十一 依頼

文字数 1,473文字

「飲んだからタクシーで帰る。いっしょに乗るか?」
 クラブ・リンドウを出た佐枝を、芳川が呼びとめた。芳川は思いつめた様子だ。
 芳川の自宅は店から北東へ四キロ。北長野駅の先だ。佐枝のマンションは長野駅の東。店から南へ二キロ強の位置にある。芳川は佐枝をマンションへ送ってから自宅へ帰るつもりらしかった。
「方角が違うから、お断ります」
「じゃあ、また・・・」
 芳川は権堂のアーケード街を長野電鉄権堂駅へ歩いていった。
 佐枝は芳川の後ろ姿を見ながら歩いた。いつも利用するタクシー会社へ連絡して、長野電鉄権堂駅の近くから長野大通りへ出て、待っているタクシーに乗った。

「今日は、お早いですね」
 馴染みの小林運転手ではないが、この運転手の簑島も佐枝がクラブ・リンドウのバーテンダーと知っている。
「ええ、お客さんが亡くなって・・・」
「鷹野さん、常連さんでしたもんね・・・」
 簑島運転手はそれ以上何も言わなかった。佐枝にとってはそのほうが都合がよかった。

 佐枝は、店を出た時に佐枝を呼びとめた芳川を思いだした。
 立て続けに娘婿と義父が亡くなって死因が不明だ。亜紀が話したように、芳川も二人がプロに殺られたと思っている。そして亜紀の口止めが芳川の疑問の火に、プロの犯行という油を注いだ。亜紀に止められたが、芳川は鷹野秀人と良平を殺害した者を探す気だ。その事で私に何か話したいのだ・・・。
 佐枝が考えているあいだに、タクシーが長野駅東口に近いマンションの前に停車した。
「ありがとうございます」
 佐枝は運転手に礼を言って支払いをすませ、タクシーから降りた。タクシーを見送って、マンションに入った。

 ダイニングキッチンのテーブルにバッグを置き、冷蔵庫から野菜ジュースを取りだしてグラスに注いだ。椅子に座って野菜ジュースを一口飲んだが、トマトの味がしない。なぜだろう?鷹野良平の事で気持ちが高揚してるのだろうか・・・。それとも・・・。

 佐枝は芳川が気になった。
 芳川は鷹野良平から、鷹野秀人の監視警護を依頼されていた。芳川は鷹野秀人と高校で同期だ。高校では鷹野秀人と面識がなかったと言っていたが、鷹野秀人がリンドウに来るようになって鷹野秀人と親しくなったはずだ・・・。
 芳川は調査に関して素人だ。鷹野秀人が事故を起こすまでの足取りと、鷹野良平が死亡するまでの足取りを、どうやって探るのだろう・・・。芳川は、リンドウへ出勤する前や昨日の休みに、鷹野秀人の動きを探っていた可能性がある。やはり芳川の動きが気になる・・・。しばらく待とう・・・。佐枝はパーコレーターでコーヒーをいれた。

 時刻を確認した。午後十一時をすぎている。佐枝はスマホで芳川に電話した。
「佐枝です。先ほどはお気遣いありがとうございます」
「どうしました?」
「何か、お話があったのではないかと気になったものですから、電話しました・・・」
「ここだけの話ですが・・・」
 そう言って芳川は言い淀んでいる。
「それなら聞かないことにします。何も知らなければ、私は気にしなくてすみますから」
 決断できない事は話さないほうがいい。言葉にすれば、その分、実行する決意が口から逃げてゆく・・・。
「いえ、聞いてください。二人の事を調べようと思ってる。だから、俺に何かあったら、プロに殺られたと思って、警察にそう伝えてください。そうすれば警察が動きます。
 マダムには内緒です」
「わかりました。気をつけてください」
 芳川は先を見越している。何かつかんでいるのだろうか?
「はい、それではおやすみなさい。
 では、また・・・」
 芳川は電話を切った。
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