第39話 元老院《セナトゥス》
文字数 5,622文字
「竣工から一年経ちますけれど、内装はこれからなんでしょうか」と孔雀が度々心配する程に、相変わらずコンクリート打ちっ放しのデザインで、まことに斬新。
かと思うと、元老院達が主に使う階は、改装を拒否されていた。
時代を投影した、その時代の粋を集めたクラシックともまた違う、圧迫感のある豪華絢爛な内装に非常に高価な調度類が置かれている。
悪くはないが、こういうものは掃除が出来ないから傷むし洗濯出来ないから汚いのよね、と孔雀は正直あまり好きではない。
見習い女官が掃除の際に大きな古時計に少しでも傷を付けようものなら、これは重要文化財、と難癖をつけられる。
じゃ、お前がやれ、と至極真っ当な意見を元老院の人間に白鴎が言ったとかで揉めたが、孔雀的にはその通りだと思う。というわけで白鴎はそもそもギルド出、父親が現在のギルド長でもあり、元老院には嫌われている。もちろん孔雀も。
若い総家令は、以前の白鷹や梟程、不遜でもなく強権的でもない。
うまく事を次代に運んだとして宮廷では
他の家令達も、それぞれに宮廷や軍、神殿や聖堂で働いている。
予定外の事情で数年早く繰り上げれた人事ではあったが、何と言っても家令。一騎当千とは言ったものだ。
毎日の定例報告会とはまた別に、急に呼び出されて来てみれば。
孔雀は元老院長に茶を勧めた。
「どうぞ、お召し上がりください」
前線で三国が長年お互いの主張を崩さず、睨み合って均衡状態を保っているように。
こちらもまた、新たなパワーバランスの構築に余念がないようだ。
元老院長は元老院の総意であるとして、「そろそろ藍晶様に、ご継室を」と始まった。
孔雀は、はあ、と頷いて、名簿を眺めていた。
「ですけれど、元老院長様、昨年、藍晶様にはご正室が入られたばかりです」
去年の秋に、元老院の
もともと推薦されていた
「皇太子殿下様のご正室は比嘉家の二の姫という事で了承頂きました」と、あの時、この総家令は告げたのだ。
元老院としては当てが外れたが、長年婚姻を渋っていた藍晶が元老院出の正室を娶ったという事は大きな安心材料だった。
一丸家の長女ではなく、特に総家令にも王家にも得のない比嘉家の次女を勧めたのかはなぜかわからないが、藍晶が彼女ならば諾とするだろうという総家令の判断は、正しかったようだ。
盛大に行われた婚姻は、国の内外から賓客が訪れ、祝福された。
「陛下にもご正室が入られて程なくしてご継室が入られましたからね。不思議な事はありません」
孔雀は、はあ、まあ、そうであるけれども。と事実だけを確認して頷いた。
「女性同士のお気持ちを考えますと、早めに親しくなった方が良いのではないかと思うのです」
それこそ余計な御世話だと思うのだが。
じゃ、ご本人同士に聞いてみますか、と言いそうになり孔雀は茶を飲んだ。
確かに、最近また藍晶の浮名が聞こえ始めていた。
正室である鈴蘭が戸惑っているのは後宮中の人間が知っている。
「調度、殿下と親しくされている女性がいらっしゃるとか・・・」
孔雀はそっとため息をついた。そういうわけか。
「・・・元老院長様でいらっしゃいましたか、
先月、藍晶に紹介されたばかり。
皇太子の彼の継室として、なんとふさわしい身分、ふさわしい立場、ふさわしい振る舞いと容姿の女性だろうとは思った。はっきり言って非の打ち所がない。
いや、あの、と元老院長が口ごもる。
「出会いの一環としてですな・・・」
「お互いによろしくない事かもしれませんよ。
「だからですよ。そこを総家令にはうまくまとめて貰いたいのです。それがあなたの仕事でしょう」
なんと虫のいい無理難題だろう。
正室と良好な関係のまま継室を入宮させて、なおかつ元老院に有利に事を運べというのだ。
「藍晶様はリベラルとして内外から支持を受けておりますから。議員派を遠ざける事はないと思いますよ」
「そこですよ。・・・親しいと評判であった議員派のあのニュースキャスターとやらが継室に入らなくて良かった・・・。やはり浅ましい事でしたな。どなたかは存じないが女官も災難でしたね」
彼女に
その女官が誰なのか、当時かなりの噂となったが、結局はわからずじまい。
女官長も家令も口を割らなかった。
ただ妙な事に、一人、議員上がりが家令になったという異例の人事に誰もが首を傾げたものだ。
きっと家令が見せしめの為に議員を一人仲間に引き入れ
「基本的に、マスコミの方は入宮は控えて頂いておりますから、元々難しいお話でございましたよ」
マスコミ、金融、宗教関係に関わる人間は継室には入れない。そういう決まりがある。
元老院長の横に座っていた貴族然とした男が首を振った。
「そんなもの。身分ではない、職業でしかない事です。辞めたら関係ないでしょう。だが、それまでの人間関係を断つ事は、あのような人間には不可能でしょう。宮廷の様々な事が表に出て、有る事無い事騒がれては、総家令だってお困りでしょう。今後またないとも限らない。やはり宮廷の様々は今や家令では管理しきれないという事ではないですか」
そう言われて、孔雀は唇だけで微笑んだ。
前元老院長を父に持つ世襲の元老院次席。
翡翠の正室であった芙蓉を出した名家だ。元老院での発言力もある。
元老院長が麻上家の三の姫なら、一丸家の姫をと推薦したのは彼。当然、自分ではなく孔雀が推薦した比嘉家の姫が皇太子の正室になったわけだから、孔雀の事を不快に思っている。
正室がだめなら継室は思惑通りにというわけか。
確かに、彼は翡翠と学友でもあり、王族とも近い。
その上。雉鳩の母が、彼の父に後妻に入っていた。
雉鳩の母というのは、琥珀の父である黒曜の総家令であった白雁と、黒曜帝の妹姫の娘。一度、王族筋の人間と結婚していたが離縁し、元老院次席の父の元へ嫁いでいた。
家令の結婚や離婚が人事なように、王族の婚姻は政治、ならば貴族のそれは資産と特権を目減りさせない為の経済活動に近い。
確か前元老院長と雉鳩の母の縁談をアレンジしたのは、梟であったはずだ。
総家令であった白雁の娘であるという気遣いもあったろうが、王族と縁のある人間を娶るというのは貴族にとっても誉れであるから、どうにもまた当時の梟はあちこちで私服を肥やした感がある。
家令というのは誠に節操が無い、と孔雀はそっとため息をついた。
「総家令。これは、広く世間の認識ですが。総家令は陛下の
まさか貴族から世間一般の認識を聞かされるとは思わなかった。
「まあ、元老院次席・・・」
孔雀はちょっと眉を寄せたが、彼は家令の小娘の感情の
「・・・貴女の兄弟子の雉鳩。私の義弟になりますが。幼少から亡き皇后様の宮に招ばれ、皇太子殿下とも親しくさせて頂いていたはずでしょう。雉鳩はいつ皇太子殿下付きの侍従を拝命する予定なのか?第二太子に専属の侍従が配属されているのに、皇太子殿下に配属されていないというのもこれまた妙ではありませんか」
「アカデミーに在籍されている第二太子様はどうしてもご身辺が手薄になりますから、その為に大嘴お兄様がお側で仕えております」
聞く耳を持たぬ様子で路峯は孔雀を見た。
そもそも宮廷から天河を遠ざけたのは、彼らの一派だ。
孔雀はまた微笑んだ。
「皇太子殿下の侍従は、常にお側に控えねばなりません。雉鳩お兄様は我々家令がすべからくそうであるように、定期的に従軍する義務がありますし、
「しかし、皇太子殿下がいずれ皇帝の座に就くのは決まっているのだから、同時に家令の内から総家令を出す事になるのだろう。おそらく雉鳩になるとして、ならば早いほうがいいはずでしょう。・・・では侍従は緋連雀では。あの
「元老院次席様。陛下からも許可を頂いている事でございますから」
話を終わらせようとすると、彼は嗤った。
「それは貴女の思惑ではないのか。寵姫宰相は陛下に
あまりな言い草に、さすがに元老院長が手で制した。
孔雀がそっと目を上げた。
今更言われ慣れている。そんな事で今更傷つかないけれど。
「・・・次席は。それを不思議とお思いになられるのでしょうか」
ならば私は家令なのだから、なんでもする。何の不思議もないでしょう、と言うことだ。
居直ったかと路峰が大袈裟に声を立てて笑って見せた。
「元老院次席様。申し上げますならば。現在の状況を満たしながら侍従をお望みであるとして、皇太子殿下が軍属されるというならば、不可能ではありません。雉鳩も緋連雀も私も、海軍に所属しております。陛下も海軍に従軍された経験がございます。藍晶様が海軍にいらっしゃるとなれば、光栄な事と存じます」
元老院次席が腹立たしそうに眉を上げた。
「総家令。大切な御身の皇太子を軍になど。この話は何度も申し上げていますが。貴女は、万が一皇太子殿下がお怪我でもされたら、どう責任を取るおつもりなんですか」
「皇太子殿下に、ご意思もないまま実戦の場になどお運びいただくことはございません」
「・・・・実戦の話だけではありませんよ。軍の中にも、不遜な考えを持つ輩もおる事でしょう」
軍の人間が、皇太子を傷つけるというのか。
「ありえません。元老院次席。ならなお、皇太子様を軍に。信頼関係が生まれます」
「総家令。軍の人間など。家令にたやすく
確かに、国学者がそう歴史書に現していた。
「自分に益があるのなら誰でも殺し、誰とでも寝る。そういう事でしょう。貴女がそれを実証している。鳥ごときにかき回されては堪らない」
孔雀は、路峯をじっと見つめた。
彼らだって、やっと二十歳に届く小娘等、面白かろうはずもない。それは理解できる。
その上、自分が推薦した縁談を孔雀によってすり替えられているのだ。
最早、孔雀ばかりではなく、家令そのものを嫌っているのだろう。
我々は群れで飛ぶ鳥。
群れの痛みは、全員の痛みなのだ。
それを、きっと目の前の男はわからないだろう。
珍しい青菫色の目が揺れたのに、路峯はほんの少し興味を持った。
そもそも嗜虐性の高い男なのだ。
「・・・失礼致します。家令の燕がお伝え申し上げます。皇帝陛下がいらっしゃいました」
室内のやりとりを聞いて、終始ヒヤヒヤしていた燕がほっとした様子が伝わってきた。
少なからず驚いて、元老院長と次席、孔雀が立ち上がった。
「邪魔したかな」
孔雀が燕に指示して、ティーカップを持って来させて茶を入れ直した。
翡翠はソファに座り茶を飲んだ。
「お早いお帰りでございましたね。何かございましたか」
三妃が後援している若手クリエイター達が集まるレセプションに出席して、帰城は夜のはずだった。まだ、夕方ではないか。
同伴した金糸雀から連絡は無かったが。
「何のことはなく、思ったよりスムーズに進行したようだよ。こちらに元老院次席が来ていると聞いたからね。来てみたんだ」
「アカデミーのご学友でいらっしゃいますものね」
燕に、金糸雀に何があったのか聞くように孔雀は唇の動きで伝えた。
「そうだね。路峯と
「あの絵描きにも
路峰は肩をすくめた。
茉莉とは家令の父親を持ってはいるが家令にはならなかった者でその場合、鳥でも獣でもないので蝙蝠と呼ばれたりするのだ。一応、千鳥という家令名を持ってはいるが。軍中央とアカデミーに属している。
淡雪は画聖と呼ばれる人間国宝で、緋連雀の師匠に当たる。宮廷画家としても名高いが何せ気ままで放浪癖がある。
どちらも宮廷志向ではなく、皇帝の友人の割にあまり姿を見せないのだ。
それが路峰にもどうにも物足りなく、不敬にすら感じるのだ。
そもそも皇太子ではなかった翡翠にそういった友人が多かったという事の、翡翠であったり淡雪や茉莉のバランス感覚の方を孔雀は感心しているところなのだが。
「さあ、では行かないと」
「はい、でもええと・・・」
何か、約束でもあったかと孔雀はちょっと戸惑った。
「何も食べてないのでね。お腹がすいてしまって」
「まあ、それはお大変。もうお夕方ですのに」
陛下の一大事ですので失礼申し上げます、と孔雀は微笑むと、元老院の重鎮二人に礼をした。