第6話 鳥達の庭園
文字数 5,878文字
一般教養、歌舞音曲、武道、語学。
最低でも十五歳までにこれだけは覚えろと言われた。
なぜ十五歳なのかと言えば、家令の成人年齢だからだそうだ。
さらに陸軍、海軍、空軍、海兵隊。
いずれどれかに配属されるらしい。
決めるのは白鷹らしいから、個人の希望は関係ない。
どちらにしろ、最近まで猫に砂をまぶしてきなこ餅ごっこなんて言って遊んでいた程度の孔雀には、よくわからない話だ。
「家令って大変だね。お城や神殿か聖堂でも働かなきゃいけないのに、戦争にも行かなゃならないの。・・・私は大人になったら毎日たくさんカステラを焼くお仕事をしようと思っていたのに」
「焼けばいいじゃないの。それからアカデミーっていう大学みたいなとこ。そこにも行って勉強しなきゃだし」
緋連雀が笹の葉っぱで作った器にたんぽぽを乗せながら言った。
ガーデンに来て以来、この美少女に遊ぼうではなく遊んであげる、と言われて草ぼうぼうの庭に連れ出される事が多かった。
彼女なりに妹弟子の面倒を見ているつもりらしい。
「前の皇帝の琥珀様は宮城でのお暮らしを嫌って、今の皇帝の瑪瑙様は転地療養で、お二人とも離宮にいるでしょ。白鷹お姉様と梟お兄様がそれぞれお仕えしているのは知ってるわよね」
うん、と孔雀は頷いた。
正式に城に上がる許可のまだ出ない自分には皇帝にお目通りはかなわないが、その姿はテレビで見た事があるし、家令になって間も無くの時期に、強引に家令に召し上げられた子供がいると聞いて哀れに思ったのか皇帝皇后夫妻から「この度は、小さな家令よ、まことに気の毒である」から始まるお悔やみのような手紙と果物籠を賜った。
実家にも梟が上意宜しく似たような内容の親書を携えて来たらしい。
こうなってはもはや娘は家令と、両親はほとほと困惑したらしい。
「瑪瑙様というのは琥珀様の一番下の弟に当たる人でしょ」
真鶴に連れられて、琥珀の離宮では使い走りをちょこちょこさせられていたから、琥珀の事は知っている。
離宮に移って以来あまり人前に姿を現すことを好まない気難しい元女皇帝として怖れられていた。
「だから今、宮城にいらっしゃるのは皇太子の翡翠様。琥珀様の息子にあたる方よ。まだ皇帝じゃないけれど、川蝉お兄様が総家令代理としてお仕えしているし、私の母親の猩々朱鷺お姉様・・・まあ、家令に親子関係はないようなもんだけど。猩々朱鷺お姉様は二妃様の宮にいるし、青鷺お姉様は御正室付き。黄鶲お姉様はアカデミーの医局にいるし、お城でも典医をしてるって聞いたでしょ。あとは海外の外部団体にいるのが木ノ葉梟お姉様と、鷂お姉様」
「・・・ふうん・・・」
たまにガーデンにやってきて、猩々朱鷺は科学、黄鶲は毒性学を教えていき、山のような課題を置いていく。
法律の基礎は鷂が、青鷺が数学、川蝉が歴史と語学を。
白鷹はそのその修練具合を厳しく監督する。
他にも、武道や作法や所作、舞踏等、内容はとんでもなく多岐に渡っていた。
金糸雀は、梟と青鷺の娘なのだという。
「緋連雀お姉様もちっちゃい頃からお城にいたの?」
そうよ、と得意気に笑う。
「猩々朱鷺お姉様が翡翠様の二妃様の宮付きになった時から私もそこで育ったの」
宮廷育ちと呼ばれる特別な人間なんだから、と付け足す。
「金糸雀お姉様は?」
「金糸雀は梟お兄様が瑪瑙帝様の総家令だから、瑪瑙様の皇后様の宮に出入りしていたけど、小さいうちは海外の寄宿舎で育ったのよ。雉鳩は皇太子様のご正室様の宮に居るし。雉鳩もお祖父様が結構前の総家令だったのよ。・・・あんた、ちゃんと分かってるの。お城のこと。いずれあんただって、宮仕えしなきゃなんないのよ」
「・・・王様がいて。お妃様がいるんでしょ。あとはお城の偉い人がいっぱい」
その漠然とした答えに、生まれながらの女家令は呆れて舌打ちした。
絵本で読んだくらいのレベルの知識ではないか。
「あんた本当に継室候補群の家の子なの?何の教育もされてないじゃないのよ。飯食わないでお菓子ばっか食ってるから素養が足りないんじゃないの」
継室候補群の娘なんて、皆それぞれに教育が行き届いているはずだ。
宮廷育ちの緋連雀からしたら、本来なら女官と同じくらいいけすかない存在だ。
園遊会の度に現れる我こそはと意気込む正室候補群や継室候補群の家の人間を軽くいなしてやるのが趣味なのに。
この妹弟子を初めて見たのは、園遊会。
再三の呼び出しを親の代から三十年以上も無視し、さすがに梟から正式な召集令状を送りつけられてしぶしぶ現れた母親の青嵐と同じ格好の葡萄染めの着物姿の娘は座敷童のようだった。
聖堂の司祭長の甥である大嘴と一緒に、無料のバイキング会場か何かと勘違いしてずっとアイスクリームを食べていたと思ったら、今度はチョコレートファウンテンの前でテーブルに届かずに精神が不安定な猫のようにうろうろしているのを翡翠の第一太子である藍晶が見かねて持ち上げてやり、他の継室候補群の親子の嫉妬を買ったのだ。
要領のいい大嘴はどこからか踏み台を持ってきて一心不乱に食べていたが。
そのうちこの妹弟子は腹一杯になるとどこかへ行ってしまい、しばらくするとなぜか水浸し、その上チョコレートだらけ傷だらけで戻ってきて、母親が「着物なんか着せるんじゃなかった。だから来るんじゃなかった。もう帰りたい」とあまりにも正直な泣き言を事を言っていたのが印象的だった。
緋連雀が、大変ね、ここんち。どうりでドベなはずだわ。と嫌味っぽく言うと、隣にいた女官長がこんな子が継室になったらとんでもないわ。出禁よ、と眉を寄せていた。
それが家令になるなんてね、と緋連雀はおかしくて仕方ない。
「・・・緋連雀お姉様、これなに?」
笹の葉っぱにそれぞれ乗せられた、シロツメクサとタンポポ、色水。
「唐揚げ定食よ」
「・・・ふーん」
学校の友達や幼馴染とままごとをやる時は、パンケーキやプリンだったが、この姉弟子が付き合ってくれる場合、定食が多い。
「まだ待って。ポテトサラダとお新香と塩辛がつくと最高。・・・ちょっと、食べるふりじゃなくて、ちゃんと食べなさいよ」
緋連雀がさらに草花をちぎり始めた。
二階の窓から、妹弟子達がままごとをしているのを梟が見ていた。
緋連雀と孔雀が並んで遊んでいる様は、外目には実に微笑ましい。
「白鷹お姉様もひどいわよねえ。継室候補群の子なんて継室に上がれなかったとしても、結婚市場では引く手数多なのにさ。一回家令になっちまったらもう事故物件。嫁かず後家決定だね」
鷂が兄弟子にそう不服をぶつけた。
この女家令は現在札付き。
家令など素行が悪くて有名だが、去年、聖堂の司祭長をたぶらかして還俗させた毒婦、というのが世間の評価だ。
前司祭長の長い就任をそろそろ止めさせたかった梟が、次期司祭長の予定を前倒しさせる為に鷂を差し向けた事が事の発端。
「事故物件はお前だ。坊主の退職前倒しさせて、新しい人間就任させたまではいい。なのに半年で辞めさせてどうすんだよ・・・」
ため息をついて梟は妹弟子を見た。
「梟お兄様にとったら同じ事でしょ。またその弟がなっただけの話よ」
「どんだけ大嘴の家から恨み言言われたと思ってんだ。女家令など悪魔が取り憑いているに違いないだのなんだの。・・・お前、なんか取り憑いてんなら祓って貰え」
「あたしゃ巫女だよ。厄落としなんかあたしがしてやるよ。・・・大体。食い詰めて見栄張るためにその三男坊を家令に堕とすような家の人間が何言ってんのよ。ほらごらんよ、今回だって金で手を打ったじゃないの」
大嘴は、司祭長の家の出だ。
世襲でもない役職に半世紀近く同じ家の人間が就任しているのが異例でもあった。
大嘴の実家の伴家は昔から確かに何人も聖職者を出した名門であるが、そのトップに就任したのは大嘴の叔父の代からである。
その前には、家令がその地位に就いていた。
梟もよく覚えているが、抜群に優秀な兄弟子であった。
「長男は後継、次男はそのスペア、まだ赤ん坊の末っ子は可愛くて手放せない。それで三男坊を差し出したわけよ。しかも何?大嘴が家令になったおかげで大聖堂の改修の予算が付いたって話じゃないのよ。身売りよね」
それは間違いない。梟がその案件を議会に通したのだから。
「控えの選手がいて良かったじゃないか。・・・そもそもその長男坊はお前のせいで堕落しちまったわけだ」
梟が舌打ちした。
鷂は神殿の神官職でもある。
今回の事件はすわ宗教戦争とまで言われ、またはロミオとジュリエットだの、魔性の女だの、女家令と結婚する為に新任の司祭長が辞任して還俗するというマスコミの騒ぎに激怒すると思われた白鷹がなぜか怒りもせずに自ら聖堂と司祭長の実家と話をまとめて来てしまったのだ。
鷂に高額な持参金を持たせる事、伴家から新任の司祭長を出す事を条件に。
白鷹は憮然として「全く。お前に新品の戦車ひとつ分くらいかかったよ」と、そう言うと、しばらく海外に居なと鷂を国際機関での仕事に就かせ、国を出してやってしまった。
梟自身も呆れはしたが仕方ないと言っただけ。
昔は、巫女姿で聖堂に道場破りしたとんでもない姉弟子がいたくらいだ。
あれよりはマシだ、とため息をついた。
「・・・意外ね。あの宮廷育ちの根性曲がりが気に入ってるみたいじゃない」
鷂が自分も窓辺に寄って、庭で遊んでいる緋連雀と孔雀を眺めた。
「あの子、ままごとなんかするのね。遊びって言ったら、男騙して金目のもの巻き上げるくらいしかしないと思ってたのに」
「・・・緋連雀にも困ったもんだ」
容貌がいいのと宮廷で身につけた教養を嵩に女官達を牽制しさらに城に出入りする男を手玉にとって一財産築きつつある。
「女家令としてはなかなか見所があるわよ。・・・さてさて。あの子はどうなのかしらね。棕櫚家のやる気の無さは年季入ってるものね」
長い歴史の中でたった一人の継室しか出して居ない。
しかも、もともとアカデミーの学生だったその彼女は、皇帝が退位後は、アカデミーに戻って研究を続けた。城にも、皇帝の住む離宮にも戻る事は無かった。
その前に乳母として一人、城に上がったが、乳母なんて子供が成長すれば用済みだ。
「あのドベの家め。実績もないくせに恩恵の公共料金免除など、片腹痛いわ」
「あそこんち自宅も会社も工場も井戸水とソーラーと地熱とプロパンなんでしょ。関係無いじゃない」
継室候補群の家には公共料金が免除されるという特典があるのだが、棕櫚家にはあまり意味が無いようだ。
「大体、継室候補群の家って税金高いじゃない。実際、後宮に入宮出せれば支度金や恩給出るけどさ、実績ゼロでは恩賜もないし、あそこんち何百年も大損よ」
「・・・まあそうだけどな。情けない話だ。そもそも名誉な事だぞ。継室候補群だぞ。自覚がないからやる気も出ないしズレてんだよ。あの子狸はな、母親に梟が来ると言われて本当に鳥のフクロウが来るんだと思い込んでいて楽しみにしていたのにいざ来たのがおじさんだったとがっかりして庭から戻ってこなくなったんだぞ」
鷂が手を叩いて笑った。
孔雀は、庭でずっと飼い猫に砂や葉っぱをまぶしていじけていたのだ。
仮にも宮廷の総家令である自分に対してそんな不敬な態度の娘に、母親は手と猫をよく洗ってからお菓子を食べるのよ、とだけ言って好きにさせている始末。
母親の青嵐を知る鷂はまた大笑いした。
「ああ、そう、そんな感じで変わってるのよ、あそこんちの人間て」
梟は舌打ちした。
「大体な、訪問した際もな。テーブルいっぱいにサンドイッチだの焼きそばだの煮物だの寿司だのカステラだの羊羹だの、なんだか知らねえけどローソク立ってる丸いケーキまで上がってたんだ」
「・・・親戚の法事みたいね」
法事で親戚集まったから、ついでに近日中の誰かの誕生日も忘れてた入学祝いも一緒にやっちゃおうと言うあのアナーキーさ。
「一宮家に行った時には、どうやって調べたんだか、皇后宮で出てくるのと同じ茶と饅頭が出てきたというのに」
「ああ、あそこ、確かに太子様にちょうどいい年齢の娘いるわねえ」
継室候補群でも上位の家だ。
貴族院である元老院籍であり、今まで十人以上継室を出している。
「一宮家は頑張れば正室になれなくもないお家柄だもんねえ」
ちょうどいい年齢の子女がいない場合、継室候補群の家から正室が出る場合もある。
「あのカステラ屋と比べるのが気の毒ってものよ。一宮家からしたら名誉毀損ものだわ。でもあれ可愛かったじゃない。気に入ってらしたくせに。ミミズク」
棕櫚家から梟がお土産に持たされたという、ミミズクのケーキ。
孔雀はフクロウのケーキなんだと言い張ったらしいが、アーモンドの耳がくっついているからあれは間違いなくミミズク。
この兄弟子が、棕櫚家から帰宅した後、厨房にコーヒーを入れさせ、二つ平らげていたのを知っている。
ふん、と梟は誤魔化した。
この兄弟子も、ええカッコしいだからな、と鷂は苦笑した。
「・・・あら、おいしい」
紅茶を飲んで、顔を上げた。
茶だのコーヒーなんかより、蒸溜酒が飲みたい派だが、これはうまい。
「そうなんだよ。さっき孔雀に用意させた」
「まあ、すごいじゃない。家令は政治も戦争もやるけれど、まともにお茶を入れられるのはそういないじゃない。ギルド派って使い勝手がいいわね」
以前、鷂が仕方なく自分で入れてみたコーヒーは泥水のようで、この兄弟子が試しにいれた緑茶は青汁のようだった。
「真鶴が気に入ってな。一緒に菓子を焼いてたりしてる。これもそうだ」
鷂が食べていたマドレーヌを指差す。
「ふうん。真鶴が気に入って、ねえ・・・」
含みのある言い方に、梟が舌打ちした。
「白鷹姉上には余計な事言うなよ」
現在の皇帝である瑪瑙の総家令である梟は、主が揉め事を嫌う事を熟知している。
だからこそ梟は、特に背信に関わるようなことがわずかでも耳に入るなら火消しに走るし、そのような芽をさっさと摘む。
そもそも鷂を使って長期任期の長い司祭長を退けたのもその為。
「だってのに、女家令共ときたら・・・」
また説教がぶり返したか、と鷂はさりげない様子でまた窓の外を眺めた。
小さな女家令が二人、ままごとを続けているのが見えた。
「いいじゃない。家令はそもそもが争いと血を好む存在。猛禽だ蛇蝎だと言われてるんだもの。・・・あら、あの子、本当にタンポポだのシロツメクサ食わされてるけど。やだ、なにあの青い色水」
「・・・緋連雀め。また騙くらかしてんな。腹壊す前に止めてこい」
孔雀が醤油をかけたタンポポやドレッシングをかけたシロツメクサをむしゃむしゃ食べていた。
はいはい、と鷂は美しい女家令の礼をして退出した。
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