8―2

文字数 1,623文字

 ――好き。
 それはとてもたいせつなきもち。
 わたしは、それをまもるために、嘘をついた。 

「そんなに好きじゃないかも」
「好きじゃないのにお友達なの?日捺子はおかしな子ね」
「そうだね。おかしいね」

 ママがにっこりと笑う。ママが笑うとふわりとお花の香りがする。わたしはその匂いがあんまり好きじゃない。

「そんなお友達ならいらないんじゃない?好きじゃないんでしょう?」

 ママの指がわたしのほっぺたをなでる。

「うん。そうだね」
 
 ママの指がくすぐったくてわたしはからだをよじった。ふふ、とママの口から声がこぼれる。

「日捺子にはママと涼也だけでじゅうぶんでしょう?」

 ママにぎゅっと抱きしめられる。ママは日捺子を愛してる。ママが耳元でささやく。むせかえるほどのお花の香りに包まれて、わたしはこっそりと息を止めた。
 その次の日から、わたしはママにゆいなちゃんとすみれちゃんのことを話さなくなった。ふたりのことだけじゃなくて、その先、学校であたらしいお友達ができてもママには告げなかった。最近、お友達はいるの? 聞かれると、お友達なんていないよ、日捺子にはママと涼也くんがいるもん、といつも答えた。
 
 わたしはママにたくさんの秘密を持っていた。ほんとうは涼也くんをおにいちゃんとよんでいること、ママの香りが嫌いなこと、ほかにもいろいろ。お友達のことなんて、そんなたくさんのなかのほんのいちぶぶんだった。
 わたしはママに見えることだけで従順でいた。
 ママはそんなわたしを知っていた。
 知っていて笑って見ていた。





 わたしたちのおうちにはママに会いに、たびたび''おじさん''がやってきた。''おじさん''はぞくがらてきなものではなくて、べんぎじょうそう呼んでいた。ほかにふさわしい呼び方がなかったから。
 おじさんくる日のわたしはママにとっておじゃま虫だった。
 帰ることのできないわたしは、いつも公園にいた。
 教室とか図書室に残っていたころもあったけど、おとなの人にいろいろと聞かれるからやめにした。
 どうしたの?
 おうちにかえれないの?
 しんせつなおとなにわたしはいつもなにも言わず笑ってだけみせた。
 答えたくなかったら黙って笑っておけばだいじょうぶよ。
 よく分からないけど、ママがそう言っていたから。
 だからなににも考えることなく言われたとおりにした。
 わたしはかんたんに考えることを放り投げる。
 だって、ママはいつも言っていた。
 日捺子はなんにも考えなくていいの。ママの言うことだけちゃあんと聞いておけばしあわせになれるからね。
 
 はい。ママ。

 ママは、いつだってただしい。
 でも、悪い子のわたしはじぶんにとって都合のいいことだけを、きいた。

 悪い子にはいつかこわいことが起こるのよ。

 ママはそう言っていたけれど、こわいことなんてひとつもおきてない。

 涼也くんがいて、ママがいて、お友達がいて、わたしは毎日とてもしあわせでたのしい。





 秋――ママからの''いいよ''があるまでは帰っちゃいけない日。もう公園は夕日でまっかっかにそまっていた。
 でも、ママからの連絡はまだ、ない。 
 宿題も終わってやることもなくて、ひとりでブランコで遊ぶ。遊ぶっていうより、座って、揺れているだけ。前に後ろに揺られながら、わたしは九九をそらんじる。
 
「ひちいちがひち。ひちにじゅうし。ひちさんにじゅういち。ひちしにじゅう……」

 7の段が難しくて苦手だから、最近はずっと7の段の練習ばっかりしている。なのに、わたしはいつも、ひちしでつまってしまう。もういちど頭から、言ってみる。ひちいち、ひちに、ひちさん……よんでつまって、ふりだしにもどる。くりかえしながら、ブランコに揺れる。何度目か分からないひちしを言ったとき、

「ひちしは、にじゅうはちだよ」と後ろから声がした。
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