6-3

文字数 1,258文字

 日捺子は言いながら自分に言い聞かせる。そうすると、ほら不思議。嘘が上手に真実の仮面をかぶってくれる。

「まじで?」
「うん、まじで。だから、ちょっと助かっちゃったかも」

 日捺子は困り果てていたの、という感じで苦笑してみせた。

「そっかぁ」

 彼の口ぶりに安堵がにじんで、それに日捺子もほっとする。

「でも、ごめん。約束守れなくて。今度の休みのときに絶対埋め合わせするから」
「いいよ、そんなの。自分の誕生日のお祝いなのに、埋め合わせっておかしくない?」

 祝いと呪いと言う字はよく似ているな。なんて、そんなどうでもいいことが日捺子の頭をよぎる。

「でも……」
「そんなことより、大丈夫? 仕事中、なんでしょう?」

 電話の向こうではずっと、彼を呼ぶ知らない誰かの声がしている。

「あ、うん。ごめん。じゃ戻るね。遅くなるから。起きてなくていいから。ほんとごめん、ごめんね」

 彼は最後の最後まで謝って、電話を切った。お誕生日おめでとう、くらい言えばよかったな。そう思いながら日捺子は、無音になったスマホをエプロンのポケットにしまい、そして途方にくれた。電子レンジの中にはラザニア。冷蔵庫の中にはレタスとトマトとツナのサラダ。鍋の中には煮込みハンバーグとコンソメスープが湯気を立てている。どうしよう。どうやって、嘘をほんとうにしよう。日捺子はたくさんの料理の処分に頭を巡らす。何もかもなかったことにしなきゃいけない。冷蔵庫にはもちろんしまえない。冷凍したら……彼が冷凍庫を開けたらきっと気付いてしまう。さすがにこの量はごみ箱にも捨てられない。全部食べちゃう……のは、私にはむり。

 よしっ、まずは、できることから、しよう。

 日捺子は一番簡単なものから手を付けることにした。コンソメスープの鍋を持ち上げ、勢いよくシンクに流す。もくもくと、熱い湯気が顔を覆った。具、シンプルにしておいてよかった。

 「ひとつめ。証拠隠滅」

 言葉にしてみると、なんだか悪いことでもしているみたい。と、ちょうどそのとき、スマホが鳴った。日捺子はびくりと体を震わせる。もちろんそれは「日捺子ちゃん、やっぱり帰れることになったよ」なんていう、彼からの電話ではなく、

「あ、すみません。有休なのに。今、少しいいですか? あ、俺、早坂です」

 会社―――早坂晟からの電話だった。

「はい。大丈夫です。どうしました?」

 日捺子はスマホを肩で支え、シンクに飛び散ったコンソメスープの具を両手で排水溝に集めていく。

「あの、明日行くリンネットデザインのデータの保存場所教えてほしいんですけど、なんか見当たらなくて」
「それなら渡辺さんのフォルダに保存したはずですけど……」

 説明しながら排水溝から水切りネットを取り出す。それを黒い中身の見えないビニール袋に入れて生ごみ用のごみ箱に捨てた。
 早坂晟はちょっと待っててくださいと日捺子に言い、電話口で話し始める。やっぱりなべっちさんとこにあるって言ってますよ。なべっちさん言うんじゃねーよ。いいから早く開いてください、そのフォルダじゃないんですか?
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