四 死因究明

文字数 2,212文字

「何かわかったか?」
事件発生後の四ッ谷駅中央線の線路で、四ッ谷署の係長渋谷警部が上野鑑識長に訊いた。
「轢断遺体から転落理由を探るのは無理だ・・・」
 上野鑑識長が渋谷警部に答えて部下に訊く。
「何か出たか?」
「まだ、何もありません」
 数人の鑑識員が、線路の遺留品を捜している。
「神田。こっちはいいから、高田を手伝ってこい」
 渋谷警部はホームの監視映像が気になった。轢断現場から、被害者が線路に転落した原因を探すのは難しい。監視映像から転落時を調べる方が効果的だ。
「わかりました・・・」
 神田刑事は線路からホームへあがり、監視映像を見るために管理室へ急いだ。

 高田刑事は係員と監視映像を確認していた。大山仁がホームから線路に転落した位置の監視映像は、入構車両映像と出構車両映像、車両乗車口を左側から撮る映像と、右側からの映像、そして乗車口を正面に撮る映像にあった。
 高田刑事と係員は、電車がホームに到着する時間帯の監視映像から、大山仁が線路に転落する映像を車両乗車口を右側から撮る監視映像に見つけて、大山仁と接触した人物がいないか確認した。
「神田さん。これ、どう思いますか?」
 高田刑事は電車がホームに到着するまでの監視映像を再生させた。まだ、電車は入ってきていない。
 電車が入ってくると、電車を待つ人の列から、男がふらふらとホームの端に歩いてきて、そこにホームが続いているように歩いて線路に落下した。同時に電車がその場を通過して、速度を下げた。先頭車両の停車位置は、男が落下した位置から数両先だった。

「誰にも接触してない。だけど妙だな・・・」
 神田刑事は男の態度が気になった。
「何がですか?」
 高田刑事は神田刑事を理解できずにいた。
「そこにホームがあるみたいな歩き方だ。酔ったように見えない。放心状態でもない気がする・・・」
「というと、幻覚でも見ているような、ですか?」
「ああ、この映像だと、そんな感じだ。催眠術をかけられたような。そんな感じだ・・・」
 神田刑事は、自殺と思われた昔の事故を思いだした。

 過去に、ある向精神薬を服用していた患者が病院の上層階の窓から転落死したことがあった。服用した患者は、皆、決ったように高い所へ行って、そこから転落する傾向があった。転落から一命をとりとめた患者によれば、『脅迫観念に襲われて、明るい花園に向って逃げた』と説明していた。同じ薬を飲んで騒いで、看護師に保護された患者も、同じ事を述べていた。その後の調査で、この向精神薬に幻覚症状を起す副作用があるとわかり、使用が禁止された。
 あれは事故でなく医療ミスだった。人災だった。大山仁の遺体から同じような向精神薬成分が見つかれば、事故ではなくなる。
「遺体解剖で、アルコールの他に何か出れば、他殺だな・・・」
 神田刑事は呟いた。

 翌日、五月十六日、土曜。
 休日だったが大山仁の勤務先へ依頼して、上司と同僚と人事に出社してもらい、大山仁の健康状態と、仕事も含めた交友関係を聴取した。大山仁は健康そのもので、事故と関係する不審点はなかった。
 大学で大山仁の先輩にあたる、会社の同僚・奥野慎司から、大山仁が事故に遭遇する一時間前までの行動が明らかになったが、その後の一時間、大山仁がどこで何をしていたか、不明だった。
 奥野慎司によれば、大山仁は奥野とともに、仕事の打ち合せもかねて取引先と早い夕食をして、用があるので早めに帰宅すると言う大山仁と、午後六時すぎに四ッ谷駅で別れていた。別れ際、大山仁はいつになく陽気だった。奥野慎司は、大山仁が誰か親しい女と会っていた気がしたが大山仁から女の話を聞いたことがなかった。大山仁と別れたあと、奥野慎司は四ッ谷で飲み歩き、午後八時すぎに婚約者のパブで大山仁の死を知った。

 その日、夕刻。
 大山仁の司法解剖と薬物検査の結果が出た。大山仁の体内から大量のアルコールが出ただけで、薬物成分は見つからなかった。催眠状態かそれに近い状態になっていたのではないかとの神田刑事の疑問はいっさい取りあげられず、大山仁は酔ったあげく誤って線路に転落したと判断された。
 これで大山仁の死因は単なる事故死として処理されて、調書や葬儀屋の手配など死亡による各方面の手続きが形式的に進められる・・・。
 神田刑事は、何らかの薬物が見つかれば大山仁が通っていたであろう医療機関を調べねばならないと考えていたが、拍子抜けした。明日にも、大山仁の親族が四ッ谷署を訪れて、遺体引き取り手続きをするだろう・・・。

「係長。なんかひっかかりませんか?」
 神田刑事は納得しかねて司法解剖結果と薬物検査結果の書類を持ったまま、渋谷警部の机の前に立った。
 渋谷警部は言った。
「大山仁はホームで誰とも接触していなかった。自分からホームに落ちた。神田が言うように、あの落ち方は、何か考え事をしていてまちがった所へ足を踏みこんだような感じだ。
 大山仁の身体から大量のアルコールが出たが、薬物は出なかった。大山仁は酒豪だった。悩み事は何もなかった。健康だった。事故に遭う前は陽気だったと同僚が言ってる。
 酔ったあげくの事故だろう・・・」
「ほんとうに、そう思うんですか?」
「司法解剖と薬物検査の結果や証言に、事故を否定するものがない。不審に思っても証拠が無い限り、事故として扱うしかないんだ・・・」
 そう言いながら、渋谷警部も、大山仁の事故死を納得しかねていた。
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