第132話 運命の地図
文字数 5,943文字
「妃方に何か異なる事、非なる事があった場合に、そのお妃様がいらっしゃる宮をご封鎖いる処置の事です。これはご正室もご継室にも適応されるものです。そしてその封を閉じ、また開ける事ができますのは、総家令のみでございます」
刑罰ということ。
総家令が鍵の者、と呼ばれる由縁だ。
総家令になった日に、梟から渡された鍵の束にはそういう意味もあったのだ。
撫子が息を飲んだのが分かった。
まるで監獄みたいな設計ね、と自分が言ったのはまさに当たっていたのだ。
動乱の多かった時代、当時の総家令であった火喰鳥は、后妃達の住う後宮を、何かあればそのまま監獄として管理するのが容易な様に作ったのだ。
後宮において、后妃の不始末は、他の妃に対する傷害事件か、不義密通あたりか。
実家の人間の背信なども勿論含まれるだろう。
しかし、それも必要となれば家令達がどの様にでも処置をした。
芙蓉がいい例だろう。梟が彼女に与えたものはまさにそれだった。
宮城とは舞台の様なもの。必要な役柄を与えられて、その用に足らなくなれば、舞台から降りなければならない。でも后妃達は、皇帝が退位するまでは、舞台を去ることは許されずに役柄を与えられるのだ。それも出来なくなれば、あるいは闇に葬られた者も多かろう事は、総家令の日記に記されていた。
撫子が小さく頷いた。
「私はどうなりますか」
問われて、孔雀は微笑んだ。
「・・・撫子様。ご不快とは存じますけれど、あなたが家令であったなら、なんて思うのです」
案外いい家令になったと思うのだ。
ぎょっとして柏木と金糸雀が孔雀を見た。突然、何を言い出すのやら。
不敬だと柏木が眉を寄せた。
撫子が嫌そうに首を振った。
「不快です」
「そうございましょうね・・・それでは、新生活の計画を立てましょう。まずは、撫子様には、陛下と宮城を向こうに回して離婚申し立てして頂きます。何せ凡例がございませんから、手探りですけれど。金糸雀お姉様が弁護に立ちます」
金糸雀が礼をした。
これから頭を三角にして取り組まねばなるまい。
あまりな提案に撫子も柏木も顔色を失った。
「・・・・どの様な、理由で」
「なんでもよろしいですよ。奥さまがいっぱいいるのが嫌でも、私がおかしいからでも、陛下に付き合い切れないでも。申し立てる理由なんて何でもいいのでしょうし。ね、お姉様?」
「そう。女性が離婚を申し立てる理由なんて大体同じですことよ、撫子様」
孔雀と金糸雀が顔を見合わせて弾けるように笑った。
「金糸雀お姉様は経験者ですからね。・・・あの時は酷かったんですよ。金糸雀お姉様が暴れて白鴎お兄様が全治半年。10tトラックにでもぶつかって負けたのかなんてお医者様が仰ったくらいでした」
撫子と柏木が呆れて女家令を見た。
「それで、次は、撫子様を筆頭にして戸籍をお作り致します。これもまた初めてですけれど。改めて新しい姓を賜るのが一番座りがいいと思います」
金糸雀も頷いた。
「財産分与や慰謝料ではなく、正当な賠償金としての名目でこちらでご用意する方がいいでしょうね」
「・・・賠償金」
「その方が、今後の妃殿下のイメージがいいでしょうから。生きやすいと思いますよ。これはメモ程度でございますけれど」
孔雀が、撫子に書類を手渡した。
莫大な金額である。
撫子が驚いて顔をあげた。
白鴎の本名が書いてあったのだ。
「不本意だとは存じますけれど、どうぞ下賜された形でお願いしたいのです」
白鴎の両親にはその様に話して了承を得ていると付け足した。
「それからあとは、撫子様のお心の様にお暮らしになればよろしいのです。どの様なお暮らしをお描きになりますか」
「あなた、こんな。・・・なんのために」
「お幸せになっていただく為にです」
撫子が一度目を閉じてから首を振った。
「お前が決めた幸せになんて乗らないわ。それが私の幸せであると思うなんて、傲慢よ」
他人が決めた不幸な自分の人生は飲み込めるのに、自分が決める事が出来る、この先の幸福な人生を願わないのか、と孔雀は悲しく思った。
不幸や不運に執着する事はない。例え何か罪悪感に苛まれていたとしてもそれはよく言う因果応報、それと原因と結果は全く違うものだ。幼い頃から家令になった孔雀が身に付けたものはもしかしたらたったこれだけかもしれない。
「ちっとも嬉しくないわ・・・。継室候補群の家の娘のくせに、家令に堕ちて、それでも能天気に生きていれるお前になんか、乱されたくない。描く、何を!?」
今までにないほどに敵意を剥き出しにした彼女を、誰もが驚いて見ていた。
かくあれかしと描くというのは、それはそうできる環境にいる者だからでしかないのだ。
人間は出来ることか出来ないし、しない。
孔雀は微笑んだ。
「そのご様子でございましたら、心強い事でございます」
撫子が、不愉快な女、下がるといい、と小さく呟いた。
そんな言葉をこの女性が発したのは、きっと産まれて初めてだろう。
「失礼仕りましてお詫び申し上げます。・・・撫子様、これは私が兄弟子に言われた事でございますけれど。私の星回りは幸福だけでは満足できない女、と言われました」
ああ、因業娘。お前の星回りのなんて厄介な事だ。と梟はそう嘆いた。
孔雀の出生時の星回りはそう言うことになっているらしい。
「そして、それは撫子様にもございますとか」
撫子は少し茫然とした様に孔雀を眺めた。
柏木が眉を顰めた。
「その様な不吉なことを仰るのは、妃殿下を非難してらっしゃると言うことですよ」
別に不吉な事ではありません、と孔雀が微笑んだ。
「・・・それは、どうしたらいいの」
初めて、孔雀が戸惑う程にまっすぐ視線をぶつけられた。
「私も手探りです。どうぞ奮闘なされませ。私もそれしか方法がなくて今に至ります」
それでは、と孔雀と金糸雀は優雅に礼をして退出した。
翌日、毎日の習慣であるご機嫌伺いに訪れた金糸雀に四妃は任せたと一言言ったらしい。
人間の判断基準は、快か不快か善悪か損得か。さて、彼女がそのうちどれでそう判断したのかはわからないけれど。
兄弟子への愛情も含まれているといい、と願うばかりだ。
四妃との事を孔雀に告げたのは白鴎本人なのだ。
夜中突然に訪れ、思いつめた顔で話す兄弟子に、なぜそんなに深刻なのか不思議でしょうがないないという顔の翡翠の横で、孔雀は複雑な心境だったものだ。
梟が、白鴎をどやしつけて、お前よくもあんな星回りの恐ろしい女。いいか、孔雀と同じ星回りがあるんだぞ。こうなったら仕方ない、腹を括れ。秘訣は翡翠様にでも聞け、アホ坊主!と言ったらしい。
全くもって不敬であるが、弟弟子の女運の悪さと苦労を嘆いた心境であろう。
はて、白鴎は梟の言うところである、幸福だけでは満足できない最悪の星周りの女と一緒にいる秘決とやらを翡翠に伝授されたのだろうか、と思うと孔雀としては肩身の狭い気がする。
面白いと思ったのは、その言葉を言った時の撫子の反応。
まるでその昔、自分が梟にそう言われた時の反応と同じだったから。
自分でもなんだか分からなかった物の正体を言われてなぜか胸に刺ささり腹に落ちたあの時の、動揺とそしてそうかもと納得した気持ち、そして不思議な安心感。
翡翠が不可解そうな顔をしたのに、孔雀が首を傾げた。
「よく妖怪が名前を当てられると逃げだすとか、悪霊が名前を知られるとたちまち成仏してしまうみたいな物でしょうか・・・」
翡翠はそれもピンと来ていない様子。
「常々どうもお腹が痛いと思っていたけれど。お腹が痛いのは自分ではわかるけれど、それは食べ過ぎて胃痙攣なのだとか、はたまた腸胃炎なのか、実は婦人科系疾患だったか当てられた様な」
自分のことって一番分からない物ですよね、とのんびりした事を言いながら、四妃との顛末を聞いた翡翠が肩を竦めた。
「
撫子が天河に特定の感情を抱いていたのは知っていた。
実は、白鴎ではなく、その役割を天河にと孔雀は思っていたのだ。
だから折に触れて、天河を四妃の宮へと向かわせていたのだが。
それを知られたら、また天河に罵られる事だろう。
「結局白鴎と通じたわけだよ。それでやって行けるんだから、彼女は才能あるんじゃないの。誠に後宮向きの人材だ」
翡翠は悪意もなくそう評した。
本来そういう人間が、後宮に、宮廷には向いているのだ。
宮廷は弱肉強食と言う者もいるけれど、違う。
適性のある者が生き残るだけ。
弱肉強食ならば、賢明、剛腕、頑健、そう讃えられる多くの人間ばかりがいるはずではないか。
だが実際はそうではない。
孔雀はため息をついた。
「ええ。・・・私も。今、ようやくですけど。天河様が私に仰った意味がちょっとわかります」
ああ、お前はそこで生きる為に何でも出来るんだな、節操のない。
翡翠が撫子に抱く感情は、そのまま天河の言葉として自分にも向けられたものだ。
幸福だけでは満足できない、とはよくも言ったものだ。
天河と翡翠の差は、理解できないと非難するか、ならそこで生きていけと認知するかの差でしかない。違う世界で生きている人間には理解できない問題なのだから気に病むものではないと翡翠は言った。
「これで良かったよ」
翡翠としては、下賜する妃とその夫になる家令の話等早く切り上げて、夕食の話でもしたい。
「誰を愛するかは重要」
そう言われて孔雀ははっとして合点が言った。
撫子に白鴎を近づけたのは、翡翠だ。
雉鳩あたりが動いたか、はたまた緋連雀か、それとも両名か、あるいは燕も。
「・・・さすが宮廷育ちが皆で悪巧みですこと」
ちょっと恨めしそうに孔雀は言った。
「だって。いつまでも話が進まないで頭を悩ませているなら、問題を解決してしまった方がいいもの」
「・・・ああ、そうなんです。白状してしまうと、本当は私、天河様を撫子様に差し上げようと思っていて」
酷い話でしょう、仮にも王子様を、と笑う。
「でも天河様、ちっとも罠にかからないんですもの。わからないわ、あんなに可愛い女の人にお慕いされていて、しかもあの身の上ですよ。金平糖をお届けして頂いて。そのお礼にって撫子様、天河様をお手紙をお書きになって。私的なお茶会をお礼にってお招きくださったんです。だから私、お茶室お掃除して、お花も毎日取り替えて。いつでもお使いくださいませねって」
「茶室でお茶なんて飲むのかい、あの二人」
「勿論、お茶は建前です。あそこは雉鳩お兄様の毒蛇の巣ですから。あの巣におびき出せば成功率100%だって言ってましたもので」
「それは恐ろしいな」
「でも天河様いらっしゃらなくて。撫子様、それはもうガッカリしてましたのよ。だから私、天河様にお詫びにお食事お誘いになったらと言ったら・・・それは悪かったから、じゃあしゃぶしゃぶ用意しておけって私に仰って。何がどうしてあれだけ食が細い女性にしゃぶしゃぶですよ」
翡翠が吹き出した。
「ああ、合わない合わない。ならば違うものセッティングしなきゃ」
「まあ。だって、お茶やお食事以外、何でしょう。スポーツと言っても天河様の本気のボートなんて、海まで行かなきゃなりませんよ」
「だって。会話ったってあんな情緒も話題も乏しい男女だよ?ベッド直行の方が話が早いだろう、ああいう女は」
まあ、と孔雀が絶句した。
「翡翠様、家令みたいな事仰って。不良です事よ」
「皇帝の妃と義息子を不義の関係に走らせようと言う人間が、不良って」
翡翠と孔雀が笑った。
「でも確かにナイスアイディアです。ああ、最初から翡翠様に相談すれば良かった」
議会の行方も戦況も国対の行く末も爪弾く総家令だが、こと天河の縁談には殆に手を焼き、今のところ彼女が恋人に収まった。今のところだが。誠に不本意だが。
さてそれは運命なのか、と翡翠は思うのだ。
天河は、龍現の生まれであると言う。
王族にたまに産まれる星回りの人間をそう言うらしい。
たまにと言う割には、身近に真珠と翠玉と、母親を同じくする兄妹が共にその生まれである。
不思議なことで、血を継ぐと言うより、星を継ぐと言う事だと梟が言っていた。
「因縁を継ぐ、拾いやすいと言う事でもありますな。よく石拾ってくる子供とかいるでしょう。ああ言うのと同じです」
梟が頷いていたが、こちらはさっぱりわからない。
では、その因縁と言うのは、運命と言うものだろうか。
龍現と天眼、王と総家令がその関係だと運命共同体になりやすいように。
例えば、真珠と大鷲のように。
「どちらも確かに、特殊で引きの強い生まれではありますが。他にもいろんな生まれがあるんですよ。ただ、結びつきやすい。当然のように。例えば、酸素と水素で水になる、あんな感じの当たり前さで現象が起きる」
では、孔雀と天河は、翠玉は。
何を心配しているのか気付いた梟は少しだけ肩を竦めた。
「まあこのような話は、星回り《ホロスコープ》を学ばせる際に星の運命図を見せて家令共には話しておりますが。大嘴はあれでリリカルなところがありますからちょっと感慨深いものがあったようですが、あの妹弟子に言わせれば。現象としての結果が同じならば、愛するのも憎み合うのも一緒ね、と言う感想でありましたな。では、どうするか。あの末の妹が星の運命の地図を見て出した答えは、星に優劣なんかない。全てが愛おしい星。ならば、誰をどう愛するかは重要」
起きる化学変化を変える事なんか出来ない。でもその行程が違えば、意味がきっと変わる。
翡翠は運命というものには否定的であるが、本当にそんなものがあったとして、ただ当然の結果のように孔雀と存在できるのが天河であったり翠玉であるとして。
孔雀と翡翠がお互いに近くに存在する為には、努力が必要だ。
だからやった事もない努力を、翡翠もする気になったのだから。
その点において、確かにこの皇帝と総家令の立場にいる二人は特異な状況だからこそ非常な努力を積み重ねて来たのだ。
孔雀を寵姫宰相と揶揄する者はいても、宰相寵姫と言う者がいないのはその現れでもあろう。言葉は似て非なる物だ。それは翡翠も同じ事。宮廷に属する人間は、家令然りあだ名がつきやすいが、それは皇帝も同じで、今では翡翠様は愛隣王という敬称がついている。
それはちょっと勘違いとか人違いじゃないかと本人も周囲の人間も懐疑的だが、孔雀だけがぴったり、何と言う愛称の妙技か、と感じ行っている。
運命でないのならそれこそ今こうしてあることが本物だと思うのは、多少の自信があるからだが。
そもそも年端もいかぬ子供にお願いして、ほぼやらせのように始まったものだけれど。
それから二人は、日が沈む頃、あたりが柔らかなランプの光に満ちるまで寄り添っていた。