第１１０話　楽園の舞踏室《ボウルルーム》

文字数 3,851文字

　極北総督府館は、急拵(きゅうこしら)えながら手が入り再び息を吹き返したかのようであった。
季節的にも日が暮れるのも早く夕刻となればもう暗闇の帳が降りる。
窓から暖かな光が漏れ出る様子は戦場に於ける灯台のように映るだろう。
大戦の折は前線から最も近いという地理的な理由で要塞(フォート)と呼ばれ機能した建物であるが、本来は離宮の一つである。
大戦前は北の離宮を好んだ皇帝もいたし、そもそもはだいぶ昔の双子女皇帝と総家令との間に生まれた天青(てんせい)帝の時代に首都を置いた古城であり、遷都と戦乱と共に街は廃(すた)れはしたが、この場所は本来は古都であった。
少しでも軍事色の無い場所でという意向で、三国の会合が設けられる事になった。
舞踏室(ボウルルーム)であったらしい広間に焚き火や暖炉の炎を思わせる暖かい明度の照明が空間を包み込んでいた。
極寒の地だからこそであろうか、南国の花々が咲き乱れるタペストリーが張り巡らされた部屋は、昔の人々が楽園をイメージしたものらしい。
染料は一体何なのか、不思議な事に時を経て尚、生々しいまでに鮮やかだった。
一見は和やかで優雅だが、水面下では鬼気迫る攻防戦が繰り広げられている会議上で、天河は張り詰めた思いで孔雀を見ていた。
とりわけ優雅な総家令が微笑み話す内容には戦慄するものが多く含まれていた。
火蓋は、タペストリーに織り描かれた生々しい花に抱かれるように、従えるかのように黒衣の家令達が来客を迎えた時から切って落とされて居た。
「ごきげんよう、閣下。お元気なご様子で嬉しく思います」
孔雀がそう言うと、A国の大統領補佐長官が憮然とした。
「・・・・君も。我が朋輩の血を啜りさぞ楽しく生き長らえている事だろう」
孔雀が微笑んだ。
「閣下。そのお話は、もう済んでいることでございます。そもそも私のお願いをお許し下さったのは前長官。閣下の上司でらっしゃいますもの」
「あれは恫喝(どうかつ)だろう。・・・忘れるものかよ。お前が、私の上司の前に持ってきたのは、やつの・・・私の友の首だ」
天河が驚愕して孔雀を見た。
しかし、当の本人は見たこともないほど落ち着いた様子で微笑んでいた。
誰もが不気味な思いで、悪魔の鳥と呼ばれる家令達を見据えていた。
「だからなんだと言うのです。・・・私の姉弟子を部下に嬲(なぶ)らせたのはあの方でしょう。女性に無体を働いたのですよ。あとは政治的なご判断。私の出した条件で、あの方、売られたのではありませんか。それだけの方でしょう。奥様とお子様に名誉の死と伝えられて、今は、栄えある軍人墓地に葬られているそうでございますね。私が差し上げた首だけ。我々家令はもとより戦場で戦う者にとって、死んで葬られる体がある事がもう名誉でございましょう。お顔だけでもお返しした私共にお礼を頂きたいくらい」
自国でも仮想敵国の捕虜であっても兵士をなるだけ無傷で家族の元に返すのが信条の孔雀がそう言うのに、天河は驚きを持って聞いていた。
別人のように厳しく、容赦ない様子。
そしてその内容にも。
「お前・・・!」
目の前の男が耐えかねて立ち上がったのを、隣の男が押し止めた。
「・・・お前には、道徳観や篤信はないのか・・・・」
「だから私は家令なのです。それに私、そもそも神殿に使える神官です。信心は言われるまでもございません」
「は！悪魔崇拝でもしているのか」
「あの方こそ悪魔ではないですか。私は悪魔退治をしたというわけですわね」
さらに激昂した男を思わぬ声が止めた。
「そこまでにしておやりなさい。今はそれを議論している場ではないでしょう。こちらには全く関係ないこと。迷惑です」
Q国の母后だった。夫亡き後、漆黒の喪服ばかり着ているらしい。
まるで家令のようで、憎たらしい。
「・・・・総家令殿。家令がどれだけ残虐で血を好むかは聞き及んでおりますけれど。これからの話をしたいものです」
老婆だというのに、その声にはかすれも淀みもない。
孔雀は立ち上がって母后に優雅に礼をして非礼を侘びた。
「不仕付仕(ぶしつけつかまつ)りましてお詫び申し上げます、どうぞご慈悲深い御心でお許しくださいますように、母后殿下様」
母后が声も出さずに鷹揚に頷いた。
これが宮廷風か、とA国の面々は戸惑った。
まるで時代劇ではないか、と呆れる反面、美しい舞台の一場面のようでもある。
そう、家令はその為にいる。
家令が一人いれば、そこは舞台になる。二人いれば物語が始まる。
勿論こちらに有利に運ぶ筋書きの。
孔雀はうっとりと微笑みながら続けた。
それほど唇を開けないのによく通る不思議な声。
「まずは我が国との友好関係に深く感謝申しげます」
誰もが引き込まれる所作であったが、天河はそれを苦々しく見ていた。
孔雀は改めて、Q国の面々に向かい、優雅な女家令の礼を尽くした。
その後に、他の家令も続き、礼をした。
「来年は皇女様のお輿入れというお寿(ことほ)ぎ事がございます事、ご幸福でございますように」
芝居の口上のようにそう言うと、母后が軽く頷いた。
「お座りなさい、総家令殿」
許しを得た事を感謝する旨を述べてから孔雀が椅子に座り直した。
「それで、総家令殿。そちらのお心づもりを聞きたいのだけど」
「感謝申し上げます、母后様。私共と致しましては、この度の仕儀(しぎ)におきましては御輿(おこし)入れにいささかの瑕疵も避けたいのです」
「そうねえ。私もそれはわかりますよ。私の孫の婚姻ですからね。でも、この場にあなた方が出てくるのは剣呑でなくて?少し、考え直す必要もあるかと思っていることよ」
金糸雀が微笑んだ。
「まあ、それでは違約となります。すでに話は政治の話ですから」
「そりゃそうですよ。でもね。話は結婚、でしょう？・・・私の孫は優しい子なの。こんな話を聞いたら、心を痛めるかもしれないと思うもの。そうしたら、当人同士の問題だもの。・・・結婚てそうでしょう」
王族同士の結婚にそんなものあるかよ、と一笑に付したいが、それを盾にするつもりらしい。
結局は、実際に手は出ないが、罵り合いの殴り合いの場だ。
天河は半ば呆れていた。
目の前には、この中立地帯の経過が書かれた資料、それから、いくらの損害が出たかの数字が書かれた賠償金請求書のみがある。
珍しく孔雀がつんとしているのは、先ほど聞いたその悪魔のような所業を責められたせいか。
私の事を知れば知るだに嫌いになる、そう言われた意味はこれか。
掘り返せば、いくらでもこんな話は出てくるのだろう。
「・・・・殿下はどのようなご意向でらっしゃいますか」
母后が突然そう尋ねた。
若い頃は美貌の持ち主だったのだろう。
その地位にあるのだから当然か。
かの国の習慣から言えば、政治的な匙加減だの、実家の力だの関係なく、ほぼ個人の美貌と才知と胆力と運でのし上ってこの地位にいるわけだ。
天河に言わせれば、外面を得意気にして、小狡くて、面の皮が厚くて、無神経で協調性に欠け自己中心的、まるで家令じゃないかと、なんともげんなりした気分になる人物だ。
「孔雀」
天河にいろいろ咎められる、と思ったのか孔雀がちょっと悲しそうな顔をした。
「・・・はい」
「とにかく。何か飲むもんとか食い物出せ。ミーティングっちゃそうだろ」
え、いやです、という顔をされて天河は、驚いた。
孔雀が天河の袖を引っ張って耳打ちした。
「わたくし、あのおじさんきらいです。あのひとに差し上げるお茶もお菓子もスープも持ち合わせておりません」
この嗜好品が異常に好きな女が、珍しくテーブルに茶も出さないのだ。
いつ出てくるのかと思っていたのに。
「・・・・だったら、あいつには出さなきゃいいだろ」
「まあ、天河様、どうかしてらっしゃるわ。おひとりにだけ出さなかったら、それって嫌がらせじゃありませんか・・・なんだかそれって、嫌味です」
おかしいのは、お前だ。
すでに嫌味以上の事をしているじゃないか。
天河はため息をついた。
孔雀が珍しく苛ついている様子なのは半分は目の前の代理人が嫌いなのと、半分は血糖値が下がり気味で不機嫌なのだろうと天河は気づいていた。
いいから、と念を押すと、孔雀がちょっと考えてから頷いた。
「わかりました。金糸雀お姉様」
孔雀が金糸雀を呼んだ。
「やっぱ出すの。コーヒーですってあっためた醤油でも出してやる?」
まるでセクハラ上司に仕返しするOLのような事を言い笑う金糸雀がまた眩しいくらいに美しい。
嫌味とか悪巧みとか嫌がらせを考えている時の家令というのは全くもって始末に負えない。
「それでもいいけど、単価的には、今うちにあるお醤油の方がコーヒーより高くなっちゃう。・・・いいわ、私のキャビネットにある苺の絵の缶のお茶出して。カップとお皿は、水仙のよ。お菓子は・・・天河様、何召し上がりたいですか」
「どら焼き」
考え事をする時、煮物を始める孔雀が、昨日の昼から会議のための大量の資料を厨房に持ち込みながら、その倍はある小豆と白隠元豆を煮ていたのを天河は知っていた。
煮上がったのは今朝方、少し仮眠をしようと部屋に戻って来た孔雀が、「思考とあんこがまとまりました。お味見どうぞ」とまだ熱いあんこと最中の皮を差し出されて、機嫌よく食べてた後、あわよくば孔雀とといかがわしい事を考えていたのだが、その後すぐに、白鴎が大嘴があんこ半分食っちまってるぞと言いに来て、孔雀が慌てて厨房に戻って行ってしまい、今に至る。
「・・・あれは、明日から馴染んでおいしくなる予定です・・・わかりました。じゃ、どら焼きと。シュークリーム」
「おかしくない?まあいいけど」
「金糸雀お姉様、あとお花もね。温室にあるネロリを持ってきて」
金糸雀は頷き、燕に言い付けて急いで用意させると言った。

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