十六  接近二

文字数 5,420文字

「もう、マンションの流れ弾は見つかったんですか?」
 東口の階段を登ってきたのは佐枝と芳川だった。二人は笑顔で間霜刑事に歩みよった。
「吉川さんですか?」
「はい。今、帰宅途中です。こちらに警察の人たちが見えたので、流れ弾の事を聞こうと思って寄ってみました」
 芳川は間霜刑事にそう言って挨拶している。
「流れ弾は壁に当たってました。被害者は出てません。協力、ありがとうございました」
 間霜刑事は芳川にお辞儀している。
「良かった。安心しました・・・」
芳川が間霜刑事と話している。

「与田さんじゃありませんか!渡す物があるんです。与田さんはどうなさったんですか?」
 佐枝は与田を見てお辞儀し、バッグの中を見ている。
「ホテルに帰ろうとしていたんだが、いろいろあってね」
与田がそう言っているあいだに、佐枝が取りだしたのは小さめの封書だった。
「中に、与田さんが忘れていったメモリーカードが入ってます。
 支払いをする時、千円札といっしょに置いていったのだと思います。
 誰のかわからなかったので調べたら、会話の記録でした。与田さんの物とわかりました。
 今日、ホテルに届けようと思ったのですが、遅くなってしまい、すみません」
 佐枝は、与田にメモリーカードが入っている封書を渡して、間霜刑事に気づかれぬように目配せした。
「ありがとう!どこで無くしたか困ってたんだ!極秘のメモリーでね!」
 与田はそう言って笑った。
「内容は口外しません!ご心配なく!」
 佐枝も与田に合せて笑った。
「いやあ、助かったよ!これで命拾いしました!」
「では、これで、失礼します」
 そう言う佐枝とともに、芳川がお辞儀してその場を去ろうとした。

「ちょっと待ってください・・・」
 間霜刑事が不審なまなざしで与田を見ている。
「与田さん。そのメモリーカード。聞かせていただけませんか?
 それとも、警察には聞かせられない内調の極秘事項ですか?」
 与田は間霜刑事の質問に答えずに、佐枝に訊いた。
「吉川さんたちはこのメモリーカードの会話を聞いて、警察に聞かせるのをどう思った?」
「聞かせた方が、与田さんは身を守れると思います・・・」
 佐枝は与田に頷いた。与田は佐枝の言葉で全てを理解した。佐枝と芳川はこの銃撃現場で俺と始末屋が撃ち合ったのを知っている。この場に現れてメモリーカードを俺に渡せば、警察はメモリーカードに興味を持つ。最初から、メモリーカードの会話を警察に聞かせる気だった・・・。
「わかった。聞いてくれ!」
 与田は封を切って、メモリーカードを間霜刑事に渡した。

 間霜刑事はメモリーカードを受けとって、タブレットで再生した。
 内線電話で話す内調の宮塚登主幹と木村巧内閣情報官の会話が聞える。二人は互いを『宮塚主幹』、『木村内閣情報官』と呼んでいる。父親が後藤総理である二人は異母兄弟であることを周囲に聞かれないようにしているらしかった。
 メモリーカードの会話を聞いて、間霜刑事の顔色が変った。
「これはとんでもない証拠ですよ!こんな物を無くして、よく平気でいられましたね!」
 間霜刑事は与田の無頓着ぶりに呆れている。
 無理はない。会話は、後藤副総理が総理になるために、始末屋に指示して内山総理と幹事長たち政敵を始末し、さらにその始末屋を口封じした事。
 始末された内山総理と幹事長たちの部下による報復で後藤総理が始末された事。
 息子の宮塚登が父・後藤総理を亡くした報復に一連の経緯を知る者を抹殺して内調の主幹になり、異母兄の木村巧内閣情報官を抱き込んで、後藤総理を始末した者たちの始末を新たな始末屋と与田に指示し、さらに結果の如何に関わらず、全ての責任を与田に負わせて始末しろ、と始末屋に指示している事が、はっきり語られていた。
「証拠を無くしたのに、このメモリーカードの内容を話しても意味ないだろう」
 与田は淡々としている。間霜刑事は与田に呆れながらも納得した。

「では、私たちは帰ります」
 佐枝と芳川は挨拶して帰ろうとした。すでに現場検証関係者は立ち去り、残っているのは佐枝と芳川、与田と間霜刑事だけだ。
「待ってください・・・」
 間霜刑事は監視カメラに背を向けてメモリーカードをコピーし、与田に耳打ちした。
「このメモリーカードの会話、コピーしました。佐伯警部に聞かせましょう。どうですか?」
 与田も監視カメラに背を向けて間霜刑事に耳打ちする。
「いいだろう。私も同席するよ」
「わかりました」
 間霜刑事がメモリーカードを与田に返した。間霜刑事は佐枝と芳川を見た。
「皆さんの命に関わりますから、このメモリーカードの事は内密にしてください。
 メモリーカードの授受の証拠を消さねばなりません。
 現場検証中、ここの監視映像は記録していないはずですが監視記録を確認しておきます。
 いっしょに来てください」
 間霜刑事は三人を連れて、長野駅の管理センターへ移動した。

 管理センターで確認すると事件現場の監視カメラは電源が切ってあった。間霜刑事はその場で監視映像の記録ディスクを確認して、さらに管理センター内部の監視映像を確認した。すると、黒っぽいキャップを被ったメガネの男が事件の監視映像と現場検証の監視映像をコピーして持ち去る映像が管理センター内部の監視映像に残っていた。
「この男はここの係員ですか?」
「いえ、警察の鑑識と言ってました。管理センターを警察の管理下に置くと言って・・・」
「この事件現場と管理センターの監視映像のディスク、全てを押収します」
 間霜刑事は全てのディスクを押収し、三人を連れて監視センターから東口へ急いだ。
「急ぎましょう!署へ戻ります!ついてきてください! 
 事件の映像と現場検証の映像を盗まれました!メモリーカード授受を知られた今、我々全員が始末屋の標的です!」

 四人は長野駅二階フロアを走って、東口の階段を降りた。警察車両の横に男がいる。与田はショルダーバッグに手を入れた。
「上田刑事ですよ。心配いりません」
 間霜刑事はそう言って与田とともに車両に近づいた。与田はショルダーバッグに手を入れたままだ。
「アッ!」
 男を見た間霜刑事が驚きの声を発した。男は後ろにまわしていた両手を前へ出した。手にはサイレンサーのオートマチックがある。
「メモリーカードを、こっちに渡してください」
男が銃口を与田に向けた。銃はベレッタM84サイレンサーだ。
「コイツ、刑事じゃないのか?」
「上田に似た者を差しむけたようです。私としたことが不覚でした・・・」
 間霜刑事は悔しそうにそう言って周囲を見た。警察車両の後ろに車が二台停まっている。一台はこの男の車だろう・・・。
「メモリーカードを渡せ!」
 男が銃口を与田に向けた瞬間、鈍い発射音が響いて、ベレッタを握る男の手が手首から奇妙に曲って、ベレッタは音を立てて歩道に落ちた。

 警察車両の後方に駐車している車の陰から、メガネをかけた小柄で小太り禿頭の男が出てきた。佐伯警部だった。佐伯警部はベレッタ 92FS VERTECサイレンサーを手にしている。その背後に山本刑事と木島刑事がいる。
「いやあ、口径が大きいと、反動も大きいですなあ。それに銃創も大きい。
 右手は再起できますかな・・・。
 総合病院へ運んで、監視の警官をつけて尋問してください。
 尋問で殺したらいけませんよ」
 佐伯警部はそう言い、驚く男に気づかれぬよう、山本刑事と木島刑事に目配せしている。
「了解しました」
 山本刑事と木島刑事が男の銃を押収して男の右腕を止血し、車に連れていった。車は覆面パトカーだった。サイレンを鳴らさずにその場から走り去った。

「佐伯警部は、どうしてここに?」
「本部長から事件の連絡をもらいましてね。出張を切りあげて戻りました。
 会話の内容も聞きましたよ」
 佐伯警部は間霜刑事のタブレットケースを目で示している。捜査状況は通信機器を通じて、逐次、本部長から佐伯警部へ伝わっている。
「山本と木島の疑いは晴れたんですか?」
 まだ山本刑事と木島刑事が家電量販店で巡査と銃撃戦になった説明があいまいだ。他の場所で銃撃戦になって、巡査を家電量販店に運んだとも考えられるため、二人が始末屋の一味との嫌疑は晴れていない。
「今は、そのメモリーカードの会話の件が先でしょう。
 あのカメラ、気になります。至急、監視記録を押収してください・・・」
 佐伯警部は間霜刑事に、長野駅舎の壁にある監視カメラを示した。カメラは東口の歩道を撮影している。
「わかりました。これを持っていてください」
 間霜刑事はタブレットパソコンケースを佐伯佐伯警部に渡した。
「お預かりしますよ」
「与田さん。もう一度、管理センターに行きます。同行してください」
 間霜刑事は与田のショルダーバッグを示した。もしもの場合、与田に銃を使わせる気だ。
「わかった」
 間霜刑事と与田が階段を駆けあがった。長野駅二階フロアを管理センターへ走った。

 ふたりが長野駅二階フロアを管理センターへ走ると佐伯警部は佐枝と芳川に言った。
「ふたりが戻るまで、ちょっと説明しておきましょう。
 良平と亜紀さんから、あなたたちの噂は聞いています・・・」
 このふたりが良平が話したふたりか。良平が見こんだだけあって腹が座っている・・・。
 佐伯警部の言葉を聞いて佐枝と芳川は驚いた。
 佐枝は亜紀が、『内調の情報を、店に来る桜の代紋から得た』と話した事を思いだした。この刑事はマダムと同年配だ。もしかして、マダムが語った『桜の代紋』はこの刑事ではないのか・・・。
「マダムが話した桜の代紋は佐伯警部のことですか?これまで、店で佐伯警部を見たことがないのですが、いったいどういうことですか?」
「良平が亡くなってから、亜紀さんとは電話で話すだけでした・・・・」
 佐伯警部が説明しはじめると歩道を監視する監視カメラのパイロットランプが消えた。

 亜紀が佐枝に話したクラブ・リンドウに来る桜の代紋は、内閣官房所属の警察庁の特務官、佐伯警部だった。
 特務官は政府が認めた独立した立法行政司法官だ。総理から閣僚全ての公務員を監督処罰できる統括的司法権を持っている。立場上内閣官房に所属している。特務官は限られた者が知る極秘事項で、クラブ・リンドウの亜紀はその実態を詳しく知らない。若かりし頃から亜紀と良平にとって、佐伯警部は二人の良き理解者だった。

「あなたたちが前橋に行っている時、亜紀さんから例の個室でいろいろ質問されました。
 亜紀さんは良平から、私の極秘任務をそれとなく聞いていたようでした・・・。
 表向きの私の所属は内閣官房房ですが政府組織から離れた独立した存在です。内調があなたたちに強要した裏の仕事は知っていました。黙認したのは私の任務と重なるからです。
 亜紀さんが私の任務をあなたたちに話していないのは、私から説明すると言って口止めしたためです。これまでのあなたたちの仕事は黙認しますから、ご安心ください。
 今後も、あなたたちの協力をお願いしますよ」
 佐伯警部は穏やかに笑って、背広のポケットから衛星電話を取りだし、間霜刑事のタブレットに録音してある会話を送信した。
「宮塚登主幹と木村巧内閣情報官を粛正してください。
 与田君を除く内調内の、内山総理と幹事長たちの死と、後藤総理の死に関係した者たちを粛正してください」
 と指示した。佐枝と芳川が驚いていると、
「統括的司法権を行使しました。これで、内調内部は完全に粛正されます。
 与田君は私の部下でしてね。山本君と木島君もです。
 そろそろ、正式に間霜君も加えようと思います」
 佐伯刑事はそう言って階段を見あげた。

 間霜刑事と与田が階段を下りてきた。
「佐伯警部。記録は全て押収しました。現在、監視されていません」
 間霜刑事は監視カメラを示した。カメラのパイロットランプは消えたままだ。
「間霜君。実は、山本君も、木島君も、そして与田君も、特務官としての私の部下です。
 間霜君と、吉川君と佐枝さんも、今後、正式に私の部下として動いてください」
「・・・」
 佐伯警部の言葉を聞いて佐枝と芳川と間霜刑事は唖然とした。

「国民のための国家です。権力のために国家組織を牛耳る者は必要ありません。
 皆さん。私の任務に協力してください」
「佐伯警部。内調の問題はどうするんですか?」と間霜刑事。
「先ほど、内調内部を粛正するよう指示しました。宮塚登主幹と木村巧内閣情報官が始末屋を使って与田君を殺害しようとした事は事実で。
 内調の始末屋の問題は長年の懸案でした。このメモリーカードの会話がどのようにして記録されたかは問題ではありません。単なるきっかけです。
 これで内調内部は完全に粛正されますが、下請けの始末屋はそのままです。
 阿久津裕を除き、今回の事件を起こした始末屋は松本を拠点にする県内のパソコンショップの始末屋です。松本だけでなく他の始末屋にも、始末屋に関する警察情報が知られたはずですから、私の方で対処します。
 もしもの場合は、始末屋を皆さんで対処してください。対処後は事件にならぬよう、私の方から手をまわします。くれぐれも警戒してください。
 いろいろ説明したい事もありますから、皆さんはホテル・ナガノに泊ってください。
 内調内部の粛正は、明日までに片づきますよ」
 佐伯警部はそう言って笑い、ホテルへ行きましょう、と言って、皆を覆面パトカーに乗せた。
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