第128話 蜂の巣に女王蜂、そして蜜教
文字数 4,426文字
いつもは花のように優しく揺れる青菫色の目が、いつもよりも冥く赤い。
ああ、この目、顔、この表情。
思い出すのは数ヶ月前。
ちょっと出張ね、と言われて、孔雀が指名したのは、鸚鵡と大嘴と仏法僧。
その内容に驚愕した。
A国が協定違反をした事により、報復措置として緋連雀が戦艦を沈めたのはこの目で確認していたから知っていた。
しかし新たな戦艦がまた進軍しているという。
このままでは両軍が激突する。
報道されることはないが、前線において小競り合い等これまでも何度もあったらしい。
深夜、存在しない鳥、見えない鳥という意味の名前のついたヘリの中。
装備を整えながら、まだ子供の頃から軍に送り込まれ、姉弟子や兄弟子について前線で過ごした日々のあれこれを孔雀と大鷲は嬉しそうに話した。
それを違和感と表現する以上の不穏な物を感じた。
それを分かるよ、と言うように苦笑して見せたのは鸚鵡。
家令になってまだ日が浅く、必死にここまで来たが、まだ戸惑うことは多い。
議員としての廷臣であった自分にしてみると、何より驚いたのはその自由度の高さ。
家令は身分こそ低いとされるが、別人になった訳ではないのに一線を越えてしまうとこんなに世界が違うのかと
今まで自分が知っていた宮廷は、ほんの一部分の世界であったと言う事に改めて気づく日々。
宮廷というのはまるで舞台のようで、あちこちで同時にいろいろな公演は行われているが、物語は家令達によって興業されているようなものであると思う。
以前は、その宮廷の中心である皇帝とそれに連なる人々の直近で過ごす事等考えられなかった。
家令というのは皇帝の側に侍り、仕え、また甘言を吹き込み悪事を図り、世を乱すとさえ思っていた。
確かにそんな面もあるはあるが。
孔雀とのそもそもの出会いは最悪。
血気にかられた若い青年議員達が皇太子の恋人に
そのリーダー格の人物に呼び出されてみれば、総家令を襲撃するというもので。
結果として、失敗に終わった。
複数でたった一人の女性を、襲撃する、つまりそれは、なんと卑劣で愚かな事か、犯してしまえと言う事。
しかし、武道に長け、戦場を知る家令という物を誰もよく分かっていなかった。
孔雀は、男たちを全て動作不能にして見せたのだ。
ある者は足を、肩を、関節を外され、床にのたうちまわる彼らに、こんなことをしてはいけないんですよ、と孔雀は苦言を呈したが、誰も聞こえては居なかったろう。
かく言う自分は、骨盤を外されたのだ。
それからしげしげと顔を眺められ、額をぐりぐり触られ、こんな時に申し訳ないけど、あなたにお願いがあって、家令になって欲しいのだけど、今ならこんな福利厚生があってとか、親御さんに言いづらいなら私がご挨拶に行きますとかそんな内容で、激痛の中でリクルートされた。
そしてその後すぐに本当に彼女は菓子折りを持って実家に現れた。
改めて身近にしてみると、彼女は噂とはだいぶ違っていた。
そもそも議員でも官位を与えられた者以外は間近に見た事も無い。
そもそも議員連中と言うのは宮廷に関わる人間の中でも新興の存在なので色恋を含めた"宮廷の華やかな文化"には疎く、議員達自身が軟派で退廃したものと表向きは嫌っているのだ。
だから勿論、世襲にしろ若手議員の自分は外宮の事しか知らなかったわけだ。
孔雀に手を引かれるようにして扉を次々に開けられ足を踏み入れた宮廷の世界の何と美しい事か。
そもそも寵姫宰相と揶揄されていた彼女の人となりというのはそれ程、聞こえの良い物ではない。
そもそもが家令。
加えて、眉をひそめるような理由であまりにも若い年齢で総家令を拝命したのだとまことしやかに伝えられていた。
そもそも宮廷でそのようなことを真偽するのは野暮であり好まれないのが、その真偽は別として、とにかく彼女の存在というものは平たく言えば、皇帝の総家令を務めた老家令達が皇帝の為に用意した彼の趣味に合う若い愛人だという事ではと言う向きもあった。
宮廷の人間達が、あの総家令はまあとにかく忙しいが、暇を見つけてはあちこち普請ばかりしている。が、誠に趣味が良い、という話通り確かに廷臣達が集う宮城はみるみるうちに華美ではなく豪奢でもなく、華麗に整えられて行った。
皇太子が好ましいと小さな孔雀風、と名付けたようにそれは宮廷の人間達を喜ばせた。
皇帝が代わり総家令が変われば、宮廷のあり様もまた変わるものだが、議員であれば決して足を踏み入れる事は許されなかった皇帝の私生活のある
それを見たこともない官位の無い廷臣は悪魔の巣窟などと揶揄していたけれど。
しかし、その実態はやはり孔雀の設えによる美しい世界、居心地の良い美しく
悪魔の巣どころかこれは極楽という物ではないだろうかと目を疑った。
それが孔雀の頭の中、胸の内に寛ぐようで、正直たまらなくうれしかったのだが。
だからこそ、前線に出るなどあの楽園から地獄に降りて来たような気分ではないだろうか。
そう尋ねると、年下の姉弟子は少し驚いたような顔をした。
「・・・困った事に。私はとても自由な気分よ」
孔雀はそう言ったのだ。
おぉ、骨の髄まで家令め、この悪い鳥、そう大嘴に
それから孔雀は仏法僧に向き直って手を取った。
「あなたを家令にしてしまったのは私。申し訳なく思う気持ちもあるの。梟お兄様が総家令の頃は、あれでお優しいから、このような働きをする時は、行動を分散させてくれていたの。だから上の世代は梟お兄様の言われるまま動き、情報を集めて行動して来るけれど、それがどう繋がりどういう影響になるのかは知り得なかった。知るというのは恐ろしい事だから。・・・でも私はどうもそういうタイプではないようで、そしてそんな余裕はなかったの」
「おかげで悪徳にどっぷり浸かってるわけだ」
大嘴が笑った。
「家令の情報は共有されるもの。それは罪悪であっても。ごめんなさいね、仏法僧」
堕ちて、巻き込まれてもらう、と孔雀は言っているのだ。
家令が特殊な目的を持った集団であるのは知っていたが、その覚悟が出来ているかと言われたら、正直そうとは言えない。
「家令は成って行くもの。ある時、ふと気づいて、あなたは後悔して私を恨むかもしれない」
青菫色の目に見つめられて、仏法僧は首を振った。
「後悔などしないでしょう」
きっと後悔などしないほどにこの不思議な色の瞳に魅入られていたい。
孔雀は冷たい指先で仏法僧の手を握りしめた。
孔雀は、この度は自分は
蜂の
蜜教が率いる部隊の
それから、自分達は空中から戦艦が静かに海底に引き込まれていくのをじっと見ていたのだ。
間も無く救助活動に入ると指示され、全ては用意されていたのだろう、それぞれが配置されていた場所から救助の為の船舶が集まってきた。
その中のギルド所有の船に乗り込み、船員に身を
海に投げ出されて重油に汚れ、生命に危険を及ぶ程の低体温症の者や、海に投げ出された時に負傷した者。だが、信じ難い事に命を失った者は一人も居なかった。
緋連雀が沈めた戦艦は壊滅、全員が死亡したが、今回は命を失ったものはいないのだ。
名簿上では三名。それは最初から存在しないのだ。
家令が用意したダミー。
孔雀が沈めたかったのは人間ではなくて艦。
彼女は言わないが、あの戦艦にはどうもまだ公にしてはならない最新兵器が搭載されていたようだ。
「A国がそれを開発しているという情報は川蝉お兄様が教えてくれていたの。だからこそ自信満々に進軍したのよ。・・・でもこうなってみて今後は、実際に運用するには慎重になるでしょう」
孔雀がそう言っていた。
結局、その海溝の深くに沈んだ艦は引き揚げる事は難しく、そして引き揚げられては困るもの。
何であるかが明らかになれば国際社会から非難されるものである以上、この二つ目の艦の事は無かったこと、無かったものにしろと言う孔雀の主張をA国は受け入れた。
孔雀は、A国に恩を売りつけた事になる。
「なぜ我は生き、何故彼は死んだ。何故彼は生き、我は死んだ。一つ目と二つ目の
水面に投げた小石の波紋が、池の全てに影響していくように。
彼女の目は、赤紫色の油がたぷりと溜まっているように昏く。
仏法僧はそれを思い出して、立ち
「・・・金糸雀お姉様と雉鳩お兄様が丁度一宮家にご挨拶にご訪問する予定だから。仏法僧も同行して。四妃様がお入宮になって以来、毎年冬はご夫妻で避寒に暖かいところに行かれているそうなの」
海外のリゾート地で豪遊しているという話は家令だけではなく、宮廷の人間ならば知るところだ。
その経費は内廷費から出ている。
雉鳩はそのお門違いの請求書にいつも怒鳴り散らしているし、その度に孔雀がなんとか出そうと説得をしていた。
「はい。でも、まだ避寒にはちょっと早いのではないですか?」
秋の園遊会の計画が始まったばかり。
先週もこの金木犀や柊が香る季節はまだお昼間は暖かくて良いわねえなんてウキウキしていたではないか。
「今年は、ご長男とご一緒にちょっと早めに出発されるみたい。でもこれから台風シーズンだから心配よね。台風の通り道だものね、あの島。・・・金糸雀お姉様もお好きでバカンスに行くじゃない?そうだ、一人でハネムーンにも・・」
「余計な事言うんじゃないよ。・・・今頃よく台風で倒木が道に倒れてて事故があるわね」
「大変」
と孔雀がそっと呟いた。
「大抵大きな事故になるわよね」
「長くご入院されるかも知れないけれど。お命に関わらなければ、不幸中の幸いよね。自然には勝てないもの」
何の話だ、と仏法僧が訝しんで聞いたていたが、どうやらこれから一宮夫妻が長男と共に避寒先で事故に遭い、重症となり、長く入院するという事らしい。
その舞台を整えろということだ。
ああ、これもまた、蜜教だ、と仏法僧ははっとした。
悪名高き、罪深き蜜教。
孔雀は、あの時の顔をしていた。
「きっと、一宮様、心配をかけたくないのでニュースになるような事はしたくないと仰るのではないかしら。お心掛けが素晴らしいわね。・・・退院されてからもお寒い時期だからしばらくあちらでご静養された方が良いと思うわ」
金糸雀が頷いた。
「金糸雀お姉様、仏法僧。それでは行ってらっしゃいませ」
孔雀は立ち上がると優雅に礼をした。金糸雀と仏法僧も礼を返すと、二人はすぐに行動に移った。