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文字数 1,242文字

 日捺子は思い出す。これはママと涼也くんが話してるときにも良く感じたやつ。わたしはいつだって、3人以上になると輪の外にはじかれる。





 虎汰の誕生日会は、海の日の前日の夜に開催することに決まった。ふたりの仕事は大丈夫なの。聞くと、虎汰は誕生日休みってことで、と言い、ナルは僕のことまで気にしてくるなんて優しいねと、答えにもなっていないことを言って煙に巻いた。

 日捺子は、誕生日会のことをいつ涼也に話すか、逡巡する。

 最近の涼也は気持ちの浮き沈みが激しかった。笑っていると思ったら、黙り、思いふけり、日捺子に暴力めいたことをしたり、しそうになって我に返ったり、どうすることもできない感情の嵐に振り回されているようだった。

 溺れてるんだ。涼也くんは。わたしの知らない何かで、苦しんで、もがいてる。

 日捺子は聞く。涼也くん、だいじょうぶ? そうすると涼也は泣きそうな顔をする。日捺子は涼也を抱きしめたくなる。でも、しない。したら、涼也くんはもっとつらくなるから。だから日捺子はかわりに聞く。どうしたの? 涼也くんはなにも教えてくれない。 答えてくれない。わたしに一緒に溺れることも、もがくこともさせてくれない。涼也の手が日捺子に伸びる。わたしにできることなんて、行き場をなくした感情の一部を受け入れることくらいだ。

 結局、日捺子が涼也に誕生日会のことを話したのは、前日の夜だった。

「涼也くん」
「なに?」

 日捺子はベッドの上で、涼也の背に告げる。

「明日ね、ちょっと帰り遅くなる」

 涼也は、そう、と言ったきり、口を閉ざす。日捺子は聞かれたらなんでも答えるつもりでいた。
 お友達の誕生日会なの。前に涼也くんに話したお友達。最近ひとり増えたんだよ。ケーキ食べたりする予定。あんまり遅くならないようにするね。心配しなくて大丈夫だからね。
 でも、涼也は日捺子になにも、聞かない。

「寝ちゃった?」

 日捺子は、聞く。涼也の答えは、ない。日捺子は涼也の背中にぴったりと体を寄せた。その背に拒絶はなかった。涼也くん。涼也くん。涼也くん。日捺子は心の中で何度も名を呼ぶ。すると、涼也が寝返りをうち、日捺子と向き合った。

「日捺子」

 名を呼ばれ日捺子は目を閉じる。ああ、だいじょうぶだ。わたしと涼也くんはちゃんとつながってる。ざらざらした布の擦れる音がして、涼也の息が日捺子の首筋に触れた。うん、だいじょうぶ。わたしたちはまだ一緒の(おり)のなかにいる。檻の鍵を握っているのは、どっちなんだろう。


  


 あくる日、日捺子は会社帰りにケーキ屋に寄った。藍色の外観のおしゃれなケーキ屋さん。金色で書かれたフランス語の店名は日捺子には読めなかった。木製のドアを開けると、甘い匂いが鼻をくすぐる。甘い匂いは、ひとを幸せな気持ちにしてくれる。それは、記憶のどこかにある母親の乳の匂いと関係があるのかもしれない。無垢で、無防備でいられた幸せの記憶。

「ケーキが決まりましたらお声がけください」
 
 店員の言葉に日捺子はあいまいな笑顔を浮かべる。
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