第18話 皇后の毒盃
文字数 8,205文字
皇后の住まう螺鈿宮へ続く水晶回廊を、手を繋いだ緋連雀と孔雀が足音もさせずに歩っていた。
手を繋ぐのは家令がまだ子供の妹弟子弟弟子と行動する時の習慣だ。
最近は孔雀もやっと手を離すことができる様になったと言われていたが、宮廷に上がってからはまた逆戻り。
本来、新任の総家令は佳き日佳き夜に単独で皇后の元へ向かわねばならないのだが、翡翠が緋連雀が付いていくようにと指示した。
孔雀は、緋連雀の宮廷での姿を城に上がって初めて目にしているのだが、まあその生き生きしている事。
この姉弟子は、また軍でも活躍しているが、軍での働きぶりが水を得た魚というのなら、宮廷で女官どころか継室をあしらっている姿など、嬉々として生き血をすする魔女のよう。
「・・・ちょっと、アンタ、聞いてんの?」
緋連雀が孔雀の頬を突いた。
妹弟子は、突かれた反動で頷いたが、聞いてなかったのだろうと、緋連雀は舌打ちした。
緋連雀お姉様こそ、と孔雀は顔をしかめた。
孔雀は出会う女官達に礼をするが、緋連雀はつんとそっぽを向くのだ。
「・・・緋連雀お姉様、ちょっとそれは感じ悪くない?」
小声で囁くと、うるさいんだよ、と緋連雀がまた孔雀の頬を突いた。
もう、と孔雀が膨れる。
相変わらずのその様子を見ていた螺鈿宮付きの雉鳩が苦笑した。
「・・・皇后陛下。総家令が緋連雀と参りました」
そう告げると、古参の女官が孔雀を部屋に招き入れた。
「この度は総家令にご就任されました事、お祝い申し上げます」
「ありがとう存じます」
孔雀は微笑んで優雅に礼をした。
部屋には古参の女官と、まだ若い女官が一人、控えていた。
正室である芙蓉は、奥の部屋のソファにそっと座っていた。
元老院長の縁の出で、琥珀帝が翡翠に是非にと望んだ正室。
だからこそ白鷹は、女家令の中で最も嗜みの身についた青鷺を付けたのだろう。
さらに言えば、青鷺は貴族との縁のある出自らしい。
なるほど貴族筋のお姫様同士かと思えば納得だ。
確かに、この正室と青鷺が共にいたらとびきり雅やかであったろう。
昼間に訪れた珊瑚宮は女官がとても多く華やかだったのに比べてだいぶ落ちついた様子だ。
空色というよりも更に淡い水色の絹のファブリックの統一感のある部屋で、気品がある。
青鷺お姉様もこういうのお好きね、と孔雀が緋連雀に言うと姉弟子は、あのお上品機雷、外面いいからね、とまた毒づく。
皇后が奥の部屋から現れた。
その軽やかな様子が美しく、ああ、青鷺は自分達にこういう所作を身につけさせたかったのか、と納得した。
「・・・まあ、近くで見るとまたなんて可愛らしい総家令さんでしょう」
彼女はそう言うと、微笑んだ。
女家令の姉妹は改めて礼をした。
「緋連雀は勿論言うまでもないけれど。・・・白鷹によっぽどしごかれたのね。とても美しい事」
女家令は舞踏をいくつか叩き込まれるが、バレエは指示通りに同じ動作をすると言う意味でやはり履修させられる。
孔雀は途中から白鷹と真鶴に習ったが、緋連雀は青鷺の直伝だ。
それは皇后にとってもやはり好ましいのだろう。
孔雀は同時に白鷹と鷂に神殿での神楽も習ったので、どちらかと言ったら、立ち振る舞いはそちらに基礎がある。
緋連雀と孔雀の何が違うのかと言えば、緋連雀の細い筋肉を最大限に使って動く動作が華麗なのに対して、孔雀の大きな筋肉を使って確実に止まる動作が優雅だと言う点。
加えて言うならば、緋蓮雀は重心が高いから軽やかで華麗、孔雀は低いのでゆったりと優雅だ。
皇后は座るように促した。
「浅葱、総家令さんにお茶をお持ちしなさい。甘い方がいいわよね」
古参の女官が頷いて、用意をする為に下がった。
孔雀はもう一度皇后に礼を尽くすと、そっと小さな花の形の箱を取り出して差し出した。
「青鷺お姉様からお預かりしたものでございます。お改め賜ります様に」
青鷺と聞いて、芙蓉がちょっと悲しそうな顔をした。
「・・・この度、家令が何人かお許し頂いたから青鷺もきっとと思っていたの」
芙蓉は箱を開けて、孔雀を見た。
別人のような固い表情だった。
彼女は箱から青い石の指輪を取り出してまるでポーセリンのような華奢な指に嵌めた。
「私用ではないから合わないわね・・・」
孔雀はそれを悲しそうに見ていたが、緋蓮雀は冷たくただ眺めていた。
青鷺が後生大事にしていたものをなぜ孔雀に預けて皇后に返したのか。
自分たちの揉め事にこっちを巻き込むな、と面白くないのだ。
「・・・私もこれを青鷺にあげた時、こんな風になるとは思ってもみなかった」
指輪を外すとまた大切そうに箱にしまった。
「・・・これをどう思う?小さな総家令」
芙蓉がそう尋ねた。
「宮廷所蔵の宝飾品の中でもこれ程見事な矢車菊の青の石は拝見した事がございません。お仕立て共にとても美しいと思います」
白鷹によって宝飾品の仕立てや修理等を勉強させられている孔雀としては正直にそう述べた。
「そうね。・・・でも、そうではなく。これは、お前、なんだと思う?」
緋連雀が眉を寄せた。
難癖つけようというのか、という気持ちであるのが伝わってくるようだ。
「・・・婚約指環のようだと思いました」
孔雀がそう言ったのに、芙蓉は一瞬だけ不快そうにしたが、すぐに表情を和らげた。
「・・・では、それを私に返した事で、それが全てね」
そう言って指環をまた箱にしまう。
きっとこの小さな箱はもう開けて貰えないのではないかと孔雀は寂しく思った。
「・・・ねえ、この度の式典に鸚鵡が居なかったわね。赦されなかった」
おもむろに言われて、何かお咎めであろうかと孔雀は少し戸惑った。
「はい」
「なぜだかは?」
「・・・真鶴お姉様に近しいからだと聞きました」
「・・・翠玉ね。・・・じゃあお前知らないのね。その真鶴が城に来たのよ」
孔雀は驚いて顔を上げた。
「お前。きっと私が何なのかも知っているんでしょ」
「・・・はい」
白鷹の日記を読んだのだ。
孔雀も驚いたのだが、この芙蓉という正室は、実は翡翠の兄の真珠帝の娘で藍玉という公主であるらしい。
真珠帝の早逝は政変だったのだ。
革新派の真珠帝が保守派の琥珀帝に背信罪で潰された。
背信というのは最重罪。
記録抹消刑というものがあり、ダムナティオ・メモナエアという古代ローマ風に名称を伝えられるこの刑は、関わった人間達の生きた記録も死んだ記録も全て抹消される。
その後、その名前を呼ぶことも許されないのだが。
日記によると、真珠帝の正室とその娘は廃妃廃嫡となったはずなのだが、琥珀が白鷹に命じて孫娘の身柄を元老院長に預けたらしいのだ。
そして彼女は新たな身分を得て、翡翠の正室として宮廷に戻って来た事になる。
それは公には伏せられていて、城でもその事実を知るのは数名のはずだ。
さらに琥珀帝は、真珠帝が後見人であった翠玉にもその刑を執行せよと言ったらしい。
それを止めたのは白鷹。
皇女の身柄は白鷹預かりとなり、廃皇女とせぬまま、真鶴はその時に正式に家令になったそうだ。
琥珀帝が離宮で産み育て、幼い頃から共に暮らしていた末娘になぜそんな事を言ったのかと言えば、皇女である翠玉にも真珠帝と同じ思想が及んでいたらと恐れたらしい。
それほど琥珀帝は革新派を憎んでいたのか。
この国の皇帝の中には、好ましいものだけを連れて離宮に暮らしを移すという者がいる。
だからこそ離宮が多いのだが。
煩わしいものから遠ざかるために、というのが本音だろうが、その中に自分の夫や子が含まれているのだ。
煩わしい、要らないと言われ、城に残された家族である彼らはどういう心情で居たものか。しかし実際に真珠も翡翠もそうして育ったのだ。
その後、真珠が皇帝として正式に即位し、薔薇という正室を迎えた。
その娘が、藍玉というわけだ。
「おばあさまが離宮で最後に産んだ皇女がいると聞いたことはあったの。でも父親を公表していないのでしょう。お前知ってる?」
孔雀は首を振った。
琥珀はもちろん知っているだろう。
だが、公式文書にも白鷹の日記にもその記述は無かったし、姉弟子から直接聞いた事もない。
「・・・琥珀は長兄から白鷹を奪ったそうよ。だから当時は彼と白鷹の子だと噂されたようだけど。・・・お前、どう思う?。・・・いいのよ?思ったことをおっしゃい。家令はそれを許されているのだから」
宮廷の蝶と呼ばれる女官がひらひらと美しく王族のそばを舞っても許可がなければ発言を許されないのに対して、宮廷の鳥である家令は王族に対しての発言を許可、と言うよりもそれは義務であるのだ。
勿論、耳に心地よい言葉を紡げと言われればその様にしなければならないが。
例え不興を買っても思っている事を言えと言われたら、それは義務だ。
「・・・白鷹お姉様にその選択肢は許されていなかったようですので、やっぱり違うのだと思います」
どうして、と芙蓉が尋ねた。
「琥珀様は多くご継室や公式寵姫をお迎えになりましたが、白鷹お姉様が、お何人か廃妃にされたというのは我々も存じております。また、白鷹お姉様も勿論、その・・・身綺麗ではございませんでした様ですので。その度に琥珀様がおよろしくは思われておられなかったとの事でしたので」
嫉妬に狂った鬼のような総家令として未だに白鷹は有名だし、人肉を喰らうダキニというあだ名は、軍ではなく後宮から生まれたらしい。むしろ大戦中、琥珀と共に泥沼の状況の戦場を駆け有利な形で戦を終わらせた白鷹は軍では好意的な感情を持って受け止められている。
だからこそその姉弟子が宮廷でどれだけ嫌われて恐れられていたのかがわかる。
妃を廃妃にするなど。
嫉妬なのか、政治的な思惑なのか、その真実はわからないけれど。多分、両方。
そして、琥珀もまた同じ様なものだろう。
白鷹の夫が、琥珀によって離婚だの城から遠ざけたのならばまだいい。
言葉そのままにどこに行ったかわからない、という者も何人かのかいるのだ。
その女皇帝が、白鷹に円満な夫婦関係や家庭を望むことなどあり得ないと思うのだ。
芙蓉は美しい眉をそっと顰めて首を小さく傾げた。
その仕草はどこか芝居じみていたけれども、なんと美しい事か。
あの青鷺の愛した女性なのだ、というのが理解できる。
「・・・どういうことなのかしらね。私、やはり白鷹の子ではないかと思うのよ。なんとしても家令でしょう。小さな孔雀、お前はどう思う?」
問われて、孔雀は僭越ではごさいますが、と口を開いた。
「私が思い当たりますのは、白鷹お姉様が他の男性の子供を産むという案件は、畏れ多い事を申し上げる事をお許し頂けるならば、琥珀様にあられては許せない事であった事でしょう。白鷹お姉様から直接聞いた事もございますので本当だと思います」
事ある事にそう言う姉弟子が結局何が言いたいのかと言えば、私はこんなに琥珀様に愛されていたの、という事だ。
多分、自分が子供だから感じるというだけではないだろうと思う。
その関係性の異常に近い違和感に、怖いと感想を言ったら、お前はまだまだコダヌキだねえ、なんて嗤われた。
それが白鷹の言う愛というものならば、愛とはなんともやっかいで難解なもので、きっと彼女の言うその成分のほとんどは愛ではない別のもので出来ていると思う。
水に温泉がちょっと入ったら温泉と言える、と言う様なものであろうと孔雀は理解していているが。
きっと、真鶴はやはり、白鷹の子ではないと思う。
孔雀が何か言いたそうにしているのに気づいて、促した。
孔雀は、妃殿下のお広いお心に感謝申し上げます、ともう一度礼をしてから口を開いた。
「・・・真鶴お姉様は、どうしてお城にいらしたのでしょうか」
離宮で産まれ育ち、皇女だというのに彼女は正式に一度も宮城に上がった事がない。
家令になった後も、城に勤めた事はないのだ。
それを琥珀帝も白鷹も、城に上がるのを禁じていたのではなく、城に上がらないのを許していた、というより必要性を感じなかったようなのだ。
王族としても異例であるし、宮廷家令としても常識に外れている。
なぜかと真鶴に聞けば「だって、あそこは琥珀と白鷹のゴミ捨て場よ?」と姉弟子は手を叩いて笑ったのだ。
皇帝が自分が好ましいものだけを連れて離宮に移るという事はそういう事。
なんという残酷な言葉だろうと、衝撃を受けた。
王族と家令と言うものの冷酷さ、下らなさ、どうしようもなさ。
白鷹に、お前になれと言ってるのはこれ。お前がなるのはこれなのよと、言われた気がした。
母王、琥珀帝に愛された自分が今更なぜ、とまで言った姉弟子が、なぜ城に上がったのだろう。
芙蓉が少しだけ目を細めた。
彼女が自分の感情を表にするのは珍しい。
気分を害したのが分かり、孔雀は短く謝罪を述べた。
「いえ。お前がいけないのではない事よ。・・・翡翠は言ってないのね。ずるい事。翠玉が来たのは皆殺しにする為よ。翡翠だけじゃない。城にいる王族と元老院、まつろわぬ者も全部ね。・・・ほらあの禁軍から家令になった変わり者を先導にしてね。恐ろしいでしょう。だから私は琥珀と白鷹の子と思ったわけだけれど」
孔雀は絶句した。
兄弟子の鸚鵡の罪とはこの事か。
大罪ではないか。
しかしではなぜ、彼は生きて居られるのか。
ただでは済むまいに。
知らないわ、と芙蓉はちょっと微笑んだ。
本当に知らないのか、それと関心がないのかは分からないが。
「全く理解しがたいわねえ。お前も大変ねえ。・・・でも、その皇女がまさか家令になんてなっていたなんて思わなかった」
家令なんて、困ったものよ、と微笑む彼女はどこか楽しそうだった。
「・・・浅葱、総家令さんがまだこんなに女の子だもの。甘くしてくれた?」
芙蓉に指示されて女官が小ぶりのカップをテーブルに置いた。
金細工と鮮やかな七宝で出来たものだった。金と半貴石の茶器。
なんとも豪華で煌びやかだ。
確かに、彼女は琥珀に繋がる王族なのだろう。
白鷹や真鶴に連れられて琥珀の離宮に上がり使い走りをしていた時に女皇帝が身の回りに好んだものはこういう調度類であった。
宝石や螺鈿で輝きすら計算されたような美しいもの。
それまでは、可愛らしい草花や小動物が描かれた陶器や滑らかな漆器や繊細なガラスで作られたものが人間の食器だと思っていた。
宝石と金で出来ている食器なんて、きっと神様とか、宇宙人とか、人間とは違う存在の使う食器だと子供の自分は思ったものだ。
離宮では本当にこれでお茶なんて飲むの、と首を傾げながら茶を淹れる孔雀に白鷹は、早くしろ、でもちょっと冷ましてから持ってこいと無理難題を言って、何度も困らせたものだ。
小ぶりだがそのまるで宝物のようなカップを孔雀は見つめていた。
「お前、十で家令に召し上げられたとか。かわいそうに。そしてまた総家令にだなんて。・・・そうしたのはあなたの兄弟姉妹達よ。家令ってひどいわね」
緋連雀はつんと澄まして、恐れ入りますとちょっと会釈をした。
孔雀は素直に頷いて微笑んだ。
家令がひどいのなんて今更だ。
「青鷺お姉様はこの度お城に戻ることは叶いませんでしたけれど。機会があれば城に戻して良いと陛下からお許しを頂いております。・・・どうぞ、もう少々お待ちくださいませ」
孔雀は姉弟子とこの皇女をどうしてもまた会わせたいのだ。
芙蓉は微笑んだ。
「まあなんて嬉しいのでしょう。・・・ちょっとこっちへおいでなさいね」
彼女は立ち上がると、緋連雀をほんの僅かの動きの指で制して、孔雀を促した。
緋連雀が眉を寄せたが、孔雀はそっと立ち上がって、皇后に続いた。
皇后の私室は、謁見室同様に美しく誂えてあった。
が、どこか違和感を感じ、不思議に思った。
孔雀は窓の美しい鎧戸を見て合点がいった。
「開かないのよ、その窓」
嵌め殺しになっているのだ。
「・・・そう。ここは冷宮よ。私は、出ないのではなく出れないの」
公式行事にのみ姿を現す美しい皇后の実は幽閉。
二妃の死に際して、白鷹は激怒し、梟は自分と青鷺を引き裂いて、自分をこの牢獄に閉じ込めた。
「・・・だから私、ずっと待っていたの。青鷺が私を女皇帝にする為にやってくるのをね」
私と孔雀以外は皆殺しね、とそう言った翠玉をどれだけ妬ましく思ったか。
自分が青鷺にそう言われたかった。
後ろ盾である元老院長の義父に皇妹に謀反の意ありと知らせて、すぐに義兄が動いた。
彼はその功を認められて翡翠から元老院次席の職を与えられた。
皇帝が崩御してそれが伏せられる間は何があってもおかしくない期間。
ある者は身に降りかかる断罪に震え、ある者は爪を研ぎ、ある者は立ち上がる。
「こんなに可愛い総家令が来てくれるのだったら、私ももう少し待てたかもしれないのに。・・・全く。青鷺に振られてしまったわ」
青鷺は、孔雀に自分が与えた指輪を預け返して寄越すことで、皇位も自分の事ももう諦めろと言ってきたのだ。
その裁可は、この妹弟子に。どうするかはこの子が決めるでしょう、と言う身勝手さで。
家令らしい。
彼女は若い女官を呼び寄せた。
可憐なスノードロップが描かれた美しい小さなシェリーグラスを捧げ持っていた。
「この子はあなたと同じ年なの。見習い女官でね」
緊張した様子で彼女は会釈をした。ぎこちないのはまだ日が浅いからか、緊張からか。
そのどちらもだろう。
「女官方は十八歳から見習いと伺っていましたけれど・・・」
家令は十五で一端、女官は十八で見習い、というのが宮廷の常識だ。
女官登用試験資格が十八歳からという規定があるからだが。
孔雀が尋ねた。
「そうなの。この子は先ほどの浅葱の孫娘なのよ。その縁で特別に私の元に呼んだの。お前が来るって聞いたから」
孔雀は意味を計りかねて皇后を見上げた。
「青鷺に聞いたことがあるの。今では形式上の事だけれど。昔、白鷹は琥珀帝の正室に毒を賜って、正室につき返して女官に飲ませて、その女官は亡くなったそうね。それから真珠帝の総家令の大鷲はそのまま毒杯を飲んで死にかけたそうではないの」
総家令は就任すると正室から毒を賜る。
それをどうするかは各々の裁量であり、昔からの習慣だが今では儀礼的な習わしでしかない。
実際は、宝石や、何かの権利を賜る例が多く、梟は瑪瑙帝の正室から、貴重なワインを賜ったと言っていた。
孔雀は少し黙ってから、少しだけ悲しそうに口を開いた。
「・・・私には、白鷹お姉様や大鷲お兄様程の根性もございませんし・・・。大変不敬とは存じますが、私は翡翠様に、姉弟子や兄弟子の様にそこまでの感情があるかと言ったらあるわけもなくて・・・」
あまりにも素直に答えられて芙蓉はそこで初めてこの若い女家令を少し気の毒に思った。
自分の息子よりも年下のこの家令は元は継室候補群の娘。
それが何がどうなったのか、ここでこうしているのだ。
宮廷とはおかしなことが起きる舞台であると心底思う。
それは自分が一番知っている。
孔雀は、年相応、もしかしたらそれより幼い表情をした。
「白鷹お姉様に、きっとお前は毒を賜るよ。どうするかはお前次第。好きにしなって言われました」
「・・・まあ、いやだ。無責任だこと」
仕方なさそうに芙蓉はそう呟いた。
「・・・さあ、ならば。可愛い総家令。どうしましょうね。毒じゃないかもしれないし。毒かもしれないし。お前が飲んでもいいし。浅葱にあげてもいいわよ。それとも私にでもいい。・・・私はもうどちらでもいいの」
白鷹の話を聞いてから、顔色を無くしていた若い女官見習いの手が震えていた。
会ったこともない鬼のように恐ろしいその元総家令をなぞるならば、毒杯は自分に回ってくるはずだ。
家令とは恐ろしいのよ、と、美しく優しい皇后に折に触れて言われていた。
自分より年下のこの総家令の地位についた少女から、飲めと渡されたのなら、自分はこの小さなグラスを煽らなければいけないのだ。
困惑と恐怖と憎しみで、若い女官の胸は潰れそうだった。
孔雀はそっと小さな花の器を手にとって手の中の器を見てから、飲み干した。
それが、覚悟してとか平然と、ではなく、全く普通にいただきますと飲む物だから、見習い女官は不審に思った。
「・・・私もどっちでもいいです・・・」
正直な気持ちだった。
皇后は意外そうに微笑んだ。
女官見習いは、ほっと息を吐いたが、心配そうに孔雀を見ていた。
「・・・皇后様。どうぞもうしばらく青鷺をお待ち頂けたら我々嬉しく存じます。・・・それでは、輝かしき華のお方。しばしの鳥の侍りをお許し頂き感謝申し上げます」
孔雀は、皇后を讃える言葉と感謝を述べて、また優雅な女家令をして、部屋を退出した。
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