第137話 嫉妬と強欲
文字数 5,517文字
天河をプロメテウスの一員に。
孔雀が真鶴に懇願し、持ちかけたのだ。
目白の空席に自分でなく天河を、というわけだ。
予想以上に真鶴は激昂して当たり散らした。
冗談じゃない、義理もなきゃ、あるのは憎いだけ、と、真鶴は吐き捨てた。
「翡翠も嫌い。天河なんてもっと嫌いだわ。・・・・なんで私じゃないの。だってもともと全部私のだったのに」
羨ましい、妬ましい、憎い。
真鶴はそれが胸の奥で沈殿せず、そのまま行動に発動する。
まるでそれが正しい事のように。周囲を攻撃し混乱させて、破壊する。
しかし、自然現象の様に、いつも彼女は正しい。
善悪ではなく、正しいのだ。
孔雀は驚いて姉弟子を見た。
「・・・真鶴お姉様、あなたほどの方が他人を妬ましいだなんて・・・」
「妬ましいばかりよ」
真鶴がそう言った。
「・・・プロメテウスは7人。ギリシャ神話をモチーフにしているくせに、一人一人に与えられた名前は、原罪の名前。私はインヴァイディア、エンヴィだった。・・・・よくもまあ・・・」
孔雀は眉を寄せた。意味は嫉妬。
輝くばかりの姉弟子に最も相応しくない名前。
でも、彼女は確かにそれを自らに知るのだ。
人類の希望とも言える一握りの人間達に与えられた名前が罪の名前だなんて、心が痛む。
けれど、孔雀には分かるのだ。
人類に与えられた英知の希望の炎。
己の暗部を知らなければ、もっと昏いものを照らす事なんて出来ない。
「・・・いいえ。ならば、あなたは私の黎明」
悪魔の名前だなんて。
本当に、そんなこと一体、誰が考えたのだろう。
孔雀は姉弟子の頬に触れた。
この人の肌は不思議といつもほんのりと温かくて、ビスケットみたいな匂いがする。
その手を待っていたかのように真鶴はそっと握りしめた。
「ねぇ、真鶴お姉様。そんなの適当に役割決めて当て嵌めただけのこと。神様や悪魔は人間が考えたことだもの」
神殿の巫女が何言ってんのよ、と真鶴は苦笑した。
「じゃあ、七人でしょ。七福神とか。七大天使とかいるじゃない。別にあれだっていいじゃない。今日からそれにしちゃえば?」
そう冗談でもなくいうのがまたおかしい。
「どうしてわざわざ不幸になるものや悲しくなることを信じなくちゃならないの。その先に希望があるなら歩けるけれど、そんな重たい荷物をずっと運んで歩いて行かなきゃならないなんて。名前ひとつで変わるなら、そうしたらいいのよ。タダなんだし」
にこにこと言う妹弟子に真鶴は吹き出した。
「じゃあ、どうするの」
「うーん、七福神ならやっぱり女性の神様だから、弁天様。わあ、一気に親しみやすくなった」
言いながら自分で受けて笑い出している。
「天使様ならガブリエル様は?昔からちょっと女の方っぽく美人に描かれているでしょ。それに私、聖堂の修復で鷂お姉様手伝った時、ガブリエル様を直したのよ。真鶴お姉様にちょっと似てる」
それに、悪魔というなら。と孔雀は膨れた。
「私なんてルシファーって呼ばれてたんですって。失礼しちゃう」
それに、王様を
血の一滴も流れなければ革命でもなく、動乱でもない。
物語が変わり、舞台装置と俳優が変わっただけ。
総家令孔雀の采配の速やかさと皇帝の引き際の見事さが認められたと同時に、寵姫の部分の孔雀の所業がいつまでも人々の口を、耳を、下世話に楽しませる。
現実に、彼女の隣にはいつも元皇帝がいる。
彼等自身がそれは当然と思っているし、宮廷の人間は昔から皇帝と総家令がいわゆるニコイチのようなもの、と思い込んでいるが、今時の普通の世界中の大部分の人間から見たら、非常識なものなのだ。
何より継室二人を遠ざけたのは事実。
更に、その
それは人々の目に不快に映っても仕方ないのではないか。
この妹弟子はギアを入れたり戻したりの振り幅が大きいからか、自分のやった事、行動思考までころっと忘れている節がある。
多重人格か記憶障害なんじゃないかと天河が不気味がるのも肯ける。
真鶴は孔雀の頬を突っついた。
「・・・私の名前は翠石だけれど。あの石は、ルシファーの被っていた冠だとか第三の目がエメラルドだったとか。堕とされた時に一緒だったそうよ。・・・そうね、悪くない」
孔雀はそっと真鶴を抱きしめた。
「そうね。真鶴お姉様と一緒なら、地獄に落とされても、まあいいか」
孔雀は楽しそうに笑った。
真鶴も堪らなく嬉しさがこみ上げて来たが、思い出して美しい唇で舌打ちした。
今、まさにたらしこまれるところだと自覚して。
「もう・・・。いいわ。天河の条件次第だけど。天河の件は真鶴預かりよ」
孔雀が顔を輝かせた。
「贅沢な男!アンタに愛されてさらに不可侵まで与えられるなんて!」
「プロメテウスは私なんかよりよっぽど心強い。・・・良かったわ。これで天河様は守られる」
一層真鶴が不機嫌になった。
「まだわからないわよ。保留の保留よ。補欠の補欠。・・・じゃあ、私は、誰が守るのよ」
嫉妬で頭が痛い、と呟く。
孔雀は、真鶴の唇にそっと唇を重ねた。
心地よい冷たい舌の感触。
「・・・・私が守ります。ねぇ、お姉様。だから、孔雀と取引を」
まるで陽だまりのように微笑む。
ああ、この女はやっぱり悪魔だ。
そうだ。ルシファーのいくつかある象徴の中に孔雀もいたはずだ。
真鶴は考えるのをやめて、不思議な甘い匂いに溺れた。
二つの都市を行ったり来たり。
今では孔雀の所有になっている止まり木と、天河の所有の極北離宮の行き来をしている事になる。その合間に、父親がその恋人と過ごす客船にも足を運ぶのだが。
王族が作った企業所有の船、しかもその元王が居住する船という事で、何かと話題になる。
素晴らしい客船であり、設え、ホスピタリティ、料理、全てがまさに王様級、と何かと話題になる船である。
それはそうだ。舞台を変えただけで、相変わらず皇帝は家令どもに囲まれて生活している。
何が面白くないって、その皇帝の恋人がまた自分の恋人だという事で。
天河は止まり木に帰宅すると、大きすぎて置くところがなくリビングに置いてある巨大な冷凍庫から、作り置きの太巻を取り出した。
なんだか、減ってないか・・・・。
と天河は冷凍庫に頭をつっこんだ。
孔雀が揚げ物だの寿司だの柏餅だのなんでもかんでも入れていく。
外食する時もあるが、なにせ忙しい身だ。
日々、冷凍庫にあるものを解凍して食べている。
つまりこれは生命線なのだが。
朝までは地層のように詰まっていたのに、今やスカスカだ。
誰か家令が来て食ってしまったか。
大嘴だろうか。いや、大嘴は今や聖堂の枢機卿だ。
以前のように自分の侍従というお気楽な立場とは違うのでそう頻繁にも来れないだろうし。
そもそもあの大食らいなら、出前を山のように頼むはずだ。
天河は、思案しながらも底の方の助六寿司を取り出した。
「・・・・ちょっと・・・」
突然声をかけられて心臓が飛び出るかと思った。
最近怖い話をネットでたまたま見てしまい、考えないようにしていたが頭のどこかで怯えていたので、ついにまさか幽霊か?!と思い悲鳴を上げると、相手もとんでもない叫びを返してきた。
「なんなのよアンタ!!!びっくりするじゃない!?」
美貌の家令。元皇女で王妹。真鶴だ。
「こっちのセリフだわ!お化けとか幽霊かと思った!そういうの大っ嫌い!!」
「やめてよ!私の方が嫌いだわ!そういうの!なんて恐ろしい!」
これで二人とも科学者だ。
息が整ったところで、天河はテーブルの上が宴会状態なのに気付いた。
どうやら犯人は彼女のようだ。
「ああっ。あらかた食っちまって・・・・」
食い物の恨み、と天河が叔母を睨みつけた。
叔母と甥が久々に会って時間を共にする、というより。対峙しているとしか思えない。
悪魔が舞い降りたような状況に、げんなりする。
突然、その彼女がグイッと胸を逸らして宣言した。
「・・・・天河、あんたに圧倒的に足りないものよ。私には理解できない。望むべきよ、もっとね」
どこだっけ、あった。と、いかにも適当な茶封筒を手渡される。
天河は不審な気持ちいっぱいで受け取った。
この女に今まで笑顔で差し出されたものは、辛子が仕込んであるマカロンだの、わさび入りの豆大福だの、ろくなものじゃなかった。
その点ではあの父親にそっくりだ。
とんでもない辞令を、機嫌よく何度渡された事か。
しかし、今回は非常に面白くなさそうに渡すのだ。
茶封筒から、古い緑青の吹いたようなコインが出てきた。
歴史的価値があるものだろうか。
しかし、天河が知る銀貨のどれとも違う。
よくわからない絵柄、文字の刻印がうっすら残っていた。
「うわ、きったねえ小銭。・・・アヴァリティア・・・グリード・・・」
強欲。
「望んでおいて諦めるなんてバカな事。そこがいまいち、孔雀に愛されない理由じゃないの。私と違って。おお嫌だ」
真鶴は腕組みをして睨みつけた。
「あんたは今の今から、プロメテウスだよ」
言いたい事だけ言うと、さっさと部屋を出て行った。
それが真鶴の策略の一環だと知ったのは、しばらく後の事だ。
孔雀が妊娠するという有りえない事態を真鶴が計った。
家令としての生体ナンバーも記録されている避妊チップを別のものにすり替えたのだ。
妊娠出産に孔雀が耐えられるのものか、死んだらどうするんだと翡翠に迫られ、彼女は、そのぐらいの思いで私の為に何かするというのなら私はそれで満足。孔雀が、またはその子が生きるか死ぬかは関係ない、と言い返したらしい。
どこまでも利己的な彼女に、翡翠は絶句した。
生死を掛けて自分に愛を示せ、そしたら天河をプロメテウスにしてやる。
そういう彼女の意向を知らされず身のうちに起きた孔雀は、愛しい恋人や兄弟姉妹達の元から出奔するほど戸惑い、躊躇ったが、結局、最終的には真鶴の条件を飲んだのだ。
この身に宿った命をどうこうとかそんな健気なものではない。
もはや、これしかないと悟り、なら仕方ない、まあいいか、と決めたのだ。
相変わらず生贄だな、と、妹弟子の状況に同情しつつ、またどのように事が転がるのかと金を掛けていた事はもはや言うべくもないが。
かくして天河は、真鶴の言葉を参考にした。
望め。求めよ。強欲に。
孔雀に結婚をしつこく迫り、詰り、ついにお前のせいだ責任を取れと責めて、孔雀を納得させたのだ。
皇太子でもあり、莫大な資産と格別なる処遇と彼の望むほぼ全てを手にした藍晶に対して、天河は相変わらず宙ぶらりんな割にそれに対して危うい立場。だからこそ家令の目も手も行き届く場所に居て欲しいが、皇帝に近すぎては、藍晶の立場を危うくする。
皇帝の寵姫でもある総家令と、孔雀が言うところのお付き合いをしている事はもはや宮廷での繋がりが無くなった状況では周囲への牽制にもならなくそれどころか印象も悪い。
今こそ関係を精算すべき時ですらあるのだと孔雀が訴えるのに、天河は書類を出してきた。
元王族の立場を放棄、よって今後政治的に何らかの影響のある行動は一切係りない、その事実の根拠、担保として、孔雀の籍に入るという旨の文書である。
後見保証人は孔雀によって王族復籍をした翠玉皇女。
つまりは天河が嫁降する、という事だ。
太子が家令に婿入りとはさすがに前代未聞。
とんでもない話と孔雀は悲鳴を上げたが、天河はもともと孔雀が撫子と自分をどうこうしようとしていたと言う計画を、勿論家令共から聞いて知っていたものだからその意趣返しではないが、結構怒っていたのだ。
他人の人生変えといて、自分だけが変わらず家令として生きていけるなんて思うなとか、藍晶にはあんたの事それほど好きじゃないとか、俺とは未来が想像出来ないとか、自分に都合の良いじじいとばかりつるんで、一体全体何様のつもりだとか、人を変態だのストーカーだのサイコパスだと言うのなら、そうしたのはお前だから責任を取れ、甲である自分は乙であるお前によって精神的苦痛を与えられた、よって、乙は甲に賠償せねばならない、とかなんとかと揺さぶりをかけられ、ついに孔雀が了承し、震える手で結婚契約書類にサインしたのだ。
わかればいいんだ、と上機嫌で結婚式の算段をせねばと意気揚々とし、お祝いにと船のレストランで乗客全員にしゃぶしゃぶを奢っている天河に対して、孔雀は大変なことをしてしまったとしばらくお通夜のように意気消沈し、翡翠が何とか契約不履行にさせようと頭を悩ませていたのは家令の笑いを誘ったものだ。
かくして真鶴に
孔雀と真鶴が花嫁衣装を着て、もはや誰と誰の結婚式なのかわからぬ式が執り行われ。
孔雀の、腹まである長く大粒の真珠の首飾り《ネックレス》は真鶴が贈ったもの。
もとは淡雪から貰ったものらしい。
真鶴の胸にもどでかい星の形のダイヤのブローチが輝いていた。
これは孔雀が夜鍋で
忘れられがちだが天河と孔雀はお互いの瞳の色の
その宴の直後、孔雀は突然産気づき、難産で帝王切開に切り替わり、出産時に意識不明に陥った。
雉鳩からまたも大量の輸血を行った状態で双子は取り出されたのだ。
だからなのか双子はやたらと雉鳩に懐き、新生児及び乳児のあまりの傍若無人ぶりに翡翠と孔雀と天河が育児ノイローゼと過労に陥り、雉鳩がその育児を託されたのだ。
その話の流れを聞かせられた鵟はもはや言葉が無かった。
「全く、王族の執着ったら迷惑だよな。もっと人間関係もアッサリしててほしいもんだ。俺みたいにオシャレな人間はそうでなくちゃな・・・」
と言う雉鳩の横で、双子が、アカデミーに入学するのをいい機会とばかりに、止まり木を全面改築して雉鳩と自分達の為の愛の巣をこしらえる計画をしている等というのは知る由もない。