第14話 総家令の初しごと
文字数 5,064文字
船員スタッフ用の食堂のテーブルに所狭しと料理が並べられていた。
美しく盛り付けられた色とりどりの花々、果物、焼き菓子、氷菓。
ワインやシャンパン、日本酒。
オードブルから肉料理、魚料理、パイ、寿司まで多彩だ。
「ちょっと!そのサーモン、私のよ」
「アンタはさっき鴨食べたでしょ、二羽も!」
「なんかこの薬味、苦くないか?」
「兄上、それ飾りの花じゃないですか?」
「・・・何だよ。食うもの以外皿に乗っけるなよ」
等々、大騒ぎしている。
コックテールを着た白鴎が銅鍋をしゃもじでがんがん叩いた。
「煩いぞ鳥共!聞け!いいか、時計回りに、伊勢海老のレモンバターソース、オッソブーコ、去勢鶏のバロティーヌ、子羊のノワゼットのチアン・・・お前ら!聞、け!」
家令共がご馳走を前に人の話を聞く訳もなく、それぞれが勝手に食べている。
結婚式のパーティーで出す料理の試食会らしい。
鵟にペンとファイルが回ってきた。
「これにおいしかったやつを書くの。・・・白鴎お兄様、点数?アルファベット?」
銀椋鳥がそう叫んだ。
「どうすっかな。点数。十点満点で」
白鴎が銀椋鳥にペンを放り投げてきた。
彼女は今年二十二歳になる。
自分と同じように女家令の子供ではないらしい。
十七歳の時に家令になろうと思ってなったらしい変わり種。
しかも、すでにアカデミーの医局に在籍しているらしい。
家族に反対はされなかったのか聞いたが「食いっぱぐれないから、ならせて貰いなさいってママも言うし。それに大嘴お兄様が名前つけてくれたし」と嬉しそうに言う。
大嘴というのは、さっきから白鴎の隣で次から次へと飲み干す様に食べている家令だ。そうは見えないが、聖堂の司祭長らしい。
もっと味わえと白鴎にどやされている。
「司祭も神官もお坊さんもいるから、船で結婚式できるって企画を天河様が始めたんですってね」
「その後そのままクルージングでハネムーンってわけね」
「・・・そうそう。私たち、お城で設宴やってたからこういうの得意だしね」
妹弟子達に金糸雀が笑った。
「うまいな。・・・しかしさ、結婚式に去勢鶏ってどうなわけだ」
「それを言うなら、おめでたい大海老をこんなでかいハサミでばきばき切って食うのも、何か縁起悪いじゃない。うまいけど」
雉鳩と緋連雀が、点数ではなくバツをつけている。
宮廷では美貌で知られていた二人が並んでいると確かになんともはっとする物がある。
銀椋鳥が早くもデザートをあれこれと食べていた。
「デザートは、フランボワーズのスフレグラッセ、ガトー・ドゥー・ピエール・・・」
白鴎が説明を続けていた。
「鵟は甘い物嫌い?」
鵟があまり進まないのに気付いて銀椋鳥が言った。
「・・・さっき、孔雀お姉様に、タルト・タタン頂いたばっかりでまだお腹いっぱい」
それもあるが、こういういかにも小洒落たデザートより、ここに来て以来、孔雀が食べさせてくれる焼き菓子や新鮮な果物の方が好きになっていた。
「ああ、あれおいしい。私も後で行こう。そっか、天河が来るからね」
「様よ、銀!」
緋連雀が嗜めて乱暴にナフキンを投げて寄越した。
鵟が驚くと、「飛んでくるのがナイフでないだけマシ」と銀椋鳥はナフキンを姉弟子に投げ返した。
「なんて小生意気なんだろ!大嘴!アンタの教育が足りないよ!」
「・・・銀椋鳥。そういうわけだからおばちゃんに合わせて」
「大嘴!」
緋連雀が、今度はナイフやフォークが飛んできそうな剣幕で怒鳴りつけた。
「・・・銀、俺が殺されそうだから、お行儀よくしなさい」
「はーい。・・・私、天河サマとアカデミーで一緒だったもんだから、ついね」
「いやー天才少女は違うなあ」
と大嘴が冷やかしたのに、銀椋鳥が頬を赤らめた。
銀椋鳥はこの兄弟子の事が好きなのか。
気付いて、金糸雀の方を見るとおかしそうに微笑んでいる。
「・・・燕、ビール持ってきな」
「塩辛もね。孔雀が漬けたやつが頃合よ」
金糸雀と緋連雀がそう言うと、燕が肩をすくめた。
「だからもうただの居酒屋になっちゃうって毎回言ってるのに」
結局、あちこちで酒盛りが始まっている。
「家令は十五で成人なんて言われるけど、アルコールはダメ。君はジュース飲みなさい。・・・それで、孔雀姉上から話聞いてきたって?どこまで聞いたの?」
仏法僧が淡いバラ色のぶどうのジュースの入ったグラスを手渡してくれた。
なんとも優し気な様子で、議員から家令になったこれまた変異種。
二十八歳からという遅いスタートだったが、大変な努力家で、次の総家令候補らしい。
不用意に突けば割れるような空気いっぱいの風船とか癇癪玉のように種が弾け飛ぶ鳳仙花の実のような家令達の中では珍しい物腰の柔らかさ。
「はい。ええと。・・・孔雀お姉様が、お城に上がったところまでです」
仏法僧以外の家令達が腹を抱えて笑いだした。
「あのコント、思い出すわね!」
「ありゃひどかったな!」
何事かと驚いていると、仏法僧が悲しそうな顔をしていた。
鵟が困惑していると、見かねた大嘴が口を開いた。
「あー、新人は知らないだろうけど。家令の情報というのはすべからく共有されるもんだからね。教えてあげよう」
思わせぶりに緋連雀が笑った。
「総家令と皇帝は一心同体。皇帝が望めば、・・・まあ、アレね、アレよ。そういうことも想定内なわけよ」
「でも、その時、孔雀お姉様は十五歳でしょ・・・」
鵟が驚いて顔を上げた。
「家令は十五で成人だしねえ。皇帝は性別で是非はないし。琥珀様は女皇帝でらしたわけだし、白鷹お姉様だって女でしょ。・・・まあ、平たくいうとなんでもありよね」
金糸雀が苦笑した。
家令が節操なし、淫らと言われる所以だ。
「孔雀は真鶴お姉様がいろいろと、まあいろいろと。指南しているはずだったの。だから私達、翡翠様が面白半分に孔雀をお召しになった時も別に何とも思わなくて」
「呼ばれたから行ってきますなんて、黄鶲お姉様と手を繋いで元気に行ったしね」
思い出したらしく、また笑い出す。
「あ、ここで重要なのは。お召しには家令が誰か控えているという悪趣味な習慣があるの。更に言えば、黄鶲お姉様を指名したのは梟お兄様。・・・何でか?」
緋連雀がわざとらしく雉鳩に聞いた。
「大昔、陛下と黄鶲姉上が付き合ってたことがあるからだな」
「そうそう。悪趣味!」
「嫌がらせよね!」
家令達がまた笑い出す。
悪趣味、嫌がらせ。
「・・・では、新しい妹弟子にお聞かせしましょうか。総家令の初仕事。皇帝と若き総家令の初夜の事を」
緋連雀が燕に焼酎を注がせながら艶っぽく笑った。
この美貌で見つめられると心拍数が跳ね上がる。
どうしよう、とんでもない話が始まった、と鵟は絶句した。
黄鶲は、総家令を拝命したばかりの妹弟子の手を引きながら、溜息をついた。
なんとまあ、おかしなことになったものか。
「孔雀、大丈夫?」
うん、と割に明るく言いながらも、まだ子供に近い妹弟子は眠そうにしていた。
先ほどまで、遅い夕食を食べながら、こっくりこっくり船を漕いでいた。
これはいかんと慌てて風呂に入れたのもまずかった。
目が覚めるどころか、冷え性でいつもはカエルの様にぺたりと冷たい手が焼き芋の様にポヤポヤと温かい。相当に眠いらしい。
全部で三時間かかる儀典と二時間の祭礼をこなしたのはつい一昨日。
しかも、家令というのは不規則勤務。皆が同時期に眠らないのだ。
二交代制、あるいは三交代制で、とにかく家令というものは二十四時間勤務している状態。眠らな
い鳥と呼ばれる所以だ。なぜかは知らないが、そういう慣習になっている。
総家令となるとまた更に不規則で、事が起きればまずは睡眠時間を削る事になる。
結局孔雀はこの数日で短い仮眠は繰り返しているが、いつまともに寝たのかわからない状況だ。
当然今までは通常の生活をしていたのだから、まだ慣れないだろう。
さらに言えば、神殿から戻って一度体調を崩している。
黄鶲は歩きながら妹弟子のお下げを編み直して結い上げた。
金糸雀に結わせたのだが、ずいぶんきつく編んだ様で、窮屈なのか何度も首を振っていたのが気になったのだ。
金糸雀。自分達の下の世代では一番年嵩で、更にとんでもない頭脳の持ち主だ。
科挙制度をそのまま継承している様なこの国の官僚登用試験を、数年前に二番手でパスしていた。
状元、傍眼、探花の三魁と称される、ランキング上位の三名。
更に言えば、首位とは僅差の成績だった。
そのまま官僚になっても良かったのだが、皇帝からの提案を固辞し、家令のままの身分で今に至る。
繰り上がりも検討されたが、そのまま傍眼は金糸雀の名を残し、初の空席となった。
初めからそれが狙いだったのも知っている。
金糸雀は文民、シビリアンに恩を着せたのだ。
結局、今では各省庁では家令の金糸雀の名は轟いているし、それは仕事をする上でだいぶ通りが良い。
何せ、金糸雀の解答が後年の模範解答として流通しているのだ。
つまり翌年からの受験生は全員が金糸雀の解答の書いてある赤本を見て勉強した事になる。誰が逆らえよう。
自分の価値を分かっているからこそ、あの妹弟子は当然とばかりに誰とでも対峙して、そればかりか下に見る。
翡翠が悪趣味な興味で孔雀を召した事はわかっていた。
それにあの妹弟子は、「皇帝に、興味引くような景品を与えないと我々の足元が危ないから?黄鶲お姉様の時みたいに?」と言った。
「やめてよ。・・・いえ、そうね。あの子で、今、我々の行動や存在が担保されるのならば迷わずそうすべきだもの」
「黄鶲お姉様は得をしたからいいでしょうけどね。・・・それで昔、黄鶲お姉様は御典医の終身名誉職を賜った。他の家令が城から追い出されても、こうやってこうしているのがその証拠だもの」
他の上の世代の家令達は、城での立場回復はしていないのだ。
けれどだからこそ下の世代にはできうる限りのバックアップをして来ていた。
家令は群で飛ぶ鳥。我々は常にそれを忘れることはないから。
「お黙り。緋連雀の根性曲りは小賢しいから笑えるけれど。お前は本当に厄介だわ。・・・いい事?我々は家令。何があろうと、何をしようと、皇帝になる者の一番近くに居なくてはならない。・・・でなければ我々なんて、何かあってもなくても全員殺されるんだよ。こうなったら孔雀は生贄。それで済むならそれでいい」
そうピシャリと言うと、さすがの金糸雀も黙ったが。
黄鶲は繋いだ手を軽く振った。
眠気で手が温かい孔雀が嬉しそうに手を振り返した。
この妹弟子の身の上を思い、ため息をつく。
面白半分にしても、なんて悪趣味なことか。
あの変態、地獄に落ちろ。
黄鶲は小声で翡翠を詰った。
そして、ついでにこんな役目を自分に回してきた兄弟子も呪っておく。
あの、性悪梟。死んじまえ。
自分が翡翠とそういう関係だったのはほんの一時。
しかもこちらは家令である。織り込み済みの関係であり、とうに終わった感情の話。
そんなことより、妹弟子がまた熱を出すのではないかと心配だ。
まあ、長らくペーパードライバーではあるが、あっちも医者だ。
無茶はしないだろう。こんな子供相手に。
全く、真鶴は居なくなっちゃうし。
ああ、なんて業の深い事をしてくれたものか。
前線の野戦病院送りになった鸚鵡は最近やっと傷心を立て直し、よく働いているが。
私室に真鶴の写真を飾って毎日お鈴を叩いて拝んでいるのが気味悪いし、何しろ患者達を不安にさせている。
真鶴は、孔雀にまで失恋をさせておいて、この始末だもの。
「ああ、堪らないわね、孔雀のあの甘い体」なんて言っていたくせにねえ。
黄鶲は孔雀の頬を指で軽く突いた。
「ひとの都合であっちに行ったりこっちに行ったり。アンタも大変よねえ」
しかし、もうこうなったら我々はこの雛鳥をさっと大人に仕立て上げて、生贄だろうが人質だろうが、立派に担保になって貰わねばならないのだ。
困ったように孔雀が微笑んだ。
皇帝の執務室を通らずに直接私室へ入る事が出来る扉の前で待機していた緋連雀が礼をして迎えた。
「黄鶲お姉様、お待ちしておりました。・・・総家令、お祝いを申し上げます」
孔雀を上から下まで眺めてから、黄鶲に視線を寄越す。
なかなかいいじゃないの、と言わんばかりだ。
緋連雀は孔雀の頬に小さく唇を寄せた。
「・・・うまくやるんだよ、可愛い妹」
そう囁いて微笑んだ。
その婀娜っぽさに、こっちの宮廷育ちの方がよほど寵姫が似合うじゃないの、と黄鶲は苦笑した。
緋連雀が孔雀と手を繋いで、灯りを落とした部屋に進んだ。
「陛下、緋連雀が申し上げます。家令の黄鶲が総家令の孔雀と参りました」
孔雀が進み出て女家令の礼をすると、入るようにと翡翠の声がした。
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