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文字数 907文字

 そこに見えない恋はなかった。
 恋ははっきりかたちとなって存在していた。男の子も、女の子も、大人も……みんな恋をしていた。日捺子は思った。ここに書かれているのが恋なら『恋だとか愛だとか、目に見えないものは存在しないんだよ』そう言った涼也はほんとうに正しいのかな?と。
 日捺子は虎汰を見た。虎汰はベッドにもたれかかって真剣な顔で漫画を読んでいる。瞬きをする。長いまつ毛が揺れる。

「あ、雨」

 しとしと、しとしと、静かにいつの間にか降り始めていた梅雨入りが近いことを知らせるような、そんな雨。窓ガラスの水滴が、繋がって、大きくなって、滑り落ちていく。

「日捺子ちゃん」
「はい」

 虎汰が居ずまいを正して、日捺子と向き合った。

「俺、日捺子ちゃんに聞きたいことがあるんだけど」
「なあに?」

 虎汰は、ひと呼吸置いて、それから、尋ねた。

「一緒に住んでる男の人いるよね?どういう関係?」

 日捺子はゆっくりと瞬きをした。虎汰がなにかを言っている。たまたま見たんだ。あとを尾けるとかじゃなくて、たまたま見て、たまたま同じ方向で、男の人と一緒だから声掛けられなくて、マンションに一緒に入っていくの見たから、一緒に住んでるのかなって……虎汰の言っていることなんて、どうでもよかった。でも、そういうことを気にするということは、そういう気持ちが少なからずあるってことなんだろう。恋に近い、そういうものが。日捺子は微笑んだ。

「お兄ちゃん」

 笑顔のお手本は虎汰が沢山見せてくれた。その中からわたしが思う正しいのを選んで再現すればいい。

「それはわたしのお兄ちゃん。だから、虎汰くんが不安に思うことは、なにもないよ」

 日捺子は身を乗り出す。虎汰のまんまるな目に日捺子が映っている。近づく。近づける。虎汰の髪に触れる。さらさら、さらさら、お人形さんみたい。虎汰くんがわたしを見てる。微笑んでいるようなかたちの唇。そこに触れたらあなたはどんな気持ちになるのかな? 柔らかくて、あたたくて、どきどきして、切なくて……しあわせの味がするとか思ってるのかな? 日捺子は虎汰のくちびるにそっと口づけた。バカみたい。
 だって、わたしはもう、愛の果ての地獄を知っている。
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