十一 先手

文字数 1,427文字

 午後九時すぎ。
 善光寺の北、長野市箱清水二丁目の、与党長野県支部前支部長の鐘尾盛輝の家で電話が鳴った。
「はい、主人と代ります・・・・。あなた、特別顧客と名乗る人から電話よ」
妻の昌代が電話を鐘尾の机の電話に切り換えた。鐘尾は受話器を取った。
「なんだ?情報は与えたぞ。まだ何か訊きたいか?」
「始末してほしい者がいるだろう。始末してやる・・・」
「・・・」
 金尾は心の中を知られたと思って沈黙した。
「私を警戒してるのか?これならどうだ?」
 電話から男女の睦みあう声が聞える。しばらくすると会話に変った。

「それでね。あの人、大物与党議員を始末する人を、他の大物議員に教えたのよ。その事が警察に伝われば、あの人、確実に捕まるわ」
 この声は親子ほど歳の離れた鐘尾の妻の昌代だ。
「そいつに、親爺を始末してもらった方がいいんじゃねえのか?」
 これは鐘尾が雇っている鐘尾金融の社員、剛田毅だ。社員とは名ばかりで、鐘尾が雇っている用心棒兼取り立て屋だ。
「だけど、始末するそいつが誰か、わからないのよ」
「親爺の知りあいからの情報だな?」
「そうらしいわ」
「それなら右翼の筋だ。探ってみるか・・・」
「あなた、危ない事しないでね。あなたがいなくなったら、あたし、生きてゆけない」
「ああ、わかってる。俺も同じだ」

 電話の声が最初の顧客の声に変った。
「この録音をどう思う?二人をこのままにしておくか?
 何もしないなら、こいつらの依頼で、アンタを始末することになる・・・」
「わかった。明日、午後一時から敦賀祭事ホールで信一の葬儀がある。
 儂たちは葬儀に出席する。その時に・・・」
「わかった。指定口座に、例の額を二人分振り込んでくれ」
 電話が切れた。鐘尾は受話器を置いた。

「先に寝る・・・」
「はーい・・・」
 鐘尾は広いリビングの一郭にある事務処理スペースから、リビングの反対側にいる昌代を見た。若い妻はテレビのお笑い番組に夢中だ。昌代は自室のベッドに入るはずだ。儂の元になど来ない。永遠に誰の所へも行けなくなる・・・。そう思いながら、鐘尾は椅子から立ちあがって机から離れた。

 鐘尾は寝室に入った。ここは中庭を見通せる十二畳の和室だ。南側に雪見障子があって、その外側は防弾ガラスの引き戸がある。その外側は広い廊下だ。廊下は戸外から二重の防弾ガラスの引き戸で遮られている。夜はさらにそれらの外を防弾シャッターが室内を守っている。中庭は高い塀に囲まれて、敷地外からは中庭も室内も見えない。ここに居る限り狙撃はされない。始末屋は、始末後の昌代と剛田をどうする気だ?二人をここに置いたらこまるぞ・・・。鐘尾はそう思いながら、家政婦が整えた布団に入った。

 スマホが振動して着信を伝えた。始末屋だ。鐘尾は小声で通話に出た。
「用件は何だ?」
「聞かれるとマズイから話すな。俺が話すことをよく聞け。
 女房は、雇っている若い者と逃げるつもりだ。
 明日の葬儀に二人を出席させろ。葬儀が終ったら会場から出てくるところを狙う。
 お前は遺族と話して、最後に会場から出てこい。それでお前のアリバイが成立する。
 二人は病死と検死されるから気にするな。ただし、妻を亡くした夫を演じるのだぞ。
 報酬はヒット・アンド・ペイでいい。了解したら、スマホを二度指で突いて切れ」
 鐘尾はトントンと二度スマホを指先で突いて通話を切って、着信履歴を全て削除した。これで、しゃくに障る二人が消える・・・。そう思う鐘尾はあっという間に眠った。
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