二十二 どちらかが骨を拾う

文字数 2,535文字

 夕刻。
 佐枝は自室のベッドを出てリビングへ行き、三人掛けのソファーに座った。
 芳川がソファーテーブルにコーヒーを置いた。
「パエリアができてる。食うか?サフランの代りに、パプリカパウダーを使った」
「ああ、食べたい」
 佐枝がコーヒーを飲んでいるあいだに、芳川はパエリアを盛りつけた皿とスプーンとフォークをソファーテーブルに置いた。
 佐枝はソファーから降りてソファーテーブルの前でカーペットに座った。スプーンをとってパエリアを口へ入れた。
「・・・」
 これはプロの味だ・・・。佐枝は芳川の視線に気づいて顔をあげた。スプーンでパエリアを口へ運びながら言う。
「芳川は食べないのか?」
「ああ、食うよ。パエリア、食えそうか?」
「うまいぞ。この味なら商売できるな・・・。
 ここにある物だけで、よくこんな味が出せたな。プロの修業をしてたのか・・・」
「ああ、それなりに・・・」
 芳川はダイニングキッチンからパエリアとコーヒーを持ってきて、テーブルの相向いのカーペットに座った。
「ワインを飲むか?日本酒がいいか?」
 佐枝は芳川に訊いた。
「日本酒を冷やで」
「ワイングラスで飲むか・・・」
 佐枝はその場から立ってダイニングキッチンへ行き、野菜室を開けた。日本酒のボトルを取りだしてキッチンテーブルの二つのワイングラスに注ぎ、ソファーテーブルへ運んだ。

 佐枝は日本酒を一口飲んで、パエリアと良く合うと思った。
「日本酒がパエリアと良く合う。パエリアがうまい!」
「うん・・・」
 芳川もパエリアを食べながら日本酒を飲んでいる。
「さっき、マダムから連絡があって目が醒めた。警視庁四ッ谷署が・・・」
 佐枝は亜紀からの連絡を芳川に話した。

 今日、九月二十二日、水曜午前。
 警視庁四ッ谷署の刑事が、九月十九日、日曜の未明に榛名湖で溺死した山田吉昌二十六歳の死を不審に思い、二〇二一年、七月十八日、日曜の未明に長野市で急性アルコール中毒死した金田太市と香野肇二十六歳との関連を長野県警に問い合せた。
 四ッ谷署の刑事は、昨年二〇二〇年、五月十五日金曜に、泥酔で四ッ谷駅構内の線路に転落死した大山仁、当時二十五歳との関連も調べている。

「残り三人はどうする?」と芳川。
「三人は逃げ隠れできない。群馬県警は四ッ谷署からの情報で、次に誰が事故に遭うか推測しているだろう。しばらく様子を見よう」
 上毛電気(株)に勤務する木原良司は、同僚だった山田吉昌の泥酔による事故死を不審に思うはずだ。おそらく、両毛美装(株)に勤務する高木順一と三好良樹とともに山田吉昌の死因を調べるだろう。いずれ長野市の金田太市と香野肇の急性アルコール中毒死と、鷹野秀人の飲酒運転よる事故死、昨年の大山仁の泥酔による線路転落死を知るはずだ。あるいはすでに、木原良司、高木順一、三好良樹の三人は、一連の事故死を知って、自分たちが事故に遭わぬよう日々警戒しているかも知れない。
 そして、四ッ谷署から情報を得た群馬県警と長野県警は、次に誰が事故に遭うか、推測している可能性が高い・・・。

「店に警察関係の客は来ていない・・・」
 芳川はクラブ・グレースの客を思いだしている。馴染み客はみな近所の者ばかりだ。
「たとえ警察関係の客が来ても、情報収集は不可能だ。こっちから動くのは危険だ。時期を待つしかない。
 うまいパエリアを作ったのに、こんな話をしてすまない」
 佐枝は芳川に詫びてパエリアを口へ運んだ。
「話とパエリアは別だ。気にしなくていい」
 芳川はそう呟いて日本酒を飲んだ。
「わかった。へたに動くと危険だ。しばらく仕事から遠ざかろう」と佐枝。
「新婚だ。のんびりしよう」
 芳川はそう言って微笑み、スプーンのパエリアを口へ入れた。
「ああ、のんびりするさ・・・・」
 パエリアを口へ運ぶ芳川を見つめながら佐枝は日本酒を飲んだ。
 のんびりすると言ったものの、佐枝は、一つの部屋で二人で過した経験が無い。芳川と何をして過していいか思いつかない。
「俺を気にしないで、いつものように過してくれ。
 と言っても、もうすぐ夜だ。もうちょっとしたら晩飯を作る」
 そう言って芳川は日本酒を飲んでパエリアを食べている。
「パエリア、残ってるか?残ってれば夕飯もそれでいい」
 佐枝はスプーンでパエリアを口へ運んだ。飽きない味だ・・・。
「晩飯の分はある。何かスープを作る。のんびりしてればいい」
「テレビを点けて、新聞読んで、洗濯して・・・」
 佐枝は休日の日頃を口にした。

「洗濯はしておいた。佐枝さんがするように、下着はネットに入れて弱で洗った。落ちないところはブラシを使って手洗いした。
 よけいな事だったか?」
 芳川が佐枝を見ている。佐枝が芳川の下着を洗うのと、芳川が佐枝の下着を洗うのは訳が違うと言いたいらしかった。
「いや、助かる。汚れが落ちない時は、一晩、洗剤の入った水に浸けおきすると汚れが落ちる。血液は水洗いして同じようにする。水で洗うんだ」
「湯で洗うと、血液のたんぱく質が固まるからな・・・」
 芳川は、空手の練習で血が滲んだ空手着を思いだした。佐枝が言うように水洗いして、一晩、洗剤の入った水に浸けおきし、その後、水を使って洗濯した。お湯を使うと血液が固まるので必ず水を使っていた。

「私が家事できない時は、代りにやってくれ」
 佐枝はパエリアを食べ終って日本酒を飲んでいる。
「わかった。できるだけの事をする。
 俺が佐枝さんの下着を洗っても、気にしないか?」
 芳川もパエリアを食べ終えて日本酒を飲み干した。
「ああ気にしない。届けを出してなくても、さっき結婚を承諾したんだ」
「わかった。ありがとうな・・・」
 芳川は佐枝の言葉がうれしかった。

 佐枝は芳川の気持ちがわかった。
「何かあれば、どっちかが骨を拾うと思ってるだろう?」
「ああ、思ってる」
「それでいい・・・」
 やはり、芳川の考えは私と同じだ・・・。
 残りは三人。三人は逃げられない。
 前橋の上毛電気(株)に勤務する、山田吉昌の同僚の木原良司。 
 高崎の両毛美装(株)に勤務する高木順一と三好良樹。
 警察も本人たちも、次に誰が事故に遭うか警戒しているはずだ。
 芳川と私は新婚になった。しばらくこの仕事から離れよう・・・。
 佐枝はそう考えていた。
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