご機嫌で新聞からタブロイド紙やネットの記事まで集めていた。
すべて小百合が載っている。
「やっぱり、このスーツにして正解。見て。すごくすてき」
水色と白がグラデーションになっているスーツに、プラチナとダイヤのカサブランカのブローチがとても似合っていた。
「ほらね、これが一番のベストファッションだって書いてある」
孔雀がファッション誌のブログを見せると、金糸雀が肩をすくめた。
「最初はパープル着るって聞かなかったじゃないの」
紫は皇后の色だ。
しかし、Q国でも皇后は紫を好むと聞いたので、なんとか説得したのだ。
「・・・あんたも強引よねえ。"翡翠様とお揃いです"だもん」
隣りの翡翠も濃紺と白のグラデーションのジャケットを着ているのだ。
小百合もならばと、納得したようで。
翡翠は「ペアルックなんて今時恥ずかしい」と最後までダダをこねていたが、お似合いです、とってもすてき、という孔雀の賞賛にその気になって、とてもいい笑顔で報道陣の前に立っていた。
「この、百合のピンはやりすぎじゃない、これ。翡翠様もピンまでお揃いだなんて」
「だって。もともとイヤリングで作ったんだもの。イヤリングなんていらないって三妃様がおっしゃるからブローチにしたのよ」
結局ブローチが二個できてしまったので、一つは四妃の所有、もう一つは保管していたのだ。
皇帝夫妻が並んで手を振る様子、の写真を見て、
「・・・確かに、ちょっと選挙っぽい・・・?」
と妹弟子が呟いたのに、金糸雀も、やっぱり自分でもちょっと演出過多だったと思っているんだな、と笑った。
「選挙か、夫婦漫才かってとこ?・・・ああ、それにしても一日何回も着替えるだけでも大変よね」
持ち込んだ衣装だけでも相当の数で、女官と共に準備をした金糸雀も頭を抱えそうになったものだ。
「それを考えると、私たちは楽チン」
姉妹は自分達の着たきり雀の家令服を摘んで笑いあった。
それにしても、と金糸雀は周囲を見回した。
通された賓館は、まるで最新設備を投入したホテルのようだった。
贅を凝らしてはあるが、全く無駄のない機能的な構造。
孔雀がよく言う、すてきとか、かわいらしいとか、そういう心地良いではない。
「鷂お姉様もこういうの好きよね」
孔雀も頷いた。
スタイリッシュだとか、モダンとか、そういうもの。
「意外よね。もっと、キンキラキンでゴテゴテしてんだと思ってたわ」
金糸雀が言った。
「この厚い
手織りのみっしりと厚い絨毯が、宮殿にも賓館にも敷き詰められているのだ。
なるほど、厳しい冬もこれなら過ごせるだろう。
この国の宮殿の女達は皆、室内ではスリッパのような底の薄い靴を履いているが、これだけ厚手の絨毯の上なら、痛くもないし、足音もしない。
「自分達の靴の裏でなんとかしようなんて思ってる我々なんかより、贅沢よねえ」
金糸雀が家令靴の底を示した。
ウールやコルク張りで、足音がしないように工夫されているのだ。
「皇太后様のおなりでございます」
そう先触れがあって、孔雀と金糸雀は立ち上がった。
漆黒の衣装を着込んだ高齢の女性が現れた。
自分の仕えた皇帝が亡くなってからは、后妃は喪服として黒の衣装を身につけるのが伝統らしい。
その背後に、華やかに着飾った若い女達。
皆、目を伏せているが、これまで正式に国交のなかった異国の若い女高官に興味津々なのがわかる。
「ほんと、真っ黒。カラスみたい」
「女が高官って、殿方はあまりいないのかしら」
「さっきのきっつい女もとびきりきれいだったけど、こっちもすてき」
「皇帝の恋人というのはほんとうなの?」
「どっちよ?」
などという会話を、割に大きな声で交わしているのだ。
孔雀はQ国の言葉をある程度習得していたのでなんとなくわかったし、金糸雀は完璧に理解しているはずだ。
皇太后は振り返って、扇を振った。
「さあ、もういいだろ。お前達がどうしても見たいというから連れてきたんだから。私は話がしたいんだよ。あっちで待ってなさい。静かにできないんだから」
叱られて、女達がしゅんとした。
孔雀が目配せすると、金糸雀が口を開いた。
「皇太后様。私共の総家令のご発言をお許しいただけますか」
自分達の言葉を喋った、と女達が驚いて金糸雀を見た。
「おやおや、上手に
「ありがとう存じます。よろしければお姫様方には、隣のお部屋でお菓子を召し上がって頂けませんか。私、お菓子屋の娘なんです。いろいろ持ってきましたの。ぜひお味見して頂きたくて。隣の部屋にご用意します」
こっちも私達の言葉を喋ったわよ!お姫様だって!お菓子って何?と遠慮なく大きな声が上がる。
「ああもう・・・。お
皇太后の許しが出ると、女達が歓声を上げた。
燕と仏法僧が現れて、こちらへどうぞと先導すると、女達ため息が漏れる。
すてき。私、あっち。あら、私はこっちが好み。となかなか喧しい。
その華やかさと色鮮やかな服装、ダンスを踊っているかのような動作。まるで熱帯魚みたい、と孔雀は微笑んだ。
女達の姿が隣室に消えて、燕が扉を閉めたのを確認すると、孔雀と金糸雀が皇太后に向き直り女家令の礼をした。
「
皇太后は満足そうに微笑むと、彼女もまた女家令の礼を返した。
「あんたはなんて優雅に礼をするんだろう。きっと素地がいいのね」
「いいえ。白鷹お姉様にものさしでひっぱたかれた結果ですよ」
孔雀がおかしそうに言うのに、皇太后は眉を寄せた。
「あの子、昔っから乱暴者なのよ。あの子の母親はそれなりに暴れん坊の
確か、この姉弟子もとっても凶暴だけれど父親はとっても優しくて繊細だった、とかなんとか聞いたが。
同じようなことを言うものだ。
「ああ。やっと会えたこと。今時、十で家令に召し上げられて、十五で総家令にされてしまった子がいると鷂がとっても心配していたのよ。皇帝陛下に突きつけたあの脅迫状、役目が全う出来たのですってね」
彼女は、にやりと笑った。
「では、鷂お姉様の持ってきたあのたたき台は、勝戴お姉様がお書きになったものですか」
金糸雀が驚いて目を見開いた。
鷂と二人で仕上げたあの法律と体裁を盾に取ったあの文書の草案を作成したのが目の前の人物だったのか。
「あんたが梟と青鷺の子だね。あの化け物登用試験の殿試を二番手で受かったって?ああ、なんて因業娘共だろう。・・・そうだよ。正しくは、私と
勝戴は兄の目白と共に弁護士だった。
法廷では負け知らずの悪名高い梟が、あの二人にはとても敵わないとよく言っていた。
「
「うん。そんなのいいよ。私達の世代で総家令に看取られた家令なんてほんの数名だもの。大戦中であったしね。そしてそれは有事では正しいことよ」
「勝戴お姉様は、大神官を目指されて、神の花嫁と呼ばれたとか」
「やだ。そんなの一瞬だよ。結局、修行もうっちゃらかして戦場にとんぼ帰りですぐ神様と離婚しちゃった。いろいろ気になってあんな事やってらんないよ」
事も無気にそう言って肩を竦める。
元々そんなに物事に頓着しない方なのだろうが、それにしたってこのあっけらかんぶりは酷いだろうと、これが一時的でも神の花嫁だった人物なのか、これだから離婚か、と、さすがの金糸雀も呆れた。
家令は一生、巫女となったら神と心中する覚悟で生きていけと白鷹に言い含められて、反発も覚えながら育ったのだ。
「家令が大神官になるのは殊の外難しいと白鷹お姉様が言っていました。最後まで、どうしても兄弟姉妹の事を気にかけて、と」
「うん。そう。そうだよね。あの時は、戦争がドロ沼でね。公式寵姫だった巫女秋沙まで戦場に戻っていたの。私は大神官になるために神殿に、目白お兄様は大司教として聖堂にいたけれど。どっちも飛び出して戦場に戻っちゃったからね」
明るくそう言うが、どれだけの辛酸を舐めてきたのかは、想像を絶するものだろう。
「あっちが、木ノ葉梟の子だね。木ノ葉梟なんて最後に見たのはまだヒヨコだったのよ。あれは
ろくでもない思い出だけど、懐かしいわね、と勝戴が笑った。
「勝戴お姉様が、大戦中は、まだ小さかった木ノ葉梟お姉様達を宮城から逃してくださったのですよね」
「そう。雛のうちの家令は狙われやすいからね。でももう、あの時は大人の家令がヒヨコを守ってあげられる余裕が無くて。まだ十五に達していない大鷲すら戦場に出ていてね。ひどい話だよね。だから下がって、チビ達を連れて逃げなさいって。優しい子だったの。•••まだあの子だって雛鳥だったのに」
大鷲が捕えられていた事だろう。
彼女の中で、それはずっと後悔であったと言った。
「で?さっき、後宮の女達に嫌味言ってたなかなか性格悪そうなのが、巫女秋沙の孫?」
はあ、と孔雀はすまなそうに頷いた。
「母親の猩々朱鷺が若い頃にも会った事あるけれど。あの子もまあ、ちょっと変わってたけれど。・・・なんだって根性曲がりになったもんだね。宮廷育ちだからかい。巫女秋沙ってもっとこうぼやっとしてたけどなあ」
美貌の軍神と称えられた巫女愛紗が、と意外だった。
「ううん。何ていうかね。純情って言うか、
「ああ。真面目でいらっしゃるのね。でしたら緋連雀お姉様もそうです。意地悪な武士のおじさんが取り憑いているんじゃないかって感じですよ」
勝戴が笑い出した。
「しかも
「・・・以前梟お兄様が言っていたのですけれど」
いいか。巫女秋沙姉上というのは、戦場に行く前に身辺整理をされて行くんだ。帰ってこないつもりで行くんだ。なんとストイックなのだろうと子供心に胸を打たれた、と。
「そう、そうなのよ」
「
孔雀が梟の口調を真似て続けた。
「明日から前線だと冷蔵庫にビールいっぱい冷やして、そこら中のうまいもんを帰還予定の日時指定クール便で取り寄せて出かける。帰ってきたら玄関先でビール飲みながら片っ端から届くの待ち構えているんだ、と」
また皇太后が笑った。
「まあ、あの子、子供だったくせによく覚えていた事」
「白鷹お姉様が言うには、勝戴お姉様は前線での軍働きにおいても、じゃあ、一服三時ね。と言って敵陣に切り込んでいく。この人おかしいと思ったって・・・」
金糸雀も笑いながら、改めて死んだはずの女家令を眺めた。
正体を孔雀に聞いて仰天したものだ。
金糸雀が梟に勝戴お姉様とはどんな方なの、という質問すると、父に当たる彼は腕を組んだ。
「陸軍で活躍した軍艦鳥姉上が母親。アカデミー長まで務めた銀雉兄上が父親に当たるサラブレットだ。銀雉兄上は火喰鳥姉上という最強最悪と呼ばれた総家令息子。勝戴姉上本人は、戦場での功績も素晴らしく宮廷でも幼い頃から美貌と知性を称えられててな。継室方や女官からは鉄人と恐れられ、戦場では地獄の門番と言われて大暴れ。一時は黒曜陛下が総家令か公式寵姫にと望まれた。が、あんたのこと好きじゃないから無理と言って・・・まあ、それを、固辞された。・・・そうだなあ・・・頑丈で殺しても死ななそうな、海賊、いや山賊みたいな女だ」
たまにいるわね、そういう女家令。と言うと、そうなんだよなあ、と梟は嫌そうに言った。
彼もまたそういう妹弟子に手を焼いてきたのだ。
でもそういうタイプが好きなのだ、このオヤジは、と金糸雀は肩を竦めた。
「・・・・ああ。懐かしい。巫女秋沙にも会いたかったわ。お前が、瑠璃鶲も川蝉も見送ってくれたのでしょう。まだ小さいのにね」
「それが役割でございますから」
姉弟子兄弟子を見送った度に、あの物置に閉じ隠って泣いていたけれど。
勝戴が、全ての指に大きな宝石のついた指輪をした手を伸ばして、チョンと孔雀の額を小突いた。
「お前は天眼なのね」
優秀な神官であったという彼女には、長く
「私の妹や弟の今際の際に何を見たのだろうね。見なくても良いものを見たのではないかと、心配よ」
それから、弟弟子や妹弟子からの山のようなプレゼントを受け取って大喜びした後、さて、と孔雀に向き直った。
「では。片付けてしまわなければならないものをやっつけてしまいましょうか」
「はい。今後の国交に関する方向性の摺り合わせ、それに伴いまして、婚姻の提案でございますね」
「・・・そうね。でも皇太子殿下、もう婚姻もされているのよね」
「元老院筋からご正室様が入宮されております」
「まあ、普通そうよね。継室、ということよね。あとは第二太子。こちらは、ご継室もご正室もいらっしゃないと」
「はい」
「あとは、今回来られたご継室のご皇女に当たる方。まだお小さいのよね。・・・あとは最近迎えた四妃のお子様がだめだったのですって?」
よく知ってる。そして、なかなか手の内は見せないようだ。
何も、今更婚姻を結ぶメリットなんかない、ということか。
「はい。残念なことでした」
「そうね。・・・・翡翠様というのは、ご正室とご継室を一人ずつ亡くされているとか。・・・お辛いことね」
きっと、実情も知っているのだろう。