5-6

文字数 1,304文字

「もともと、知り合いなの」

 社内でも、知っている人は知っていることだ。日捺子はさらに付け加える。

「知り合いというか、私の彼氏の友だち」
「へぇ」

 彼氏、の響きに違和感を感じた。口に出すことに慣れない言葉に舌がもつれそうになって、日捺子は心のうちで苦笑する。

「里中さんの彼氏ってどんな人なんですか?」

 あ、これはただの好奇心です。早坂晟のこういう率直さはこの人の美点なんだろう。嫌な感じはしなかった。でも、日捺子は答えに窮した。どう言えばいいのか分からなかったからだ。口をつぐんだ日捺子を、早坂晟がカプチーノを飲みながら待っている。

「…………大切にしなきゃいけないひと」

 やっと出た答えは、どこか的外れだった。たぶん早坂晟が聞いたのはそういうことではないはず。なのに、早坂晟は言う。

「義務なんですね。かわいそうに」

かわいそう。かわいそうなのは、だれなんだろう。早坂晟の言葉はところどころひっかかる。花との会話みたいにするりと流れていってはくれない。 

「里中さんはめんどくさいひとですね」

 早坂晟は、静かに笑う。日捺子はぬるくなってしまったコーヒーをこくりと飲んだ。いつの間にか早坂晟はカプチーノを飲み切っていた。底に残った濁った液体がいびつな形を描いている。

 めんどくさい。
 つまんない。
 もしかしたら、かわいそう。

 早坂晟の私の評は、からい。よかった。それくらいのほうがいい。そのほうが私は、楽だ。好意は、いつだって、こわいものなのだから。







 
 会社の帰り、日捺子は虎汰に会いに行くことにした。
 今日は、月曜日でも木曜日でもないけれど、なんとなく虎汰のところに行きたくなった。それは朝から雨が降っていたから、かもしれない。

 歩きながら日捺子は上を向く。透明な傘越しに灰色の空とまあるい雨粒が見える。雨の日が好きじゃないというひとは多いけど、日捺子はどちらかというと好きだった。頭は重いし、洗濯物は乾かないし、靴は濡れるし、あんまりいいことはないけど……でも、だからこそ不機嫌でいることを許されるようなそんな気がして、日捺子はわざとしかめっ面をして歩いている。みんなと同じ顔。憂鬱ぶってる日捺子の横を急ぎ足のサラリーマンが通り過ぎていく。びしゃりと泥水が跳ねた。ロングスカートの裾にできたグレーの水玉模様。腰をかがめて泥をはらう。じんわりと染みてしまった泥は払っただけでは綺麗に落とせない。

 まあ、いいや。

 諦めて日捺子はまた歩き出した。水たまりをよけたところで、足はもう、雨でしっかりと濡れていた。びしょびしょだ。濡れたストッキングの気持ち悪さを感じながら5分ほど歩くと、虎汰の家に到着した。
 日捺子はマンションのエントランスで傘を開け閉めして雨粒を落とした。廊下を進んでいくと、払いきれなかった雨粒が傘の先からぽたぽた落ちる。インターホンを鳴らして、待ちながら、とんとんと傘で床を軽く叩く。雨粒が落ちて、足元に小さな水たまりができた。

 虎汰はなかなか出てこなかった。いつもはすぐに出てきてくれるのに。いつも違う曜日に急にきたから、留守なのかも。日捺子が諦めかけたとき、はい、とインターホンから声がした。
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