7-10

文字数 1,333文字

「日捺子ちゃんが言うなら」
 
 立ち上がった虎汰は、日捺子とナルから少し離れたところで大きく深呼吸をした。

「あんまりちゃんと見ないでね。ダンスあやふやだし。恥ずかしいから」 
「とらちゃん、いーい? 流すよ」
「おっけー」

 ナルがスマホをタップすると、高校生のころに流行ったアップテンポの洋楽が流れ始めた。と、同時に虎汰も踊り始める。あやふや、というわりにその動きに迷いはないようにみえた。

「これさ、高校んとき文化祭のクラスの出し物でやったやつなんだよね」
「へぇ。そうなんだ」

 日捺子はナルの説明を聞き流し、虎汰のダンスにじっと見入る。ああ、あれはやっぱり虎汰くんだ。あのときとは全然違うダンスだけど、思い違いでもなんでもなく、桜の下で踊ってたのは虎汰くんだ。

「クラスのやつがさ、どうせできないだろって勝手にとらちゃんのソロダンス決めてさ、その日とらちゃんダンスの大会で学校休んでて、嫌がらせってやつ?」
「へぇ」
「で、休み開けてもそのこと伝えないで前日になってやっと、お前ソロ決まってるからって伝えてんの。()なやつだよね。どうせできないだろって。でも、結果とらちゃんは完璧に踊って人気者になりましたって話」

 そこで、ナルがようやく黙り、しばらくしてひとこと付け加えた。

「ただし、3日間だけ」

 3日目になにがあったんだろう。日捺子の目が少しだけ虎汰からナルへと動く。日捺子の疑問を察して、ナルは答えた。

「とらちゃん他のクラスの一軍女子に声かけられたのに、え、だれ?って塩対応。それで好感度が一気に急降下」

 げらげらナルが笑う。日捺子にはその面白さが分からなくて、へぇとだけ言って、虎汰に視線を戻した。

「日捺子ちゃんはどのあたりにいた?」

 どのあたり? 日捺子は首を傾げる。

「学生のとき、どういうところにいた?」
「わたしは……」

 どこにいたんだろう。そういう普通の輪みたいなのからはずれた全然ちがうとこにいた気がする。
 ――おもいだしくないことは、ないないしちゃえばいいの。
 不都合な記憶の箱は、ずっとずっと深い場所に沈めてある。
 日捺子は答えなかった。答え方が分からなかった。音楽はとっくに止まっていた。夜の公園は静かだ。じゃり、と誰かが近づく音がして、日捺子がその人影にすっぽりとおさまる。暗い。怖い。こわい? なんで?

「はい、誕生日の結城虎汰。今年の抱負を宣言します」

 日捺子の前に立っていたのは虎汰だった。大きく手を掲げ、宣誓をしたあと、日捺子の前にすとんとしゃがみこむ。影はなくなった。日捺子と虎汰の目が合い、虎汰はにっこりと笑った。それは、日捺子の心に落ちた一瞬の黒い影を消す程度にはじゅうぶんすぎるあたたかさを持っていた。

「日捺子ちゃん。聞いてくれる?」
「……うん。聞くよ」

 虎汰が日捺子とじっと見る。

「俺、仕事がんばる。がんばりたい。今よりも、もっともっと。今まで逃げてたオーディションとかも受けようと思ってるんだ。もちろん今までの仕事も手は抜かない。教えるのも勉強になるし。でも、前に進みたい。俺、逃げるのやめる。強くなる」
「そうなんだ。がんばって」
「そう思えたの日捺子ちゃんのおかげなんだよ」

 わたしの、おかげ? 思いもかけない言葉に日捺子は困惑する。
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