七 盛り塩
文字数 1,041文字
二週間後、七月一日、木曜、未明。
長野市の地附山公園から一台の車が発進した。車は無灯火のまま猛スピードで道路を下って、そのままカーブを曲がらずに急斜面の山林へ落下した。
樹木があったため、車は斜面途中で樹木に引っかかって止ったが、車体は潰れて、中にいた運転手は、一目で死亡がわかるほど、見るも無惨な状態だった。
事故現場は民家から離れていた。付近の住民が事故に気づいたのは翌日の昼すぎだった。
「鷹野仏具店の若旦那ですね・・・」
現場検証に居合せた付近の住民が警察関係者に伝えた。
警察は、潰れた車体の中に充満する酒の匂いから、泥酔運転による自損事故として処理した。
翌週、七月六日、火曜。
リンドウに白髪の初老の男が現れた。
亜紀は丁寧にこの男と黙礼を交し、フロアマネージャーの芳川に目配せして男を丁重にボックス席へ案内した。芳川はまるで予約が入っていたかのように、酒肴が整えられたトレイをボックス席へ運んだ。
芳川が席を離れると、亜紀は男に何か囁き、男がそれに相槌を打って頷いた。そして、ぐい呑みに似た切子のグラスで静かに酒を酌み交している。
ふたりは何も話さなかった。静かに酒を酌み交して、銚子が空くと亜紀は芳川を呼んで熱燗の銚子を運ばせて、何事も無かったようにふたたび男と酒を酌み交した。
佐枝は、二人がいるボックス席のグラスが一つ多いのに気づいた。グラスは酒を注いだままになっている。そればかりか、肴も箸も誰かを待つように一人分多く置かれている。その肴の近くの皿に白い物が見えた。
見るともなく見ていた佐枝は、静かにカウンターの中に視線を戻した。
「カクテル、お願いします」
フロアマネージャーの芳川が佐枝にメモを渡した。カクテルの注文をメモで伝えるのは前例の無いことだった。
「わかりました」
メモを拡げると芳川は佐枝のわずかな視線の動きに気づいたらしく、いくつかのカクテル名の他に、ソルティー・ドッグ、「義父とマダムによる亡きTの追悼の宴」と走り書きがあった。
佐枝はカクテルを作って、客と従業員から見えない調理台の片隅に小皿を置き、ソルティー・ドッグに使った塩でそっと盛り塩した。
「カクテルあがりました」
カクテルを客がいない側のカウンターに並べて、それとなく芳川の動きを探った。亜紀と男が酒を酌み交すペースが遅くなったのか、カクテルを運ぶ芳川に、亜紀と男のボックス席を気にする様子はなかった。
この男、注意しなければいけない・・・。佐枝は芳川を見ていてそう思った。
長野市の地附山公園から一台の車が発進した。車は無灯火のまま猛スピードで道路を下って、そのままカーブを曲がらずに急斜面の山林へ落下した。
樹木があったため、車は斜面途中で樹木に引っかかって止ったが、車体は潰れて、中にいた運転手は、一目で死亡がわかるほど、見るも無惨な状態だった。
事故現場は民家から離れていた。付近の住民が事故に気づいたのは翌日の昼すぎだった。
「鷹野仏具店の若旦那ですね・・・」
現場検証に居合せた付近の住民が警察関係者に伝えた。
警察は、潰れた車体の中に充満する酒の匂いから、泥酔運転による自損事故として処理した。
翌週、七月六日、火曜。
リンドウに白髪の初老の男が現れた。
亜紀は丁寧にこの男と黙礼を交し、フロアマネージャーの芳川に目配せして男を丁重にボックス席へ案内した。芳川はまるで予約が入っていたかのように、酒肴が整えられたトレイをボックス席へ運んだ。
芳川が席を離れると、亜紀は男に何か囁き、男がそれに相槌を打って頷いた。そして、ぐい呑みに似た切子のグラスで静かに酒を酌み交している。
ふたりは何も話さなかった。静かに酒を酌み交して、銚子が空くと亜紀は芳川を呼んで熱燗の銚子を運ばせて、何事も無かったようにふたたび男と酒を酌み交した。
佐枝は、二人がいるボックス席のグラスが一つ多いのに気づいた。グラスは酒を注いだままになっている。そればかりか、肴も箸も誰かを待つように一人分多く置かれている。その肴の近くの皿に白い物が見えた。
見るともなく見ていた佐枝は、静かにカウンターの中に視線を戻した。
「カクテル、お願いします」
フロアマネージャーの芳川が佐枝にメモを渡した。カクテルの注文をメモで伝えるのは前例の無いことだった。
「わかりました」
メモを拡げると芳川は佐枝のわずかな視線の動きに気づいたらしく、いくつかのカクテル名の他に、ソルティー・ドッグ、「義父とマダムによる亡きTの追悼の宴」と走り書きがあった。
佐枝はカクテルを作って、客と従業員から見えない調理台の片隅に小皿を置き、ソルティー・ドッグに使った塩でそっと盛り塩した。
「カクテルあがりました」
カクテルを客がいない側のカウンターに並べて、それとなく芳川の動きを探った。亜紀と男が酒を酌み交すペースが遅くなったのか、カクテルを運ぶ芳川に、亜紀と男のボックス席を気にする様子はなかった。
この男、注意しなければいけない・・・。佐枝は芳川を見ていてそう思った。