第41話 密談
文字数 3,429文字
「お前の妹弟子は皇太子を戦場に出したいらしい。前世紀の話じゃあるまいし。頭がおかしいのか」
路峯が面白くなさそうに言った。
「まあ、第二太子殿下がこの春から従軍する事が決まってますからね。皇太子殿下も、おかしくはないでしょう。陛下も海軍に従軍された経験がおありなわけで」
孔雀の心配事がまた増えたわけだ。天河の軍属は孔雀の兼ねてよりの希望でもあったが、そもそも海軍か、侍従である大嘴の所属する空軍に配属されるのだと思っていた。王族であるから前線勤務はご法度とし、花形であるドクターヘリの操縦に携わる業務に従事する、と言うのが孔雀の描いていた天河の進路だったのだが、それがまさかの海兵隊。
青鷺姉上に殺されるな!と大嘴がふざけていたが、冗談に聞こえない。
王族が、切り込み隊長とも言われる海兵隊はないだろうに、翡翠が決めてしまったのだ。
「まあ、決まったものは仕方ないでしょう。皇太子殿下も近いうちどちらかへ配属になるのではないですか」
「冗談じゃない、ギルド出の母親を持つ控えの二番手なんかとは訳が違う」
彼は皇太子を軍隊に出すのを昔から極端に嫌がる。
自分と元老院が担ぐ御方に僅かでも瑕疵があってはならぬ、ということか。
「そもそもなぜ王族が従軍せねばいかんのだ。今時、時代劇か、馬鹿馬鹿しい。そんなことしなくともいいよう、家令がいるのではないか」
確かに、今までも王位についた者ですら軍属した経験のない王族も多く存在する。
翡翠の祖父に当たる黒曜帝は、母親である金緑帝と総家令であった
「大戦の折、琥珀様は従軍されましたね。白鷹姉上と共に前線を走り回ったのは語り草だ」
黒曜の父親違いの弟は戦死したし、娘である琥珀もまた従軍したと言うのに、黒曜帝は戦場に出る事は無かった。
「黒曜帝の王弟という方も、琥珀帝も、その時は皇位から最も遠かったのだから、仕方あるまい。家令が多く死んだと言うが、それの何が悪い。有事の際に、王族と貴族の代わりに家令が死ぬのは定石だ。それは黒曜帝もお望みだった事だそうだからな」
雉鳩はソファに体を預けていたが身を起こした。
「以前からお伺いしたかったのですが、貴方は亡き皇后陛下の義兄として、また陛下のご友人として皇太子殿下を支持されている訳ですが。勿論それは、自分達の権勢の投資の為であるとしても。そんな事は廷臣としては当然ですから。では、翡翠様に対してはどう思っていらっしゃるのか」
義弟の質問に、路峯は少しだけ沈黙した。
「翡翠は、陰がありすぎる。・・・だが、それを感じさせないだろう」
何の事だと雉鳩は眉を寄せた。
翡翠の人生には常に不幸とか不運とも言える不吉な事柄が付き纏っていた。
兄王である真珠帝が背信の罪で追われ、それを母親である琥珀に命じられ討ったのは翡翠である。実際には、すでに自害していたそうだが、それを確認し、大罪につき埋葬は許されず、真珠帝の遺体はキルンに投げ込まれたそうだ。
その後、琥珀の命令で彼女の弟である瑪瑙帝が即位し、翡翠は皇太子となり、二妃を城で亡くし、皇帝となって間も無く、皇后まで亡くした。
彼に付き纏うのは死の影である。けれども、それを感じさせない。しかしそれは強さではない。
無関心、無頓着、もしくは、心の病に近い、ある種の不健康さ、歪み。
それを路峯はどうしても嗅ぎ取ってしまうのだ。
ああ、そうか。と雉鳩は理解した。
この男は、翡翠が怖いのだ。
どうしても翡翠のその闇を受け入れられない。ざらりとした違和感を恐怖だと感じてしまうまでに。
それは、この男がやはり、愛されて生きてきたからだ。貴族筋でも上位、そして元老院長の息子である。勿論何がしかのプレッシャーもある生い立ちであろうが、それは光り輝き咲き誇る花束の重み。
路峯は更に続けた。
「琥珀帝が藍晶様が誕生された折に、次の皇帝は藍晶様だとお決めになった事は宮廷中の人間が知っていること。前例がない程に望まれた王子、幸福が約束された王子だ。今更、皇帝に陰や闇などがあってはならない時代だ。・・・誰が喜ぶというんだ。見ていて不愉快なだけだろう」
それは、彼の本音だろう。
「皇太子殿下は皇帝に成るという約束された王子だ」
路峯は繰り返した。
それを見届けたのは、自分と自分の父。
昔、白鷹が女皇帝から言いつかったと、あの取り澄ました顔でわざわざ自ら書類を元老院に見せに来たのだ。
皇后は、前の元老院長、つまり父の養女という立場で入宮したのだ。その子がいずれ即位するという事に、むろん異存などは無い。
そもそも当時の琥珀帝と白鷹に逆らう者等、誰一人としているわけも無いが。
その二年前に、その二人は前皇帝とその総家令、息子と弟弟子を背信の罪として殺している訳だ。本来なら琥珀の弟である瑪瑙帝と梟が皇帝であり総家令であるはずなのに、離宮に居を移して久しい二人の女達の、宮廷への影響というのは瑪瑙帝と梟の権威を凌いで余りある程。だからこそ、リベラルで知られた瑪瑙帝がいかに議会派を庇護しようが影響はそれほどでもなかった。元老院である自分達には非常に都合が良かったけれど。
「将来的に、皇太子殿下は皇帝になるのは決まっているわけだ。殿下には、末長く元老院を庇護して貰わねばならないしな」
外戚として彼の発言権はまだまだ大きくなるだろう。
「まあ、我が家は、義母上も家令とは縁があるわけだし、お前は家令」
「お気に召しませんか」
「とんでもない。家令とは淫らで血と争いを好む猛禽、蛇蝎、というのは、我が国において古くから言われてはいるが。同時に皇帝に一番近い。そもそも義母上の母は黒曜帝の皇妹だ。琥珀帝の伯母に当たるわけだ。更にお前の父親は貴族筋。お前は家令などより王家に近い。我が家にとっても名誉なことだ。お前が総家令になれば済む話。あの小娘に万が一があれば、お前が順当なのだろう」
確かにそれは梟が決めているが。孔雀に何事かあれば次は雉鳩、その次が金糸雀。
「人肉を喰らうダキニが言うには、家令というのはなっていくものだそうです。あの妹弟子は骨の髄まで家令ですよ」
雉鳩が笑った。
路峯が近付いた。
「全く。・・・その骨の髄まで家令の総家令殿のおかけで、宮廷はあっちもこっちも工事中だ。あの銀行屋の息子も、頭がおかしいんじゃないか。あの小娘が、壁を抜けといえば、何の疑問も抱かずに宮廷の壁に重機で穴を開ける。昔なら不敬罪で死刑だ、だからギルド出など」
爆撃を受けたかのようにぶち壊したその真ん前で、一服しましょうと二人で茶を飲みながら、白鴎お兄様、ここの壁紙はボタニカルな花柄にしようと思うの。いいんじゃねえの、花なんか知らんけど、なんて話している様子ははっきり言って不気味だった。
改築後、宮廷中に光が入るようになり、風通しよくなり。
「日陰の我々がこうして会うのも肩身がせまい、と言う訳ですか」
雉鳩は、なんとも艶やかに笑った。
「日陰ね。・・・まあ、それも今しばらくの話。・・・お前に話しておかなければならない事があるから。・・・それからこれをあの寵姫宰相にお見せしろ」
そう言って封筒を手渡した。
雉鳩は不思議に思って封筒のサインと割印と封蝋を眺めた。
今は亡き皇后の署名筆跡だ。
子供の頃から出入りしていた螺鈿宮で、皇后から定期的に軍属や
ただ、あの時はもっと私的なもので、割印等無かった。これは公文書扱いということか。
「私もお前も人生が変わるぞ。俺は甲斐性があるだろう」
雉鳩は不穏な物を感じた。
何を始めようとしているのか。
思わず封筒の封蝋を開けようとした雉鳩の腕を路峯が捉えた。
「・・・・いけませんか」
宮廷一、二、とも言われる美貌の家令の不安気な様子を、路峯は楽しんだ。
「いや、構わない。あの総家令殿に引導を渡すのはお前の役目だからな。知っておかねばならんからな」
だが、その前に、と思わせぶりに路峯は、視線で隣室の寝室を示した。
雉鳩は、封筒を持ったまま路峰を明かりを落とした寝室に導いた。