第76話 火喰蜥蜴
文字数 3,803文字
女官長も同席し、重々しい空気の中、一宮家の弁護士が、孔雀に書類を差し出した。
陳情書ならまだいい。
並んでいるのはつらつらとした文字の羅列ではあるが、これはつまり請求書だ。
孔雀は一読してから緋連雀に手渡した。
「こちら後ほど精査させて頂きます。ですけれど、四妃様の御身の上に関わります事をこの場で決定する事は出来ません」
「なぜですか。宮廷に関わる事は、総家令殿の匙加減ひとつのはずでしょう。かわいそうに四妃様はお心を塞いでらっしゃる」
一宮が隣の弁護士を振り返った。
静養先の離宮には四妃の為に金糸雀と白鴎、典医の黄鶲、副女官長を同行させた。
報道官で弁護士でもある金糸雀と、最近宮廷で力を持ち始めたギルド長の息子である白鴎が不在なのを見計らってやって来たのだろう。
「一宮様。私の一存で決定できる事など、思うより少ないと存じます」
里加が横目で微笑みながら孔雀を一瞥した。
「総家令。貴女、だから陛下におねだりしていらっしゃるのでしょう。・・・ご存知かしら。今、宮廷ではあなたが嫉妬して四妃様に毒でも盛ったのではないか、なんて噂されているそうですけれど」
女官長がきっと里加を睨みつけた。
女官がそう噂を流しているとでも言うのか。
しかし、女官長と言えど、相手は継室の両親である。宮の主人の許可が無ければ発言は出来ないのだ。家令である鳥は囀るけれど、女官の蝶は舞うばかり。それは後宮の鉄則。
「まあ。怖い。女官が不敬よ」
「噂ですよ。女官長殿。まさか貴女方に不手際があろうとは言っていません。この度の離宮行きも。子を無事産めなかった四妃様を疎んじて陛下に押し付けて城から追いやったのだとか・・。後宮の慶事は総家令の実績ですからね」
孔雀が自分の役に立たなかった継室を追い出したと言いたいのか。
「一宮様、奥方様」
孔雀がやっと口を開いた。
「この度、とても悲しい事でした。まだお気持ちの安まらない四妃様を離宮にとお誘いしたのは確かに私でごさいます。ご実家で静養をと言うお声も頂きましたが。その選択肢は私にはございませんでした。・・・なぜかは、おわかりと存じます」
実家に返せと皇帝は言ったのか、と一宮ははっとした。
孔雀は穏やかな静かな声で、にこやかに微笑んでいた。
こういう時、この女は猟奇的ですらある。
静かにギアを変える。その纏う空気が、唇を動かす声までも変化したと感じるまでに。
姉弟子である緋連雀はいつものように平然とつんとしていたが、彼女以外のその場にいた人間が孔雀を異質なもののように感じていたろう。
「一宮様。私は神に
意図がわからず、夫妻は、妙な顔をした。
「私は存じ上げませんが、一宮様と奥方様の御縁のご祈祷は、
それが何だという顔をする。
「一宮様の御縁に関わります事は、それ以降も以前も記録がございません」
夫妻が顔色を変えた。
それ以外の人間は、何の事かと不審気に孔雀と一宮夫妻を見ていた。
「後宮に后妃様方が入宮された場合、特にお母上様がお心配りをされるものでございます。この度もいづれもその通りでございまして、大変に感謝申し上げたく存じております」
一宮夫人が眉を寄せて唇を歪めた。
「総家令。・・・鷂。神殿のあの不良巫女が。淫らな事。その後、司教にお成りになった当時の大司教様の甥をたぶらかして、辞めさせたのは誰もが知る事です。・・・妹である貴女もお姉様と同じ事をしているということかしら。家令というのは嫌らしいことね」
里加が微笑みながら孔雀と緋連雀を見た。
孔雀がそっと息を吐いた。
それを吸い込むようにして、緋連雀が口を開いた。
「・・・まあ、さすが一宮様の奥方様。殿方の習性をよくご存知ですこと」
孔雀が、ダメよ、お姉様。と唇で言ったが、姉弟子は、黙ってな、と唇で返した。
「陛下もそんな妹弟子をご寵愛なのは事実ですし。四妃様も気に病まれるのもわかりますわ。・・・今思えば、きっと、奥方様もお悔しく思っていたらしたのでしょう。ええ因果は巡ると言いますものね。・・・私ったら」
何を言い始めたのだ、と孔雀は緋連雀を振り返った。
女官長が、あっ、と思い出したように小さく叫んだ。
「・・・男の方って。お側にいらっしゃる女性で変わったりするものですものね。陛下はだいぶ変わりましたものねえ。四妃様を離宮にお連れになるのをお許しになったくらいですもの」
この姉弟子はやはり肉食獣というより猛禽類のようだ。緋蓮雀なんて可愛らしい小鳥の名前なんて相応しくない。
鷲や鷹というより、やはり
「一宮様はお変わりになりませんのねえ。・・・ああ、補償だ賠償だと仰るけれど、私がして頂きたいくらい」
まさか、この姉弟子は彼と何か・・・。
女官長と目が合うと、彼女は小さく頷いた。
「本当に、ちっとも良くなかった。本当に。・・・奥様、こんなお粗末さで問題なくてらっしゃるの?・・・何なら家令の誰かご紹介致しましようか。なにせいやらしいからいい仕事しますことよ。まあ・・・相手が奥様ですからねえ・・・タダではちょっと・・・おいくらかご用意して頂けましたら」
一宮が青くなり、里加が怒りで顔面が白くなった。
女官長は空を仰いだ。
「ま、まあ、お姉様、な、なんてこと言うの・・・。緋連雀お姉様、一宮様と・・・?」
「そうよ。だって本当のことよ。時間は何分だったかしら。内容は話すまでもないけど。言う?」
「いいわよ!やめて。デリカシーないんだから。・・・・でも、お姉様、私、一宮様の分の帳簿書いた覚えないわ」
この姉弟子なら、例え夫にだってマケてやるから五千円くらい払えと言いそうだ。
タダ乗り等あり得ないだろう。
緋連雀の戦利品をガーデンで帳簿につけて整理したのは孔雀。しかし、その名前は無かったはずだ。
「ああだって。茶碗だから」
「お茶碗・・・・?」
孔雀も女官長も話が見えない。
「だから。この緋連雀の相手をするなら、株券か現金、または土地の権利書ってのが当時の宮廷の常識だったの。ぜひにってこいつが言うからさあ。そしたらあの不完全燃焼な軽作業な上に、出してきたのが茶碗よ。きったねえ茶碗」
「失礼な!あれは、当家の家宝と伝えられるものだ」
「それを当主の母親の目を盗んでかっぱらってきたんだろ。・・・調べたら、どこが家宝だよ。偽モンじゃないか」
え、と一宮が呆然とした。
「本当ですことよ。私の師匠に見せたら、偽モンだって言うんだから」
緋連雀の師匠は、画聖と言われる人間国宝で、絵画ばかりか美術品にも詳しい。
「まあ、淡雪先生がそう仰るなら、間違いないわね・・・」
孔雀も頷いた。
彼の鑑定眼には定評があり、今までも国内外のいくつもの埋もれた絵画や美術品を世に送り出してきた。彼の鑑定書のついた絵画は大変な価値がついている。
「あら、じゃあ・・・。淡雪先生って翡翠様のお友達だもの。その顛末は翡翠様もご存知じゃない?」
孔雀がそう言うと、一宮夫妻が顔面蒼白になった。
孔雀は思い出した。
「・・・・緋連雀お姉様、昔、突然、マロにくれた水入れって・・・・」
「ああ、そうそう。それそれ。あんたの雑種犬にあげたやつ。アンタ、皿だの茶碗好きじゃない」
「・・・やだ。そんな理由のお茶碗だったの!?しかも偽物・・・。緋連雀お姉様、私、知ってたらいらなかったわよ、そんな茶碗!不潔!だからマロは死んだのよ!このおじさんとお姉様のせいなの?!」
「何言ってんのよ。アンタの犬はネズミ捕りの殺鼠剤入の米食べて死んだんでしょ。なんでも食うからよ」
孔雀は思い出して、ひどい!と泣きそうなった。
「もう本当お姉様一回病院行って!」
孔雀ははっとして一宮夫妻に向き直った。
「一宮様、奥様も。こういう場合はどちらかではダメで両名でなければならないんです。・・・あの、よろしかったら良い病院ご紹介致しますか?検査された方がよろしくてよ。秘密は絶対に守ってくれるんですよ。一宮様も奥様も、他にも関係がある方いらっしゃるなら、正直に窓口申告されて。感染症のウィルスや細菌というのは恐ろしいんです。ちょっとお水や石鹸で洗ったくらいじゃ落ちないんですよ?」
「やだ、バイキン扱いじゃない」
「お姉様もよ!!」
真剣に言う孔雀に、緋連雀は笑い出し、女官長も笑を堪えるのが精一杯。
その後、一宮夫妻は、しばらく城には寄りつかなかった。
後日、その話を女官長から聞いた翡翠は大笑い。
「緋連雀の素行不良も何かの役には立つもんだね」
この女官長もまた緋連雀には手を焼いてきた。
「孔雀ちゃんの、不潔と病院行けがトドメでしたねえ」
難しい年頃を引きずったあの総家令。
「・・・ただ。少しよくわからないなことを言っていましたの。一宮様の縁に関することは、後にも先にもそれっきりとか。それから奥様。確かに正室様やご継室様と外とのやり取りをお母様が中立ちになる事が多いのですけど。失礼ながら、一宮樣のご細君はそれほどではございませんので。総家令が感謝を申し上げる程ではないと思います。どういうことかしら」
翡翠は、さてね、とだけ言って笑った。