第139話 鵟の日記
文字数 4,321文字
国の形も、人の存り様もだいぶ変わった。
揺らいだ国体は、その時、王政復古を求めた。
変わらねばならぬ、それが進路でも、退路であっても。
後年、緩やかな議会優位の立憲君主制となり、総家令を任命された者が、代々の総家令の日記の中からその後の孔雀の身の振り方を知る一文を発見する事によると、ある時代の総家令を拝命した鵟という女家令の日記である。
美しい手編みのタティングレースで飾られた日記帳の持ち主は鵟という名前の総家令。
日記というものの性質通り、それぞれ書き手の個性豊かなものであるが、鵟という女総家令もまたそのようで。
老年に差し掛かった時に、思い出したように書かれた様子で、"翡翠帝の総家令を賜りました孔雀お姉様の事"という書き出しから始まっていたのだが、その顛末というのは、翡翠帝の総家令であった孔雀は、仕えた皇帝退位後も彼と生涯を共にしたが、翡翠が没し、その死は、家令ならではの悪趣味なあけすけな書き方によると、兼ねてより翡翠念願の腹上死が原因であり、それと兄弟子姉弟子に
それまでは王権から共和制に移行し、それがまた血の一滴も流れなかった平和的なものだったから、自由でおおらかに繁栄を享受する時代であったのだがそれが大きな転機となった。
孔雀は大神官になるのを断念し、争乱を収める為に一時舞い戻った。勿論それは家令としての範疇であり、行動は以前よりも更に表舞台からは秘匿された。
翡翠様がお亡くなりになった後、身も世もなくお悲しみになった孔雀お姉様が、お姉様方とお兄様方に(なんと不敬な事か翡翠様の死因について)また例の如く賭け事にされていて
大慌てで追いかけた天河様が、「お前、旦那と子供はどうするんだ?!」と取り
さて、孔雀お姉様が引き篭り生活三年目にしてようやく出てきたのは、天河様のおかげなのです。
閉じこもって仕舞った孔雀お姉様を引っ張り出せるのは、翡翠様亡き後は真鶴お姉様のみ、なのですが。
あの
ところがなぜなのか、天河様がお入りになれた。全く一体全体どういう基準なのでしょう。
「世の中どころか兄弟姉妹がにっちもさっちも行かなくなるぞ、全員殺させる気か、何のためにお前と翡翠が降りたんだ」と迫ったから。
天河様に言われて久方ぶりに外の世界に出てみればまたものっぴきならない戦さ場。
この様に天河様はしつこい方、失礼致しました、とても粘り強い愛情深い方で、その後、何と
神官のお立場ならば、
孔雀お姉様も文句が言えませんからね。
そもそも王族から神官や司祭にお成りになると言うのは王族の方の一つの権利や身の振り方でもある様です。
でもきっと、それだからこそ、その時ようやく孔雀お姉様は天河様をやっと受け入れたのでしょう。私、孔雀お姉様は大好きだけれども、あの方は苦労性というか、なんと業の深い方でしょう。という所懐がそっと記されていた。
さて、更に、日記の主である鵟によると。
当時は議事院と呼ばれていた宮城に現れた元総家令は、優雅に女家令の礼をして、百人以上の議会の人間と対峙したそうだ。
当然、今更家令が何のつもりだと糾弾する声もありました。でも、あの状況で。家令以外の誰が身を切り、血を流せたでしょう。
家令は城を出ましたが、軍事にも法政にもまだまだ実権を握っていたのです。
当局の行政機関から家令は退きましたが、孔雀お姉様が頑として譲らなかったので家令の軍属はそのまま続いていましたし、外交渉外に関しては国際機関での勤務として出向という形を取っておりました。そしてギルドとスコレーとの提携としては軍事産業部門の注力。
つまり危機的な状況ですぐに作動できるシステムに組み込まれていたのは家令だけだったわけです。
Q国から元国王様とご家族の亡命を成功させたのも家令です。
私は、他の兄弟姉妹の様な
怒号と憎悪の渦巻く場所に怯む私に、孔雀お姉様は、「当然と云う顔をしていればいいのよ。それがコツ。私もそうだったもの」と言って、本当よ、と念を押したけど。
今思うと、そんなのちっともコツじゃない。
孔雀お姉様が十五で総家令職を賜り、子役扱いなんて揶揄されながら、あっちもこっちも戦場と云う鉄火場の場数をそうやって乗り切ってやり過ごして来たのか、と思うと辛かったけれど、励まされたのも本当。
今更皇帝を亡くした総家令が出て来たのです。
しかも第二太子と正式な婚姻関係でもある。
嫌な言い方ですが、乗り換えて第二太子を担ぐつもりかと非難する者もおりました。
けれど。お姉様が家令服を翻して、優雅に礼をされた時の事は、私、今でも鮮明に覚えています。
「皆様、ご機嫌よう存じます。家令の孔雀でございます。どうぞ、およろしく」とかつての宮廷の議場でもそうであったかのように、孔雀は微笑んだ。
その振る舞いに、人々ははっとした。
家令は宮廷の実用品、そして、彼等の存在とその実際の働きがいかに国体とそして自分達の利益に、そして不利益になるかを。
元総家令の優雅な様子に「まるで地獄に天女が舞い降りたかのようだ」とQ国から亡命してきていた王が称えた。
翡翠帝の実娘でもある、王妃として薔薇の雫という意味の名前を持つ妃は、「そうですね、ここは地獄、それならあの女こそが悪魔。陛下、私共の可愛い悪魔の鳥の働きをどうぞご覧になって」とそう言ったそうだ。
孔雀お姉様は意外な程それをとてもお喜びになった。
家令の働きぶりは見事なもので、それはかつての王族に連なる方々のお立場も守り、その方々の存在感は、広く民衆にも安心感を与えたのですけれど。
孔雀お姉様はQ国の王による亡命政府を樹立する事は許さず、またQ国の新政府に元王と王妃の引き渡しも拒否された。
戦争も辞さない姿勢でいらしたのは、Q国が革命は混乱のままであり民主化に失敗、あるいは長い時間がかかると分かっていらしたからでしょう。
どうしてわかるの、と尋ねた私に、いずれQ国も王政が廃止される事は想定内ではあっけれど、思ったより早すぎる。Q国がこの革命未満に陥ったこのプランは昔、私と大嘴お兄様と燕が考えたものにそっくり。
でもそもそもこれは家令がいなきゃうまくいかないプランだもの。こうなって当たり前だわ。やっぱりほらね、大混乱だわ。と仰ったの。
それがどうしてQ国で今になって発動するのか。
まさか家令が持ち込んだのか。と血の気が引いたけれど。孔雀お姉様は、それならまだいいのだけど、と。どなたかとは仰いませんでしたが。
結局、元国王と紅水晶様は帰国する事は叶いませんでした。お二人が亡命政府を樹立を諦める代わりに要求したのは、元王族に準じる身分。
当時の共和制下の政府も民衆の心理も彼らに同情的だったので、その様になりましたが。
それをご覧になっていたお姉様は、これでは我が国の現状での低空での共和制はいつまでもは保たないだろうと仰っていた。
共和制というものが最も嫌うはずのかつてであっても特権を手放さない人間達がいる、その存在というものの不自然さ、違和感。それにきっと世界が気づく日が来る。
王政を移譲したなんて、そんなのこうなっては魔法、いかさまの様なものだもの、と。
確かにそう。まるで魔法使いの様にお姉様は現れて、そして消えていったの。
残された我々にあったのは、受け入れることを拒否していた現実。
改めて共和制という形でまとまっていた国の形が、その後、翡翠様の皇太子である藍晶様とその太子である藍方様と、Q国より亡命されて来た国王夫妻、翡翠様の皇女でいらっしゃる紅水晶様のお産みになった皇女様が対立する事になりました。
悲しい事ですが、我々家令もまた別れて対立する形となり。結果、幾人か死を賜りました。
孔雀お姉様のお嘆きはまた深くありましたが、家令というのはそういうもの、何も間違っていないもの、誰も恨みはないでしょうと仰った。
なぜあのタイミングで王権を共和政に移譲したのか。
翡翠様は早くからそのおつもりであった様ですが。皇帝が望んだ通りに誂えますのが我々の務め。
けれどお姉様が翡翠様に一つ懇願されたそうです。何かの形を変える時、道理を無理矢理にでも通す時、血は流れるものでしょうけれど、私は一人でも兄弟姉妹を失いたくないと。
家令としてそんな事を願うのは、兄弟姉妹殺しよりもそれは重い罪。
それでも、と。
更には王族も、宮廷に関わるどなたも
そんなの超常現象に近い、と今の自分は驚き、もはや呆れてしまうけれど。
民主化や共和制を望む声が本格的に上がるより随分早い段階で、王権の方が主導で移譲すると宣言する異常とも言える事態が、だからこそ受け入れられたのかもしれません。
その後、孔雀お姉様は再び神殿に入り、家令で初の大神官にお成りになって一生を捧げられたのは、お姉様の悲しみと決意の表れ、またいづれかの兄弟姉妹が総家令を賜ったときに自分が大神官に成って居れば幾ばくかの
紅水晶様のお生みになった王女様が
そして、その時に私は総家令を拝命致しました。
かつて亡国の王女と揶揄される事もあった方が女皇帝にお成りになったのです。
我々は悪い鳥。まさしくその通り。
血を好み、争い事を好み。
私はまさに悪い鳥になってしまった。
私こそが、紅碧石様に甘言を囁き、兄弟子と姉弟子を食い殺したようなもの。
けれどどうか、これを読むであろう次代の総家令へ。
今は、帝政とは言え、かつて皇帝が宮廷にいた頃のような、華と讃えられる多くの妃も、蝶と言われる聡明で美しい女官ももうおりません。
けれど我々は生き残った。我々は群れで飛ぶ鳥である事を忘れない様に。
家令になる際に、お前もきっとそう言われた様に、命を燃やして生きなさい。
最後の血の一滴まで。そうすれば兄弟姉妹は必ずお前に報いるから。
もう時間がない様です。
家令となったからにはもう何も思い悩むことなどありません。
それでは、どうぞ、健やかに。