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文字数 1,174文字

「そういう話はしないから」

 なにが好きだとか、どういうことに興味があるとか、そういった内側に踏み込むようなことを日捺子は言わないし、聞かない。

「じゃあどんな話してるんです?いつも」

 話すのは記憶のひだにひっかかりもしない他愛のないことだけだ。

「話す、というより聞いているだけなのかも」
「確かに藤田さんよく喋りますもんね」

 ふと、日捺子は気付く。あ、なんか、普通に会話してる、私。このひとに気を許したわけじゃないのに。食べながら気を張るって案外、難しいみたい。本能だからかな。食べるって。人の三大欲求。食欲。性欲。睡眠欲。それを満たしているときは、誰しも無防備になるのかもしれない。
 そう考えると、お行儀とか度外視でためらいもなく手掴みでチキンを食べる早坂晟は、ただしく欲求に忠実なよい生き物にみえる。

「なんですか?」

 早坂晟が脂とソースで汚れた指先をおしぼりでぬぐう。

「いい食べっぷりだなって」
「里中さんも食べますか?」
「いいです」

 日捺子は手で制し、断った。箸でちまちまほうれん草のソテーを食べる。私は欲望に不誠実に忠実だったんだろうな。変な、日本語。だけど、それがいちばんしっくりくる。





「で、相談したいことってなんですか?」

 食事が終わって一息つくなり日捺子は聞いた。欲求が満たされたら、帰りたくなった。砂糖なしのブラックコーヒーをすする。早坂晟はカプチーノにたっぷりと入れた砂糖をスプーンで溶かしている。

「相談なんてないですよ」

 あっけらかんと早坂晟が言う。やっぱり。なんとなく日捺子もそう感じていた。どうせその場だけの適当な言葉だろうと。

「ああ、でも、相談はないですけど聞きたいことはあります」 
「聞きたいこと?」
「大したことじゃないですけど」

 早坂晟がスプーンを置いてカプチーノをすする。あちっ、小さく声が漏れる。日捺子はコーヒーカップをソーサーに戻し、どうぞ、と話を促した。早坂晟は、ほんとうに大したことではないんですけど、と前置きをしてから、聞いた。

「里中さんと社長って親しいんですか?」
「どういう意味で?」

 ――社長と里中さんってそういう関係なんだって。この手の噂話は今までもあった。昔は耳に入るたび訂正していた。でも、みんな好きなんだろう。こういう色恋ゴシップみたいなものは流行り病みたいもので、噂になっては消え、なっては消えを繰り返す。それに辟易した日捺子は噂を放っておくようになった。どうせすぐみんな飽きる。そしてまた何かのきっかけで思い出し、口に出すのだ。

「あー、別に変な意味じゃなくて、社長と社員という感じよりなんか近く感じるなって」
「会社の設立の時からいるからじゃない?」
「うーん、なんかそういうのとも違うんですよね」

 少なくとも早坂晟は女と男を安易に恋愛に結び付ける人ではないらしい。だったら、別に隠すことでもない。
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