5-11

文字数 1,156文字

「ごめん。なんか、ごめんね」

 なんか、ってなに?日捺子はナルを睨みつける。
 ナルは掴んだままになっていた日捺子の手を離し、テーブルの向こう側から日捺子の横にずるずると移動してきた。日捺子と向き合う、と同時にそのまま勢いよく頭を床に下げた。

「すみませんでした!」

 ごん。フローリングの床にナルの額がぶつかる重い音がした。そのあまりの勢いのよさに驚いて日捺子の涙が引っ込んだ。ナルはなんども、なんども、すみませんと言いながら頭を下げる。そのたびに、ナルの額がごん、ごんと、鳴る。

「いや、あの、もう、いいです!いいです!やめてください!!」

 日捺子は慌ててナルのおでこと床の間に手を入れた。

「いいの?ほんとに?……じゃあ敬語もやめてくれる?」

 日捺子の手のひらの上のナルのおでこが熱い。

「はい……じゃなくて、うん」
「よかったー。ありがと。あ、ごめんついでに、そこのそれとってもらっていい?」

 ナルが顔をあげ、指をさす。その先には壁にぶつかって戻ってきた電子タバコがあった。

「はい。壊れてないといいんだけど」
「ああ、いい、いい。まだ家に何個もあるから」

 日捺子は電子タバコを手渡すと、中途半端にまくれ上がった袖を戻し、ボタンを留めようとした。人差し指と中指でボタンホールを固定して、親指で押し込こもうとする。けれど、ボタンホールもボタンも指をすり抜けていってしまって留めることができない。

「日捺子ちゃん。かして」

 ナルが日捺子の手をとって言った。

「ごめんね、泣かすつもりはなかったんだ」

 日捺子の指先は、震えていた。

「わたしも、泣くつもりはなかったから」

 日捺子は鼻をすすり、首を振った。謝ってほしいわけじゃない。別に酷いことをされたわけではないんだし。それに、大声出したり泣いたりしたら、なんだか気持ちが落ち着いて、ちゃんとナルくんと話をしてみようという気にも、なれた。

「ナルくん……聞いてもいい?」
「どうぞ。なんでも聞いて」

 日捺子は自分からそう言ったのに、なにから聞けばいいのか分からなかった。だから仕方なく黙ってナルの指を見ていた。きれいな長い指が袖のボタンを留めていく。外したときとおなじように、ひとつ、ふたつと。日捺子のひみつが隠されて、元通りになる。なにもない、いつもどおりのわたしの腕。まだ湿ったままの袖をナルがタオルで拭く。オレンジジュースの臭いがぷんと香る。先に拭いといたほうがよかったね。ううん、別に。すぐに乾くからもう、いいよ。日捺子は言い、続けて聞いた。

「ナルくんはなんで、わたしがここに来ることを知ってたの?」
「ああ、それは、とらちゃんに最近、珍しく女の知り合いができたって聞いて」

 そっか。虎汰くんのなかで、わたしはまだ知り合い程度なんだ。その事実に日捺子は大した感情の揺れを感じなかった。
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