7-12

文字数 1,319文字

 反対側。日捺子は呟く。

「そ。月が絶対に見せない反対側。そこにはなにがあるんだろうって」
「虎汰くんは?」
「俺?」
「そう。どう思ってた?」

 虎汰はなにかを思い出すかのように目線をななめ上に向ける。すこしして視線を戻し日捺子ちゃんはどう思ってたの? と聞き返した。

「わたしは、そうだったらいいなって思ってた。たのしくお餅つきしてるなら、そのお餅はどんな味なのかなって」
「そっか。

俺も、日捺子ちゃんといっしょ」

 

。きっと虎汰くんのほんとうは違うんだろうな。日捺子は思いつつもそれ以上問うことはしなかった。見慣れたレンガ調のマンションが、もうすぐそこに見えていたから。

「ここでいいよ。ありがと」

 日捺子は虎汰の手を離そうとした。けれどその手は虎汰に強く掴まれて離れない。日捺子は虎汰と向き合った。虎汰が日捺子を見ている。ああ、どうして。もっと気弱な目をしていたはずなのに。いつからこんなにまっすぐ人を見るようになってしまっていたのだろう。

「あのさ」
「なぁに?」
「なにかあったら、なにもなくてもいいから、なにもないほうがいいんだけど……なんであれ俺は日捺子ちゃんの味方だから。日捺子ちゃんを守りたいって思ってるから」
「なにそれ、変なの」

 日捺子はくすりと笑った。可愛らしく見えるように。軽く首を傾げて。心の内の動揺なんて、微塵も感じさせないように。

「どしたの? とらちゃんまだ酔ってんの? 」
「うるさい」
「ありがとう。おやすみ」

 日捺子の手を虎汰が離す。するりと、抜けるわたしの手。

「おやすみ」
 
 日捺子は、踵を返し、前に進む。ふたりの視線を背に感じる。振り返ると、やはりふたりはまだ日捺子を見ていた。日捺子はふたりに届くくらいの大きさの声で、もういいから、大丈夫と言った。その声を合図にふたりは手を振り、背を向け、歩き出した。日捺子はそんなふたりを立ち止まったまま、見送る。
 名残惜しい。別れがたい。そう感じるのは、過ちだ。
 一度だけ、虎汰が首を回し日捺子を見た。それに気付いていないふりをして、日捺子はふたりに背を向けた。






 家のチェーンロックはかかっていなかった。鍵をあけドアノブを回すと扉はすんなり開いた。
 日捺子は心のどこかで、入れてもらえないことを、覚悟をしていた。
 あっさり家に入れたことにすこし拍子抜けしながらも、廊下を進む。家のなかはまっくらだった。そして、とても静かだった。もう涼也くんは眠っているんだろう。日捺子は電気をつけないまま、音を立てないように、慎重に、手探りで廊下を進んでいった。リビングの扉に突き当り、中に入る。きぃとかすかに鳴るドアの軋みの音がすごく大きく感じた。

「帰ったの?」

 突然の声に、日捺子はびくりと震えた。声の方――ソファに黒い塊が見えた。涼也くん? 涼也くんだ。涼也くんに決まってる。おうちの中にほかの人がいる訳が、ないんだから。

「うん。ただいま」

 日捺子は答える。でも、その場に立ち尽くしたまま、それに近寄ることはしなかった。できなかった。一方、それは立ち上がり、日捺子に近付いてくる。男の姿をした塊。黒い、男の影が、日捺子に迫ってくる。
 怖い。
 反射的に、思って、日捺子は、愕然とする。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み