四 先手

文字数 2,931文字

 十一月二十六日、土曜、午前二時すぎ。
 与田は二十四時間営業の飲食店で遅い夕食をすませて駅前の横断歩道を渡った。その時、通りの向こう側のホテル・ナガノから男が出てきた。ホテルは長野駅の南西に隣接している。男は駅前のパーキングエリアへ歩いている。時刻は午前二時すぎだ。
 与田は気になって、ビルの間に身を潜め、通りの向こうの男を見た。男は長野中央署で始末屋の死亡を確認していたあの男だ。首にかけているのはあの発射装置を内蔵した望遠レンズ付きのカメラだ。あの男は俺を始末しに来た、宮塚主幹の下請けだ・・・。俺の顔は始末屋に知られてる。今ここで、男に近づくわけにはゆかない・・・。

 男がパーキングメーターに駐車料金を払って白のワゴンに乗った。
 与田は男の車が走り去るのを待って通りを横切り、駅前のタクシーに乗った。
「吉田五丁目まで行ってくれ」
 タクシーは駅前を出て長野大通りを走り、昭和通りから北長野通りを走った。タクシーの前を白のワゴンが走っている。あの男の車に似ている。タクシーはワゴンを追うように吉田五丁目のパソコンショップに近づいた。
「そこの左の家だ」
 与田はパソコンショップの百メートルほど手前でタクシーが停めた。料金を払いながら白のワゴンを見ると、ワゴンがパソコンショップの駐車場に入った。やはり、男は死亡した始末屋の関係者だ・・・。タクシーを降りた与田は、タクシーが走り去るのを待ってパソコンショップに近づいた。

 パソコンショップの店舗に明りは点いていなかった。与田は店舗の裏にまわった。思ったとおり、住居らしい部屋に灯りが灯っている。与田はウエストバッグから小型の双眼鏡を取りだして住居内を見た。男はソファーに座って酒を飲んでいた。与田はウエストバッグからボールペン型の発射装置とペンライト型の発射装置を取りだして、住居内を双眼鏡で見ながら、男の動きを観察した。男は酒を飲み終ってグラスをソファーテーブルに置いて、そばにあるベッドに入った。
 今、住宅に浸入して発射装置で男を消したら、あのタクシードライバーから俺の目撃証言が浮ぶ。男の始末は後日にしよう・・・。与田は吉田五丁目から通りを南へ歩いて国道一一七号線へ出た。タクシーを拾って長野駅前のホテル・ナガノに戻った。

 ホテルの客室に戻ると、ベッドの上掛けと毛布が剥がされて、バスローブとバスタオルが人型に残っていた。枕に小さな穴が二つあいている。与田は枕を探って直径三ミリ弱の弾丸を二つ取りだした。あの望遠レンズの発射装置から発射された弾丸だ・・・。与田は弾丸をビタミン剤の錠剤ケースに入れてベッドに入った。だが、ふと思いついて、ふたたびバスローブとバスタオルで人型を作って毛布と上掛けをかけた。そしてバスルームのドアをあけたまま、湯の入っていない空のバスタブに身を潜めて毛布を被った。

 午前四時前。
 ドアが開錠する音がして、廊下の明りが客室に射しこんだ。音もなく男がベッドに近づいて、続けざまに二度、鈍い音がした。男はベッドの人型の頭部にかかった上掛けを剥いだ。その瞬間、与田がバスルームから跳びでて、男に突進した。男の右側背後肋骨下に与田の右肩がめり込み、男は望遠レンズの付いたカメラをストラップでクビにかけたまま窓へ撥ね跳ばされて窓を突き破り、五階の与田の客室から歩道に落下した。 
 すぐさま、与田は、枕にめり込んだ発射装置の弾丸を取りだしてビタミン剤の錠剤ケースに入れた。ベッドの人型になっているバスローブとバスタオルを片づけて、上掛けと毛布をくしゃくしゃにしてベッドの下へ落とし、枕を新しい物に交換して、穴のあいた枕を持ってドアから廊下を見た。廊下に誰もいない。監視カメラを避けて廊下を静かに急いで歩き、廊下のトイレに入って、リネン室の周囲の監視カメラを確認した。ここに監視カメラは無い。ピッキングでリネン室を開錠して入ると、可燃廃棄物のダストシュートに枕を投入して客室に戻った。二分ほどの行動だった。
 午前四時。
 与田は、男が部屋に侵入して窓から落下した、と長野中央署へ連絡した。

 午前四時すぎ。
 男が転落死している歩道で検視が続いている。その近くで、長野中央警察署の間霜刑事(係長、警部補)は与田の説明を聞いて、転落死した男の犯罪を認めた。
「状況はわかりました。正当防衛ですね。あの男は阿久津裕と言います。十一月四日金曜、夕刻、与田さんが、与党長野県支部前支部長・鐘尾盛輝の遺体確認した際に、他の遺体を確認していた男です」
 間霜刑事はそう言って、死体袋に入った阿久津裕がストレッチャーで救急車に乗せられるのを見ている。間霜刑事は、すでに与田と面識があった。
「内調は、いや、与田さんは阿久津を追ってたんですか?」
「いや、そういう訳じゃない。死亡した前支部長の鐘尾盛輝を確認した現場で、あの男、阿久津も遺体確認に来ていた。気になって阿久津を調べようと思ってた」
 与田はそれ以上説明しなかった。内調が行っていた裏の仕事は明らかにできない・・・。

「警察で与田さんを見ただけで、なぜ、阿久津は与田さんを襲ったのでしょう?」
 間霜刑事は不思議そうな表情だ。
「俺が何か特別な事を知った、と勘違いして襲ったんだろう。
 阿久津が何を知ろうとしてたか、間霜刑事は知っていたか?」
「阿久津の関係者は、前支部長の鐘尾とその家族を監視してました。
 そして、鐘尾と家族が死亡して、彼らを監視していた阿久津の関係者も死亡した。
 我々は、彼らの死亡に阿久津が関係していると見ていました。
 与田さんは阿久津の行動について何か知りませんか?」
 間霜は不審に満ちた顔で与田を見ている。
「何も知らんな。阿久津は前支部長の鐘尾の死亡も確認していたのだろう?」
「阿久津の行動はわかりません。死人に口なしです」
 そう言って間霜刑事は何か考えていた。

しばらくすると、間霜刑事は言った、
「ああ、阿久津の上着のポケットからナイフが出てきましてね」
 間霜刑事は鑑識官を呼んで、ナイフを見せるように言った。鑑識官はポリ袋に入ったナイフを見せた。刃渡り十五センチほどのフォールディングナイフだった。
「与田さんはナイフに見覚えがありますか?」
「いや、ない。俺を殺すつもりだったのか・・・」
 与田は間霜刑事を見た。
「おそらくそうでしょう。阿久津は観光客を装ってホテルに入り、部屋まで行った・・・」
 間霜刑事は阿久津の遺留品のカメラを示した。間霜刑事は、望遠レンズに仕込まれた発射装置に気づいていない・・・。
「疑問がある。阿久津は俺が長野に来ているのを、どうして知ったんだろう?」
「おそらく、誰かが与田さんの行動を監視しているのでしょう」
「尾行がついてたのか?どうしたらいい?」
「今日一日ホテルにいてください。警護をつけます。ホテルを出る時は居所を知らせてください。何かわかった時は、出頭してもらいますので」
「わかった。部屋に戻って寝ていいかな?」
「ご苦労様でした」
 現在、十一月二十六日、土曜、午前六時だ。まだ暗い。
 宿泊している客室の窓ガラスは壊れたままだ。ホテルに戻った与田は、ホテルが用意した隣の客室のベッドに入ると、あっという間に眠った。
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