十六 捜査官の依頼
文字数 3,381文字
午後五時すぎ。
「開店は六時です。よろしければ、中へどうぞ」
与田に佐枝が声をかけた。与田は弁天通りのクラブ・グレースの前に立っていた。
「ありがとう・・・」
佐枝と芳川に案内されて、与田は誰もいない店内に入ってカウンターの椅子に腰かけた。内調の下請けは、この店を盗聴盗撮していないはずだ・・・。
「何にしますか？」
「ウィスキー、ストレート。ダブルで」
佐枝はウィスキーグラスと水のグラスをカウンターに置いた。与田の注文に応じてグラスを満たして二つのグラスを与田の前へ滑らせた。
「どうぞ」
「ありがとう」
与田はグラスを取った。ウィスキーで喉を湿らせておちついてゆっくり話した。
「実はあんたたち頼みがあって来た。ここは盗聴盗撮はされていないな？」
「されていませんよ」
突然の与田の言葉に佐枝は動じなかった。
「私は内閣府の与田だ」
与田は建前上の名刺をカウンターに置いた。佐枝は晒布でグラスを磨きながら、置かれた名刺をそのままにして与田が話すのを待った。
「昨日、首相官邸で内山総理と与党幹事長と元幹事長が死んだ。公表されてないが、新聞記者二人も死んだ。あんたたちは事の次第を知ってるはずだ」
与田はカウンター内にいる佐枝と、ボックス席のテーブルを整える芳川を見た。
「私はあんたたちを始末するために来たのではない。あんたたちに協力してほしいのだ」
佐枝は顔色一つ変えずに、晒布でグラスを磨きながら与田の話を聞いている。芳川は手を休めずにテーブルを整えている。二人に動揺は見られない。与田は、さすがだと感じた。
与田は、佐枝と芳川が関係した一連の始末を思った。
高速道路での仕事は、下請けの始末屋が佐枝と芳川を試すためだった・・・。
首相官邸での仕事は、佐枝と芳川に仕事をさせて、その場で二人に罪を着せて消す計画だったが返り討ちにあって下請け二人は始末された・・・。
さらに、木村信一、鐘尾盛輝、鐘尾昌代、剛田毅の口を封じた下請けが佐枝と芳川の返り討ちになった・・・。
与田は、後藤副総理の指示で内調の下請けの始末屋が動いた事を調べあげていたが、内調では知らぬふりをしていた。俺が今日ここに来たのを知るのは成田主幹だ。主幹はこれまで俺に課せられた全ての任務を知っている。主幹は部下に俺を監視させているが、部下には後藤副総理の始末指示を知らせていない。知ればいつかその事が外部に漏れるからだ。
「実は・・・」
与田は、後藤副総理が内調を通じて、内山総理と与党幹事長と元幹事長の始末を画策して実行したと説明した。
「副総理は内調の下請けの工作員を通じて、あんたたちに政敵三人の始末を実行させ、工作員二人に、あんたたちを口封じさせるつもりだったが、工作員は、あたたちの返り討ちに合って始末された。副総理の指示を実行しようとしまいと、副総理の指示を知る者はいずれ始末される。
後藤のような、こんな殺戮も厭わぬ者が総理になってはならない。
単刀直入に言う。後藤副総理を始末したい。協力してくれ。
あんたたちの仕事を知っているのは副総理と私と、私の上司の成田主幹だけだ。副総理を始末したあと、俺が関係者の口を封じる」
佐枝は晒布でグラスを磨きながら、静かに与田を見た。与田の要求に関わらず、私たちは後藤副総理を始末する・・・。藤副総理を始末した場合、私たちが成田主幹の新標的にされるが、すでに下請けの始末屋は始末した。残るは標的は、与田と成田主幹と下請けの始末屋を動かした内調職員だ。後
佐枝は訊いた。
「何をしてほしい？」
佐枝のおちついた口調に、与田は一瞬たじろいだ。
「機会を見て連絡する。第一の標的は、後藤だ。いつでもカメラとボールペンとペンライトを使えるようにしておいてくれ。これを・・・」
与田は三センチ径ほどの円筒の錠剤容器をカウンターに置いた。中に発射装置に使う、径が三ミリ弱の弾丸が入っている。
「いつ実行する？」
「また記者会見があるが、会見室に入るのは危険だ。標的は警戒している。
官邸を出て、囲みができた時を狙えたらと考えている・・・」
「シミュレートしてくれ・・・」
それだけ話して、佐枝は口を閉じた。
まもなく午後六時だ。
「今日はどうする？」
佐枝は与田に小声で言った。与田も小声で返す。
「ひとまず帰る。あんたたちを始末したように見せかけて、そのあとの方法を考える。あんたたちが始末されたと知れば、標的は気を緩める。
その後、機会を待って標的を始末し、関係者を始末する」
佐枝がグラスを磨きながら与田を見ずに言う。
「ここを二十日で退職する。それまでに連絡してくれ」
「わかった。連絡する。アドレスと番号はわかってる。それでは、また」
与田はそれだけ言って会計をすませて店を出ていった。
午後六時。
店が開店した。店内に客はいない。フロアレディはボックス席で話しこんでいる。
佐枝は吉川をカウンターに呼んだ。
「どう思う？」
「嘘とは思えない。客が来た。あとで話そう」
「わかった」
芳川は仕事に戻った。
午後十二時。
クラブ・グレースの営業時間が終った。
佐枝と芳川は、出向を終りにする件を高橋智江子ママに話した。
「機会があれば、いつでも、戻ってほしいわ」
話は何事もなく了承された。智江子ママは二人の仕事を高く評価していた。智江子ママに礼を言って、二人はクラブ・グレースを出た。アーケード街弁天通りを歩いて千代田町のマンションへの家路に着いた。
十一月四日、金曜、午前一時前。
佐枝がバスルームに入っている間に、芳川はマンション内の電気器具と電子機器を盗聴盗撮電波探知器で調べ終えた。
「盗聴盗撮はされてない・・・」
入浴を終えた佐枝は冷蔵庫から、芳川が作り置きしたパエリアを取りだして電子レンジに入れ、野菜サラダとミートローフをダイニングテーブルに置いた。
「飲むか？」
佐枝は電子レンジからパエリアを出して、バスルームに入る芳川を見た。
「うん。日本酒を冷やで」
「用意しておく」
ありがとうと言って芳川はバスルームに入った。
バスルームを出た芳川がテーブルに着いた。
佐枝は野菜庫から日本酒のボトルを取りだして、テーブルのワイングラスに注ぎ、テーブルに着いた。グラスを取って、お疲れさんと言いながら芳川とグラスを合せて一口飲んで訊いた。
「与田の件をどう思う？」
「与田は事実を話してると思う。
副総理始末後、副総理から指示された内調職員を与田が口封じするか、あるいは与田や我々が内調の新たな標的にされるかだ・・・」
「私たちをはめる事は考えられないか？副総理の囲み記者会見に私たちを誘きだして、副総理を始末した我々を始末すれば、与田と内調は安泰だ・・・」
「ありうるな」
今日、十一月三日でクラブ・グレースの出向は終った。私は与田に、クラブ・グレースを二十日に退職すると話した。与田は、二十日以降に標的を消すよう計画を練るはずだ。
「与田の連絡を待たずに、私たちで標的を消そう」
「与田は、与田が計画を練るまで俺たちが気を緩めるはずだと考えるだろう。俺たちを始末するなら二十日までだ。あるいは信一が消されたように、引越しの移動時だ」
「出向は終った。ここは一週間以内に退居すればいいが、気になることがある」
佐枝は説明した。
このマンションの家具も家電も備え付けだ。私物はノートパソコンやドライヤーやスタンド照明や食器、寝具と衣類とだけだ。全てを車に積める。引越しに手間暇かからない。
このマンションを斡旋したのは故人鷹野良平の関係筋だが佐枝も芳川もその関係筋の人物を知らない。このマンションを管理している管理会社の実体は鷹野良平の関係筋の右翼だ。他人が盗聴盗撮のために無許可でマンションに入れば、入った者は捕われて尋問の果てに始末される。それがその筋の決りだ。
しかし、マンションに盗聴器と監視器がしかけられたのだから、このマンションを管理する右翼は鷹野良平より、副総理と強く繋がっていると考えるのが妥当だ・・・。
「そうなると、俺たちの犯行と見せるため、与田が標的を始末して、俺たちが居なくなったここに証拠を残す可能性があるな・・・」
「はめるなら、私たちが引越さなくても、ここに証拠を隠して、警察が踏みこんで私たちを捕まえるさ」
引越しても、引越さなくても、私たちは危険な立場にある・・・。
「開店は六時です。よろしければ、中へどうぞ」
与田に佐枝が声をかけた。与田は弁天通りのクラブ・グレースの前に立っていた。
「ありがとう・・・」
佐枝と芳川に案内されて、与田は誰もいない店内に入ってカウンターの椅子に腰かけた。内調の下請けは、この店を盗聴盗撮していないはずだ・・・。
「何にしますか？」
「ウィスキー、ストレート。ダブルで」
佐枝はウィスキーグラスと水のグラスをカウンターに置いた。与田の注文に応じてグラスを満たして二つのグラスを与田の前へ滑らせた。
「どうぞ」
「ありがとう」
与田はグラスを取った。ウィスキーで喉を湿らせておちついてゆっくり話した。
「実はあんたたち頼みがあって来た。ここは盗聴盗撮はされていないな？」
「されていませんよ」
突然の与田の言葉に佐枝は動じなかった。
「私は内閣府の与田だ」
与田は建前上の名刺をカウンターに置いた。佐枝は晒布でグラスを磨きながら、置かれた名刺をそのままにして与田が話すのを待った。
「昨日、首相官邸で内山総理と与党幹事長と元幹事長が死んだ。公表されてないが、新聞記者二人も死んだ。あんたたちは事の次第を知ってるはずだ」
与田はカウンター内にいる佐枝と、ボックス席のテーブルを整える芳川を見た。
「私はあんたたちを始末するために来たのではない。あんたたちに協力してほしいのだ」
佐枝は顔色一つ変えずに、晒布でグラスを磨きながら与田の話を聞いている。芳川は手を休めずにテーブルを整えている。二人に動揺は見られない。与田は、さすがだと感じた。
与田は、佐枝と芳川が関係した一連の始末を思った。
高速道路での仕事は、下請けの始末屋が佐枝と芳川を試すためだった・・・。
首相官邸での仕事は、佐枝と芳川に仕事をさせて、その場で二人に罪を着せて消す計画だったが返り討ちにあって下請け二人は始末された・・・。
さらに、木村信一、鐘尾盛輝、鐘尾昌代、剛田毅の口を封じた下請けが佐枝と芳川の返り討ちになった・・・。
与田は、後藤副総理の指示で内調の下請けの始末屋が動いた事を調べあげていたが、内調では知らぬふりをしていた。俺が今日ここに来たのを知るのは成田主幹だ。主幹はこれまで俺に課せられた全ての任務を知っている。主幹は部下に俺を監視させているが、部下には後藤副総理の始末指示を知らせていない。知ればいつかその事が外部に漏れるからだ。
「実は・・・」
与田は、後藤副総理が内調を通じて、内山総理と与党幹事長と元幹事長の始末を画策して実行したと説明した。
「副総理は内調の下請けの工作員を通じて、あんたたちに政敵三人の始末を実行させ、工作員二人に、あんたたちを口封じさせるつもりだったが、工作員は、あたたちの返り討ちに合って始末された。副総理の指示を実行しようとしまいと、副総理の指示を知る者はいずれ始末される。
後藤のような、こんな殺戮も厭わぬ者が総理になってはならない。
単刀直入に言う。後藤副総理を始末したい。協力してくれ。
あんたたちの仕事を知っているのは副総理と私と、私の上司の成田主幹だけだ。副総理を始末したあと、俺が関係者の口を封じる」
佐枝は晒布でグラスを磨きながら、静かに与田を見た。与田の要求に関わらず、私たちは後藤副総理を始末する・・・。藤副総理を始末した場合、私たちが成田主幹の新標的にされるが、すでに下請けの始末屋は始末した。残るは標的は、与田と成田主幹と下請けの始末屋を動かした内調職員だ。後
佐枝は訊いた。
「何をしてほしい？」
佐枝のおちついた口調に、与田は一瞬たじろいだ。
「機会を見て連絡する。第一の標的は、後藤だ。いつでもカメラとボールペンとペンライトを使えるようにしておいてくれ。これを・・・」
与田は三センチ径ほどの円筒の錠剤容器をカウンターに置いた。中に発射装置に使う、径が三ミリ弱の弾丸が入っている。
「いつ実行する？」
「また記者会見があるが、会見室に入るのは危険だ。標的は警戒している。
官邸を出て、囲みができた時を狙えたらと考えている・・・」
「シミュレートしてくれ・・・」
それだけ話して、佐枝は口を閉じた。
まもなく午後六時だ。
「今日はどうする？」
佐枝は与田に小声で言った。与田も小声で返す。
「ひとまず帰る。あんたたちを始末したように見せかけて、そのあとの方法を考える。あんたたちが始末されたと知れば、標的は気を緩める。
その後、機会を待って標的を始末し、関係者を始末する」
佐枝がグラスを磨きながら与田を見ずに言う。
「ここを二十日で退職する。それまでに連絡してくれ」
「わかった。連絡する。アドレスと番号はわかってる。それでは、また」
与田はそれだけ言って会計をすませて店を出ていった。
午後六時。
店が開店した。店内に客はいない。フロアレディはボックス席で話しこんでいる。
佐枝は吉川をカウンターに呼んだ。
「どう思う？」
「嘘とは思えない。客が来た。あとで話そう」
「わかった」
芳川は仕事に戻った。
午後十二時。
クラブ・グレースの営業時間が終った。
佐枝と芳川は、出向を終りにする件を高橋智江子ママに話した。
「機会があれば、いつでも、戻ってほしいわ」
話は何事もなく了承された。智江子ママは二人の仕事を高く評価していた。智江子ママに礼を言って、二人はクラブ・グレースを出た。アーケード街弁天通りを歩いて千代田町のマンションへの家路に着いた。
十一月四日、金曜、午前一時前。
佐枝がバスルームに入っている間に、芳川はマンション内の電気器具と電子機器を盗聴盗撮電波探知器で調べ終えた。
「盗聴盗撮はされてない・・・」
入浴を終えた佐枝は冷蔵庫から、芳川が作り置きしたパエリアを取りだして電子レンジに入れ、野菜サラダとミートローフをダイニングテーブルに置いた。
「飲むか？」
佐枝は電子レンジからパエリアを出して、バスルームに入る芳川を見た。
「うん。日本酒を冷やで」
「用意しておく」
ありがとうと言って芳川はバスルームに入った。
バスルームを出た芳川がテーブルに着いた。
佐枝は野菜庫から日本酒のボトルを取りだして、テーブルのワイングラスに注ぎ、テーブルに着いた。グラスを取って、お疲れさんと言いながら芳川とグラスを合せて一口飲んで訊いた。
「与田の件をどう思う？」
「与田は事実を話してると思う。
副総理始末後、副総理から指示された内調職員を与田が口封じするか、あるいは与田や我々が内調の新たな標的にされるかだ・・・」
「私たちをはめる事は考えられないか？副総理の囲み記者会見に私たちを誘きだして、副総理を始末した我々を始末すれば、与田と内調は安泰だ・・・」
「ありうるな」
今日、十一月三日でクラブ・グレースの出向は終った。私は与田に、クラブ・グレースを二十日に退職すると話した。与田は、二十日以降に標的を消すよう計画を練るはずだ。
「与田の連絡を待たずに、私たちで標的を消そう」
「与田は、与田が計画を練るまで俺たちが気を緩めるはずだと考えるだろう。俺たちを始末するなら二十日までだ。あるいは信一が消されたように、引越しの移動時だ」
「出向は終った。ここは一週間以内に退居すればいいが、気になることがある」
佐枝は説明した。
このマンションの家具も家電も備え付けだ。私物はノートパソコンやドライヤーやスタンド照明や食器、寝具と衣類とだけだ。全てを車に積める。引越しに手間暇かからない。
このマンションを斡旋したのは故人鷹野良平の関係筋だが佐枝も芳川もその関係筋の人物を知らない。このマンションを管理している管理会社の実体は鷹野良平の関係筋の右翼だ。他人が盗聴盗撮のために無許可でマンションに入れば、入った者は捕われて尋問の果てに始末される。それがその筋の決りだ。
しかし、マンションに盗聴器と監視器がしかけられたのだから、このマンションを管理する右翼は鷹野良平より、副総理と強く繋がっていると考えるのが妥当だ・・・。
「そうなると、俺たちの犯行と見せるため、与田が標的を始末して、俺たちが居なくなったここに証拠を残す可能性があるな・・・」
「はめるなら、私たちが引越さなくても、ここに証拠を隠して、警察が踏みこんで私たちを捕まえるさ」
引越しても、引越さなくても、私たちは危険な立場にある・・・。
