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文字数 1,223文字



 買い物の帰り道。今日はとおまわりしましょう。ママが言い、その足が早まった。日捺子は両手で買い物袋を持っていて、ママと手を繋ぐことができない。ママはどんどん歩いて行ってしまう。日は暮れかけていた。日捺子は必死にママのうしろをついていく。見失わないように。はぐれてしまったら、おうちに帰ることができなくなってしまう。ママは振り向いてはくれない。日捺子は捨てられるかもしれないというおそろしさで泣きそうになりながら、ママのきれいな赤色の爪と声を追った。
 こういうときのママはたくさん喋った。日捺子はとぎれとぎれに届く声にいっしょうけんめい耳をすます。ぜんぶは分からない。聞き取れない。だいじなこと。とおまわりはだいじ。しあわせになるためにひつようなこと。ひなこがこまった。よわいひとを探しなさい。
 よわいひと。
 そこだけなぜだかはっきりと聞こえて、日捺子は聞いた。そんなの見て分かるの? ママが急に足を止める。どん、とママの腰に顔がぶつかって日捺子はおもわず買い物袋を落としてしまう。なかに入っていた野菜がいくつか転げ落ちた。日捺子は地面に落ちたじゃがいもとたまねぎを急ぎ拾って顔を上げる。すると、目の前にママの顔があった。ママは日捺子の額を赤い爪でつっついた。だいじょうぶ、見てすぐわかるわ。そういう目をしてるから。そのひとは日捺子を助けてくれる人。うまくつかうのよ。じょうずにつかって、いらなくなったらぽいってしちゃえばいいの。




 梅雨明け宣言を今か今かと待つ7月の半ば。晴天の今日は湿度も気温も高くなってきていて、日陰に入っても長袖のカットソーの下にじんわり汗がにじむ程度には暑かった。日捺子は手うちわでぱたぱた顔を扇ぎながら、虎汰の家のインターホンを鳴らした。

「こんにちは」

 そこにいるのが当たり前のような顔でナルがドアを開ける。

「こんにちは」

 日捺子が靴を脱ぎながら奥をのぞくと、虎汰は扇風機の前で涼んでいた。

「いらっしゃい」

 遠目でもわかるくらい虎汰の顔がうっすら赤らんでいる。暑いのだろう。とらちゃん暑いのダメなくせにエアコン苦手だからぎりぎりまでつけてくんないの。ナルが不満げに言っていたことを日捺子は思い出す。

「じゃ、今日はカレーだからよろしく」

 ナルがぽんと日捺子の肩に手を置いた。日捺子はその手を無表情で振り払う。ただし、ナルだけに見える角度で。そういう顔を虎汰くんには見せたくない。

「今日は俺のリクエスト」

 虎汰の声がナルの向こうから聞こえる。はーい。日捺子は明るい声で返事をして、ナルが買ってきた趣味の悪いフリルいっぱいのエプロンを着けた。
 キッチンのシンクに雑に置かれたレジ袋の中にはナルの言葉のとおりカレーの材料が入っていた。中辛のカレールー、玉ねぎ、じゃがいも、人参、カレーに入れるにはもったいない霜降りの牛肉、あと、なぜか練乳とインスタントコーヒー。

「ナルくん。これは?」

 日捺子は練乳とコーヒーを手に持って聞いた。
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