3-10

文字数 1,345文字

「その敬語? ですます調? みたいなのじゃなくて普通に話してほしいです。先輩にそういう話し方されると落ち着かなくて」

 日捺子の話し方は早坂晟に限ったことではなかった。社内の異性に対しては年上年下関係なくそうじて同じように接している。等しく同じ距離でいること、が日捺子にとって大切だった。

「……努力は、します」

 日捺子はおにぎりの最後の一口を口に入れた。たくさんあったおにぎりは全て机の上からなくなっていて抜け殻のようなビニールだけが残されていた。日捺子はビニールを片付けながら時計を見る。ずいぶんのんびりとしていたのか食べ終えるまでに30分もかかっていた。

「じゃあ、仕事しましょうか。それ、指示書、見せてもらえますか?」
「あ、お願いします」

 早坂晟から書類を受け取って内容を確認する。教えながらだと1時間半くらいはかかるだろう。早坂晟とパソコンに向かう。作業の途中、日捺子は一度だけ席を立って彼にメッセージを送った。
 今日は残業ですこし遅くなりそうです。
 たぶん9時くらいには終わると思う。
 実際、日捺子の見立てはそのとおりで、作業を終え時計を見ると、針は9時ちょうどを指していた。

「ありがとうございました」

 会社の前で別れるとき、早坂晟はそう言って笑った。すこし距離が近くなったときのやわらかい笑顔。人好きのしそうな。日捺子も笑顔を返しながら思う。でも、私はこういう笑顔をするひとは好きじゃない。





 ひとりになった帰り道、日捺子は駅へと向かいながらスマホを鞄から取り出した。
 いつもの、習慣。
 電話をかけること。
 それは、今日のように夜のときもあれば、お昼休憩の合間のこともあるし、朝会社に行く途中の駅まで歩いているときだったりもして、さまざまだ。共通しているのは、今ならだいじょうぶと思えるかどうか。
 そう、気持ちの問題なんだ。ぜんぶ。たぶん。
 今、日捺子の気持ちは久しぶりにとても前向きだった。いつもより軽い心がかんたんにリダイヤルへと指を運ばせた。見慣れたいつもの番号。もう、覚えてしまっている11桁。ぷるるる、とコール音が鳴る。スマホを耳に当てて駅へと歩いていく。。
 電話に出るとかとか、出ないとか、そういうことはどうでもいい。
 いま、この番号に繋がることが大事なんだから。
 そう思っているはずなのに、虚しい電子音が続くにつれ、浮ついていた心が次第に平坦になっていく。心が静かに深い方へと転がり始める。こんなこといつまで続けるんだろう。もっとちゃんと向き合う方法はあるのに。逃避。逃げ。ばかみたい。スマホから耳を離して、電話を切る。明るすぎるハイビームが前から日捺子を照らした。眩しさに目を細めて手で覆う。光の向こうから誰かが歩いてくるシルエットが見えた。

「お疲れさまー」

 間延びした緊張感のない声が日捺子の耳に届く。

「…………ナルくん? 」
「はい、お疲れさま」
「なんで、ナルくんがここにいるの? 」
「なんでって、まだ家帰ってないってあいつから連絡もらって見に来たんだけど」

 日捺子はわざとらしく顔をしかめた。

「……監視」
「そういう言い方は、関心しませんね」

 車が通りすぎる。ナルが日捺子を歩道の奥へと促した。

「っていうのは言い訳で、接待だるくて逃げてきただけ」
「そう」
「帰ろっか」
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