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文字数 1,320文字

 なべっちさん、っていつの間にそこまで親しくなったんだろ。どちらかというと渡辺さん気難しいタイプなのに。早坂くんは距離のつめ方がぐいぐいしてる。この間のファミレスでだって……そこまで考えにふけったところで、ふと、ハンバーグの鍋が日捺子の目に留まった。それから、冷蔵庫、レンジと。視線を動かしていく。里中さん。里中さん。あ、早坂くんが呼んでいる。

「里中さん?」
「あ、ごめんなさい。データありました?」
「すみません。あったそうです。お騒がせしてすみませんでした。それじゃ……」
「あっ!早坂くん!」

 日捺子は電話を切ろうとする早坂晟を慌てて引き留める。

「え、なにかありました?」
「あの、今日、何時まで仕事する予定?」
「あと30分くらいっすかね」
「ごはん。食べた?」
「まだですけど」
「ちょっと、お願いがあるんだけど……」
 
 そう、食べ物を片付ける場所は、別にこの部屋である必要はないのだ。





 日捺子のお願い――料理をもらってほしい、を早坂晟は、ためらいなく了承した。日捺子はその返事を聞くや否や料理をタッパーに詰め、洗い物は後回しにして、着の身着のまま急いで家を出た。とはいえ、白いTシャツに飛んだデミグラスソースの染みが気になって、上から薄手のカーディガンだけは羽織ったけれど。急なお願いをしたのに待たせたらいけないと、足早に向かう。会社の最寄り駅で降りて帰宅する人の群れと逆に歩いた。ガラスに映る自分の姿を見て、感じる。私だけ場違いだ。夜のオフィス街には不釣り合いなサンダルの女。それなのに誰も日捺子には目もくれない。無関心。自分が気にするほど、人は他人に興味なんてない。自分だってそうだ。いつも回りなんて見ていない。いつも前だけ。前へ。前へ。歩きなれた会社への道を進んでいく。オフィスビルのエントランスに細長い人影が見えた。

「ごめんね。早坂くん、待たせちゃった?」
「いえ、今、仕事終わって出てきたとこですよ」

 その言葉に日捺子はよかったと息を吐く。早坂晟にじゃあ、これ、と料理がいっぱい入った紙袋を渡そうとして、手を止めた。

「どうしたんすか?」
「これって、ハラスメントにならない?」

 なんとかしなければと、それしか考えてなくて勢いでお願いしてしまったけど、こういうのなんて言うんだろう。めしハラとか? ある種のパワハラにならない?

「なんすか、それ?」
「先輩から、食べ物を無理やり押し付けるハラスメント的な」

 困り顔の日捺子に対して、早坂晟ははははっと大きな声で心の底から可笑しそうに笑った。

「それは、嫌だったらの話でしょ。嫌だったら断ってますよ。俺」
「そう?」
「はい」

 早坂晟が大きく頷くのを確認して、日捺子は紙袋を手渡した。早坂晟が中をちらっと見て、たくさんありますね、と呟く。

「まぁ、でも、そんなに心配だったら一緒に食いません?」
「え?」
「予定あるんですか?」
「……ない、わけではないけど」

 やることなんて帰ってキッチンを片付けるという、証拠隠滅の続きをすることくらいだ。彼は遅くなると言っていたし、急いで帰る必要は、ない。

「ないんですね。じゃあ、行きましょ。いいとこ、あるんです」

 早坂晟はくるりと向きを変えると駅とは逆方向に歩き出した。
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