23.

文字数 2,465文字

「野菜を食べておけば大丈夫って思えるから」
「大丈夫ってなにがですか?」
「わかんないけど、健康的ななにか」
 日捺子は、いただきます、と手を合わせる。早坂晟もつられるように手を合わせた。彼はハンバーグが入ったタッパーを手に取って、そのなかのひとつを日捺子のサラダの中に放り込んだ。それから日捺子の膝の上に塩むすびをひとつ置く。
「米と、肉?」
「そうです。それがあれば大丈夫です」
 早坂晟がハンバーグを口に運ぶ。うま、と小声をもらした。あ、これ、チーズ入りだ、あ、これ卵入ってる。食べながら早坂晟が言う。その言い方はどれも子供じみていた。ラザニアにも手を付ける。瞬間、また、うまっ。日捺子は少しだけ、笑った。
「ありがとう」
 聞こえていたのか、聞こえていなかったのか、早坂晟は何も言わなかった。ただ黙々と食べていた。日捺子も隣でもしゃもしゃとサラダを咀嚼し、おにぎりをかじり、ハンバーグを飲み込んだ。
「ハート型……」
 早坂晟が呟く。日捺子は少し顔をしかめる。
「それが、なにか?」
「いえ、なにもないですよ」
 含み笑いをしながら早坂晟がハートのまあるくなった部分にかぶりつく。日捺子は食べる手を止めて、早坂晟を見た。どんどんなくなっていく。早坂くんのなかに収まっていく。私が作ったいらないもの。
「残念っすね」
「なにが?」
「彼氏さん……こんなおいしいの食べられなかったなんて、残念っすね」
 日捺子は純粋に驚き、声をあげた。
「なんで、知ってるの? 私、言った?」
「いや、分かるでしょ。自分のために作ったものじゃないんだろうなってことくらい」
 彼氏のため、っていうのは勘ですけど。早坂晟は付け加え、続ける。
「どう思ったんですか?」
「どうって?」
「これ食べてもらえないって分かったとき」
「……べつに、なんだろう。困ったなって、思った」
 ふうん。そうですか。早坂晟の声は平たんだった。日捺子の答えをどう感じているのか、分からない声音。
「今日ね、誕生日なんです」
 日捺子はなにげなく、言った。流されてもいいくらいの軽い気持ちで。でも、早坂晟は聞いた。
「里中さんのですか?」
「いえ。彼の」
「なら、よかった」
 よかった? 日捺子は首を傾げる。早坂晟はごちそうさまと言って、タッパーを置いた。あれだけあったのに、タッパーはどれもきれいに空っぽだった。
「ありがとう」 
 それに、日捺子はなんだか、すくわれた。すくわれた?そう思うということは、私にすくいを求める気持ちがあったということなのだろうか。
「せっかくだから、二人で楽しいことしませんか?」
 突然の提案に日捺子は言葉なく、早坂晟を見る。立ち上がり日捺子に手を差し出す早坂晟の向こう側に、はちみつみたいな色の月があった。それはまるで笑っているみたいに、やさしい弧を描いていた。  



 公園の端にはバスケットコートがあった。3on3ができるくらいの大きさの、ゴールが一つだけのバスケットコート。
「ここ、入っていいの?」
「鍵かかってないし、問題ないでしょ」
 フェンスに囲まれたその場所に早坂晟はためらいなく入っていく。金網でできた扉を開けるとき、ぎぃと錆びた音がした。
「これ、やりましょう」
 バスケットゴールを指さす早坂晟は楽しそうだ。半面、日捺子は眉根を寄せ苦い顔をしている。
「でもボール、ないよね」
 ボールがなければ何もできない。そこに日捺子は一抹の希望を託していた。けれど日捺子の思い虚しく、早坂晟は近くの茂みをごそごそと探り、薄汚れたバスケットボールを嬉しそうに持ってくる。
「こないだ見つけて、隠しておいたんです」
 だれかの忘れものだろうか。ボールは勢いよく地面に叩きつけてもあまり弾まない。
「空気あんまり入ってないから1on1とかは無理なんで。どっちが多くシュート入れられるかっていうのは、どうですか?」
 日捺子は返事をしなかった。
「どうしたんです?」
「勝負は、できません」
「なんで?」
「私、球技苦手なので。お断わりします」
 しっかり、はっきり、きっぱり、日捺子は断った。
「ボール投げるくらいできるでしょ?」
「サンダルだし」
「大丈夫、大丈夫」
 まったくもって気乗りしない。にも拘らず、早坂晟が投げたボールを日捺子はついつい受け取ってしまった。
「投げてみてください」
 日捺子は当惑していた。どうしよう。たぶん早坂くんは私の運動音痴、いや球技音痴を甘くみている。でも、だからこそ1球投げてみたら、そのセンスのなさを知って諦めてくれるかもしれない。そうだ。そうしよう。日捺子は意を決して、ボールを頭の上に持ち上げる。隣にいた早坂晟が距離を置く。日捺子は目をつむって、思いっきり力を込めて、投げた。
 そう。投げた。手からボールは離れた。
 なのに、なにかが、おかしい。
 ボールが飛んでいく感覚も遠くに落ちる音も、なにもしない。
日捺子はおそるおそる目を開けた。ボールはなかった。足元にも、目の前にも、ゴールの近くにも、どこにも転がっていない。
「まじで?」
 斜め前で見ていた早坂晟が驚きを隠せない様子で、日捺子に近寄ってくる。状況が飲み込めないまま立ち尽くす日捺子の横を通り過ぎ、その先で早坂晟は地面に手を伸ばす。ボールは日捺子の後ろに、ぽつんと落ちていた。
「俺、ボール投げて後ろに飛んでいく人、はじめて見ました」
 そう言ったあと、早坂晟は腹を抱えて笑い出した。日捺子は恥ずかしくなって、俯いた。早坂晟はそんな日捺子を気にする様子もなく笑い続けている。そんなに笑うことないじゃない。日捺子はぶすくれて、言う。
「だから、苦手って言ったのに」 
「すみません。でも……悪くないんじゃないんですか?」
 ふくれっ面の日捺子に、早坂晟は優しさなんだか、慰めなんだか、よく分からない言葉をかける。けれど笑いは収まらず、すみません、すみません、と謝りながら、すまなさそうな感じが微塵もないまま馬鹿笑いを続ける。うざっ。日捺子はいらっとしてボールを早坂晟に投げつけた。でも、ぶつけるつもりだったホールはやすやすと早坂晟に捉えられてしまう。
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