第52話 死霊術師は剣聖を穢す

文字数 2,825文字

 暗闇を落下するレリオットは、水音を立てて地面に激突した。
 寸前で受け身を取るも、小さな呻き声を上げる。
 角度が少し悪かったらしい。
 痛みに耐えるレリオットは、片腕を庇いながら起き上がった。

「なんだ、ここは……?」

 レリオットは周りを見て驚愕する。

 そこは円状の狭い空間だった。
 暗闇に覆われて天井が見えず、高さが分からない。
 壁や地面は血肉塗れになっており、人間の手足や頭部がはみ出している。
 それらはすべて死体だった。
 この空間は、死体だけで構成されている。

 あまりにも醜い光景を前に、レリオットは眉を寄せる。
 彼は腕を動かして、聖剣で死体の壁を斬りつけた。
 血飛沫が弾け、壁に深々と裂け目が走る。
 しかし、死体がずれて損傷を塞ぐ。
 レリオットは斬撃を繰り返すも、結果は同じであった。

「無駄だ。ここは瘴気と怨念による死霊結界。脱出不可能と思ってもらっていい」

 私は無数のアンデッドの口の一つで告げる。
 レリオットは攻撃の手を止めた。
 彼は発言した口を睨むと、すぐさま聖剣で破壊した。

「死霊結界――冥界の疑似再現か。まさかこの身で味わう日が訪れるとは思わなかった」

「やはり知っていたな。さすがは剣聖……いや、クロムハート一族というわけか」

 私は別のアンデッドの口で答える。
 レリオットは驚かない。
 ただ仏頂面で口を一瞥した。
 彼はとっくに私の能力に気付いているのだ。
 迷宮内で監視していたのが誰であるかも分かっているのだろう。

「既に理解しているだろうが、死霊結界は聖属性を腐蝕させて無効化する特殊空間だ。故に浄化は使えない」

 私が説明する間に、地面から青い液体が滲み始める。
 一気に湧き出したそれは、瞬く間にレリオットの膝の高さまでせり上がった。

 この青い液体は霊毒と言って、触れた者の魂までもを侵蝕する。
 侵蝕された魂はやがて自我を失い、肉体から抜け落ちた末に怨霊へと至る。
 生者にとってはあまりにも致命的な毒であった。

「くそッ……!」

 身の危険を悟ったレリオットは、壁を聖剣で連続で切り裂いた。
 やはり斬ったそばから修復されていく。
 無駄な努力だった。

 いくら死体の地面や壁を壊そうが、絶対に消滅しない。
 何らかの手段で跡形もなく消し飛ばしたとしても、死体は循環して空間の一部として再構成される。
 ここはそういった性質を持つ不滅の空間なのだ。
 術中に囚われた者が脱出するのはほとんど不可能である。

 私は壁のアンデッドに意識を移し、壁から分離して地面に降り立った。
 ちょうど一人分の肉塊が姿を変えて人型に定着する。
 顔には目と口だけがあった。
 他は必要ない。
 私は静かにレリオットへと歩み寄る。

「……貴様、あの村の医者だな?」

「何のことかな」

 レリオットの問いかけに私はとぼける。
 直後、頭部の痛みを伴って視界がずれていく。
 どうやら知覚できない速度で斬られたらしい。
 押さえようとした両手が指先から細切れになり、足元から関節ごとに切り崩されていった。

 すぐさま壁から新たな肉体を供給する。
 今度は常人の倍ほどの大きさにした。
 膂力も死骸騎士の半分ほどはある。
 私は拳を固めて振り上げた。

「君は」

 口を開いた途端、聖剣で全身を解体された。
 仕方ないので、再び別の肉体に意識を移す。
 斬られた肉体たちは、床に溶けて取り込まれた。

 平然と復活する私を目にして、レリオットは嫌悪を露わに罵倒する。

「化け物め……」

「言われ慣れているよ。とっくの昔に人間を捨てている」

 胴体を断ち切られながら、私は彼の罵倒に答える。

 死霊結界は私の絶対的な支配領域だ。
 たとえ魂を破壊する攻撃を受けても、この結界内では何の意味も為さない。
 魂は循環するのみだ。
 事実上の不死と言えよう。

 ただし、ここに囚われたレリオットは支配権を持たない。
 死んだ時点で魂は結界の構成要素になる。
 肉体へ戻ることはない。

 つまり、私は絶対に死ぬことはなく、無尽蔵の肉体で攻撃できる。
 対するレリオットは常に霊毒に侵された状態で、一度でも死ねば敗北が決まる。
 さらに時間をかけすぎても自我を失って怨霊になり、脱出は絶対にできない。

 有利不利の次元ではない。
 死霊結界に落ちた時点で、レリオット生還の道は断たれていた。

 これだけ強力な魔術でありながら最下層まで温存していたのには、いくつかの理由がある。
 まず死霊結界は、膨大な量の瘴気や怨念を消費する。
 術の使用後は、周辺が一時的に浄化されたような環境になるほどだ。

 死霊魔術でありながら、この上ない浄化効果を持つ矛盾である。
 瘴気と怨念が完全に取り払われた空間では、死霊魔術全般が弱体化する。
 アンデッドにとっては最悪の環境に近い。
 長居すると私でも不調を来たす。

 本来はありえないことなのだ。
 どれだけ清浄な場所だろうと、ただの一欠片も瘴気や怨念がないなどおかしい。
 人体に影響がない量は、どこにでも漂っている。
 死霊結界は、そういった常識を無視して完璧な浄化空間を作ってしまう欠点があった。

 だからあの場所でレリオットを拘束して術にはめたのだ。
 豊潤な瘴気と怨念に溢れる最下層で使うのが最も効果的で、さらに使用後もあまり困らない。
 上層や中層だと、数日は迷宮運営に支障が出てしまう。
 冒険者の来ない最下層なら大した問題にはならない。

 テテとルシアには迷惑をかけるが、数日くらいなら別の場所で暮らしてもらえばいい。
 迷宮の規模もかなり大きくなってきた。
 彼女らの居住区くらいなら、いくらでも量産可能であった。

 私は次々と肉体を切り替えながらレリオットに襲いかかる。
 霊毒を早く侵蝕させるためだ。
 放っておいても彼は死ぬが、結界の維持するのに大量の瘴気と怨念を使っている。
 決着は早い方がいい。

 一方、レリオットは聖剣で私を幾度も斬り伏せる。
 圧倒的な実力差だ。
 私はほとんど為す術もなく倒される。
 残念ながら傷の一つも付けられない。
 死霊結界があろうとそこは不変だった。

 しかし、時間経過は私の味方をする。
 霊毒は確実にレリオットの身体を蝕んでいく。

「人道を外れた不死者がぁ……ッ!」

 苛立つレリオットが、私の首を斬り飛ばした。
 彼は次の動きに移行しようとして、僅かに硬直する。
 驚きを孕むその視線は、聖剣を持つ腕に注目していた。

 迷宮にて数百のアンデッドを屠ってきたであろう腕が、不自然に痙攣している。
 指があらぬ方向に曲がっていく。
 肘が逆方向に曲がって聖剣を取り落す。

 ――そして次の瞬間、片腕が肩口から丸ごと千切れ落ちた。
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